35話 一人じゃないよ
「全部全部⋯⋯私が居なければ————」
震える声が漏れる。
フィルの折れた枝を抱えたまま、私はその場へ膝をついた。
どうして、こんなことになったんだろう。
どうして私は、いつも誰かに守られてばかりなんだろう。
目の前では、レオンさん達が今も命を懸けて戦っている。
村の人達も、それぞれの役目を果たし続けている。
それなのに私は⋯⋯フィルの傍で泣くことしかできない。本当に情けない。
「⋯⋯ごめんね」
折れた枝を胸へ抱き寄せる。
「ごめんね、フィル」
謝っても、何も変わらない。
傷は消えない。戦いも終わらない。それでも謝ることしかできなかった。
その時、頭へ何かが優しく触れる。
私はゆっくり顔を上げた。
「⋯⋯フィル」
折れていない方の枝が、私の頭をそっと撫でていた。
いつもと同じ動き。
幼い頃から何度も何度もしてくれた、優しい手つき。
「どうして⋯⋯」
涙で滲んだ視界の向こうで、枝葉が静かに揺れる。
「どうして私を慰めるの?」
傷付いたのはフィルなのに。苦しいのはフィルなのに。
どうして、私なんかを。
枝はもう一度、私の頭を優しく撫でた。
まるで、大丈夫だと言ってくれているみたいだった。その温もりに触れた瞬間、胸の奥へ懐かしい記憶が溢れてくる。
幼い頃。転んで大泣きした私を、フィルは枝で何度も撫でてくれた。植物の育て方を覚えられなくて、お父さんに叱られた日も。管理人として初めて結界樹のお世話を任された日も。
お父さんが亡くなって、一人で泣いていた夜も。
フィルは何も言わず、ずっと隣にいてくれた。
王宮を追い出されたあの日も。もう二度と会えないと思っていた私を、フィルは根を動かして追いかけてきてくれた。
歩けるはずのない結界樹が、私に会うためだけに。
私は、どれだけ助けてもらってきたんだろう。どれだけ支えてもらってきたんだろう。
「⋯⋯そうだったね」
涙が止まらない。
だけど、不思議と心は少しずつ落ち着いていく。私はずっと勘違いしていた。
フィルを守っているのは私だと。結界樹管理人として、私がフィルを支えているんだと。
違った。
ずっと支えられていたのは、私の方だった。
「ありがとう」
私はフィルの幹へそっと額を預ける。
「今まで、ずっとありがとう」
枝葉が静かに揺れる。
その揺れが、どこか照れくさそうに見えて、私は少しだけ笑った。
「でもね」
私は涙を拭い、ゆっくり顔を上げる。
もう泣いているだけでは終われない。フィルは今も傷付きながら、この村を守り続けている。
レオンさんも。村のみんなも。誰一人、諦めていない。————だったら。
「今度は私の番」
私は両手をフィルの幹へ当てる。
管理人として、家族として。私にできることを、全部やる。
「あなた一人に背負わせない」
静かにそう告げると、フィルは枝を私の肩へそっと添えた。
その温もりは、まるで「うん」と頷いてくれたようだった。
私はゆっくりと目を閉じる。
両手から伝わるフィルの鼓動のような魔力。それに自分の魔力を重ねるように、少しずつ流し込んでいく。
不思議と、当たり前のように出来ていた。
結界樹は管理人から魔力を受け取ることができる。普段は健康状態を整えたり、花を咲かせたりするための僅かな補助として魔力を流すくらいだ。それも先ほどのように、フィルから貰いに行ってもらっていた。
だから、自分の意思でこんな風に大量の魔力を流したことは、一度もない。
それでも、今は迷わなかった。
「使って」
私はフィルへ語り掛ける。
「私の魔力、全部使っていいから」
フィルの枝がぴくりと震えた。
まるで拒むように。そんなことをしたら、フローラが倒れてしまう。
そう伝えようとしているみたいだった。
私は小さく首を横へ振る。
「大丈夫だよ。私、一人じゃないから」
レオンさんがいる。ロイドさん達がいる。村のみんながいる。そして、フィルがいる。
「だから半分こ」
私は少しだけ笑った。
「今まで助けてもらった分、今日は私も頑張る」
その言葉を聞いたフィルは、ゆっくりと枝葉を揺らした。
やがて幹の奥から、温かな魔力が流れ返ってくる。
ありがとう。
そんな気持ちが伝わってきた。私はさらに魔力を送り続ける。少しずつ身体が重くなっていく。
元より私は魔術師でもなんでもない。ただの植物好きな人間だ。足元がふらつく。
それでも手だけは離さなかった。
結界の光が、ほんの少しだけ輝きを取り戻す。村を包む緑色の膜が静かに揺れ、ひび割れかけていた場所がゆっくりと塞がっていった。
前線では、その変化に気付いたレオンさんが空を見上げる。
「結界が⋯⋯」
ほんの僅か。
それでも確かに持ち直していた。
「フローラ様⋯⋯」
レオンさんは小さく呟くと、再び剣を構える。
全身は血で濡れ、鎧も傷だらけだった。それでも、その背中はまだ折れていない。
「隊長!」
近衛騎士さんの一人が叫ぶ。
「前へ出すぎです!」
「問題ない」
レオンさんは静かに答えた。
「あと少しだけ、時間を稼ぐ」
その声には疲労が滲んでいた。
それでも一歩前へ出る。その姿を見て、近衛騎士さん達も再び剣を握り直した。
「隊長一人に戦わせるな!」
「援護するぞ!」
「おおっ!」
再び前線へ飛び込んでいく騎士さん達。
ガストンさんも倒木を押し出しながら豪快に笑う。
「まだ終わりじゃねぇぞ!」
ボルドさんは武器を抱えて走り回る。
「そらそら受け取れ!」
マーサさんも休むことなく治療を続けていた。
「傷は後で治せる!今は立ちな!」
誰一人、諦めていない。
その姿を見ていると、不思議と力が湧いてくる。私も負けていられない。
もっと。もっとフィルを支えたい。
その時だった。
フィルの枝先で、一枚の葉がふわりと揺れた。
「⋯⋯あれ?」
私は目を凝らす。
緑色だった葉が、一瞬だけ金色に輝いた気がした。⋯⋯しかし、しっかり見直した際には緑色になっていた。見間違いだったのだろうか。
だけど、フィルの奥深くで何かが少しずつ目を覚まし始めている。
そんな予感だけは、はっきりと感じられた。
私はフィルの幹を優しく撫でる。
「大丈夫。私達なら、きっと乗り越えられる」
フィルは静かに枝葉を揺らした。
その揺れは、さっきまでとは違って見えた。
ほんの少しだけ。力強く。
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