32話 迫る脅威
ディーンさんの一言で、村の空気は再び張り詰めた。
その日の夕方。
ロイドさんの家には、村の大人達が集まっていた。
ロイドさんをはじめ、ガストンさん、ボルドさん、マーサさん、そして私とレオンさん。ベイク夫妻や他の村人たちは、村の警戒や諸々の対応を行っている。
誰も雑談をする人はいない。
部屋を包む静けさが、これから聞く話の重さを物語っていた。
ディーンさんは入口近くへ立て掛けてあった細い枝を一本拾うと、机の上へ広げられた地図を指した。
「ここだ」
枝の先が指したのは、先日魔物達と戦った場所よりさらに北。森の深部だった。
「今朝から様子を見に行ってきた」
低く落ち着いた声が部屋へ響く。
「昨日逃げた魔物どもの行き先を追ったんだ」
レオンさんが静かに頷く。
「偵察部隊の可能性を考えたのですね」
「ああ」
ディーンさんは短く返事をした。
「昨日の戦いで一つ気になったことがあった」
枝が地図をゆっくりとなぞる。
「ジャイアントクロウだ」
私は昨日の戦いを思い出す。
大きな翼を広げ、空を旋回していた巨大なカラス。ディーンさんの矢で何羽も撃ち落とされたけれど、最後には何羽かが森の奥へ飛び去っていった。
「普通なら仲間がやられりゃ逃げる。アイツらはかなりズル賢いからな。だが、昨日は違った。村を何度も旋回して、結界や防壁を見たあとで引き返していった」
ガストンさんが眉をひそめる。
「つまり?」
「アイツらは襲撃が目的じゃない」
ディーンさんはそう言い切った。
「偵察しに来ていたんだ。村の様子をな」
部屋が静まり返る。
私は思わずフィルの方を見る。窓の外ではフィルが静かに森を見つめていた。
まるで最初から分かっていたかのように。
「嫌な予感がして、そのまま追跡した」
ディーンさんは続ける。
「そしたら見つけちまった」
一度だけ大きく息を吐く。
「⋯⋯本隊だ」
その一言だけで、胸がぎゅっと締め付けられる。
ロイドさんが腕を組んだ。
「どれくらい居た」
短い問い掛けだった。ディーンさんは首を横へ振る。
「数え切れねぇ」
誰も言葉を発さない。
部屋には薪が爆ぜる小さな音だけが響いていた。
「確認できただけでも、ウルフが100近い」
枝が地図の一角を円で囲む。
「ジャイアントクロウも⋯⋯恐らくそれくらいだろう」
さらに大きく円を描く。
「ゴブリンは500は超えてるだろうな」
「⋯⋯500か」
ボルドさんが思わず呟いた。
その数字が現実とは思えない。昨日ですら、あれほど苦戦したのだ。その何倍もの魔物が押し寄せてくる。
「村に来た時と同じように、ウルフの背中にはゴブリンが居た。所謂ゴブリンライダーだな。あとは、ジャイアントクロウへ乗れるよう準備してやがったやつらも居たぜ」
「空からも来るってことか⋯⋯」
ガストンさんの声にも、さすがに余裕は無かった。
ディーンさんは頷く。
「ああ。村を囲むつもりなんだろう」
私は無意識に両手を握り締めていた。
逃げ場まで塞ぐつもりなのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。しかし、ディーンさんの報告はまだ終わらなかった。
「⋯⋯更に悪い知らせだ。⋯⋯オークがおよそ70」
その言葉に、部屋の空気がさらに重くなる。昨日、一体倒すだけでも大変だった魔物。
それが70。
誰も顔を上げられない。
「そして——」
ディーンさんはゆっくりと顔を上げた。
「オーガが30」
私は思わず息を呑んだ。
あの巨大な魔物が。一体だけでもレオンさんを苦しめた怪物が⋯⋯30体。
その光景を想像しただけで、身体が震えた。
マーサさんが静かに目を閉じる。
「⋯⋯最悪だねぇ」
その一言に、誰も反論できなかった。
重苦しい沈黙が部屋を包む。誰も口を開かない。薪がぱちりと爆ぜる音だけが、小さく響いていた。
やがてディーンさんが静かに口を開く。
「⋯⋯だが、一番おかしいのは数じゃねぇ」
全員の視線がディーンさんへ集まる。
「魔物同士が争ってねぇんだ」
「争っていない?」
レオンさんが眉をひそめる。
「ああ」
ディーンさんは静かに頷いた。
「ウルフとゴブリンは、普段から獲物を取り合うことがある。オークが居りゃ、他の魔物は近寄りたがらねぇ。縄張りだって全部違う」
森で暮らすディーンさんだからこそ分かることだった。
「それなのに今回は違う」
枝で地図をなぞる。
「全部が同じ方向へ進んでる。喧嘩もしねぇし餌も食わねぇ。休みもしねぇで、ただひたすら村へ向かって歩いてる」
その言葉を聞き、背筋へ冷たいものが走る。
自然じゃない。
昨日見た魔物達も、どこか様子がおかしかった。命令だけを遂行するように、真っ直ぐ村へ向かってきていた。
マーサさんが腕を組む。
「まるで正気じゃなかったねぇ」
「俺もそう思う」
ディーンさんは短く答えた。
「ありゃ、普通の魔物じゃねぇ」
部屋が再び静まり返る。その沈黙を破ったのは、レオンさんだった。
「誰かが⋯⋯操っているのでしょうか」
誰もすぐには答えられない。
もし本当にそうだとしたら。
魔物を操るなどという、聞いたこともない力が存在することになる。
ロイドさんが静かに尋ねた。
「そんなこと、本当に出来るのか」
レオンさんはゆっくり首を横へ振る。
「分かりません」
「俺も、そのような話は聞いたことがありません」
「ですが」
一度言葉を切る。
「今回の状況は、自然とは到底思えません」
私は窓の外へ目を向けた。
フィルは相変わらず森を見つめ続けている。枝葉はほとんど揺れない。
まるで、森の向こう側にいる何かを警戒しているようだった。
私はそっと外へ出る。
フィルの幹へ触れると、冷たかった。
「フィル」
呼び掛ける。
すると一本の枝が私の手へそっと重なった。
「怖い?」
フィルはゆっくり枝葉を揺らした。それは肯定にも否定にも見えなかった。ただ、不安だけは伝わってくる。
「大丈夫」
私は幹を優しく撫でる。
「今度も、みんなで守るから」
その言葉へ応えるように、フィルは小さく枝葉を揺らした。
部屋へ戻ると、ロイドさんが立ち上がっていた。村長として、みんなの顔を一人ひとり見渡す。
「敵が何者でも関係ねぇ」
穏やかな、それでいて力強い声だった。
「俺達のやることは一つだ」
少しだけ笑う。
「この村を守る」
その一言だけで、不思議と胸の奥が少し軽くなった。
「レオン」
「はい」
「前線は頼んだ」
「お任せください」
「ディーン」
「ああ」
「森はお前しか頼れん」
「任せろ」
「ガストン、ボルド」
「おう!」
「防壁を最後まで仕上げるぞ」
二人は力強く頷いた。
マーサさんは薬草袋を抱え直した。
「怪我人は全部あたしが診るよ」
そして全員の視線が私へ向く。
「フローラ」
ロイドさんが静かに言った。
「フィルを頼む」
「⋯⋯はい!」
私は力強く頷いた。
フィルとなら、大丈夫。みんなと一緒なら、きっと乗り越えられる。そう信じたい。
会議が終わり、それぞれが持ち場へ向かおうとした、その時だった。
微かに。本当に微かに、大地が震えた。
レオンさんだけが、ゆっくりと森の方角を見つめる。
「⋯⋯始まる」
その呟きは静かだった。
だけど、その一言だけで、誰もが同じことを悟っていた。
本隊が、すぐそこまで迫っていることを。
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