31話 大切な人
魔物の襲撃があった翌朝。
昨夜はほとんど眠れなかった。
結局、レオンさんが巡回へ戻ったあともしばらくフィルと話をして、部屋へ戻った頃には空が白み始めていた。
それでも、朝のお世話だけは欠かせない。
「おはよう、フィル」
私はいつものように根元へ水を撒く。
フィルは気持ち良さそうに枝葉を揺らしたが、その枝は時折、村の入口の方を向いていた。
きっと私と同じだ。レオンさんは、まだ戻ってきていない。
「大丈夫だよ」
そう言い聞かせるようにフィルの幹を撫でる。
「レオンさんなら、約束守ってくれるから」
そう口にしたものの、自分でも少しだけ苦笑してしまった。会ってそんなに経っていない人を、こんなに心配するなんて。⋯⋯自分でも少し不思議だった。
その日も村の空気は落ち着かない。
防壁の補強は続き、近衛騎士の皆さんも外周を警戒している。
私は薬草の整理を手伝っていたのだが————。
「あっ」
気付けばまた、村の入口へ目を向けていた。
「フローラお姉ちゃん!」
元気な声が聞こえる。
振り返ると、リリィちゃんが小走りでやって来た。
「どうしたの?」
「それはこっちの台詞だよ!」
リリィちゃんは腰へ手を当てる。
「さっきからずーっと村の入口ばっかり見てる!」
「え?」
「五回くらい見てた!」
「そ、そんなに?」
思わず顔が熱くなる。全然気付かなかった。
「誰か待ってるの?」
「えっと⋯⋯その⋯⋯」
言葉に詰まってしまう。その時だった。
「戻りました!」
村の入口から聞き覚えのある声が響いた。
私は反射的に振り向く。そこには鎧姿のレオンさんが立っていた。無事だった。レオンさんと目が合う。
その瞬間、気付けば私は走り出していた。
「レオンさん!」
「フローラ様?」
レオンさんが少し驚いたように目を丸くする。私はその前まで走ると、ようやく足を止めた。
「良かった⋯⋯」
それ以上の言葉が出てこない。
胸につかえていたものが、一気に軽くなった。
「無事で、本当に良かったです」
そう言うと、レオンさんは一瞬だけ驚いた表情を浮かべ、それから柔らかく微笑んだ。
「約束しましたから」
「え?」
「必ず戻ると」
昨夜の約束。
思い出した瞬間、少しだけ照れくさくなる。
「はい⋯⋯」
「ご心配をお掛けしました」
「心配しますよ」
思わず即答してしまった。
「だって、レオンさん一人で村の周りを見回っていたんですよ?」
「俺は騎士ですから」
「それでもです」
私がそう言うと、レオンさんは少し困ったように笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔を見て、私はようやく安心できた。
どうしてこんなに安心したんだろう。王宮に居た頃には、ここまで胸が苦しくなることなんて無かったはずなのに。
⋯⋯私は無意識のうちに、レオンさんのことを大切な人だと思い始めていたのかもしれない。初めて王宮で会った日の優しい声や表情。あれからずっとレオンさんは優しく、誠実で————。
その時——さわっ。
フィルの枝が私の肩へ乗る。
「あ、フィル」
もう一本の枝が、今度はレオンさんの肩へ。
「フィル?」
そのまま二本の枝が、ぐいっと私たちを近付けた。
「わっ」
「おっと」
肩と肩が軽く触れ合う。
「フィ、フィル!」
ぶわっ!
フィルは嬉しそうに枝葉を大きく揺らした。
「もう!」
思わず顔を覆う。
「絶対わざとだよね!」
さわさわ。
まるで「その通り」と言っているみたいだった。
レオンさんも少しだけ苦笑している。
「フィル様には敵いませんね」
「本当にです⋯⋯」
二人で顔を見合わせると、自然と笑みが零れた。
少し離れた場所では、その様子を村人達が見守っていた。
「おいおい」
ガストンさんがにやりと笑う。
「青春ってやつか?」
「余計なこと言うんじゃないよ」
マーサさんが肘で小突く。
「若い子の邪魔は野暮ってもんさ」
「がはは!」
ガストンさんは豪快に笑った。ロイドさんも苦笑しながら頷く。
「フィルも嬉しいんだろうな」
ベイク夫妻も微笑ましそうにこちらを見ていた。
そんな皆さんの視線に気付き、私はさらに顔が熱くなる。
「み、見られてました⋯⋯」
「⋯⋯そ、そのようですね」
レオンさんも珍しく照れたように頬を掻いた。
村に、小さな笑い声が広がる。昨日まで張り詰めていた空気が、少しだけ柔らかくなった気がした。
だけど、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
夕暮れが近付いた頃。
森へ向かっていたディーンさんが、一人で戻ってくる。
その表情に、笑顔はない。肩から下げた弓を握り締めたまま、ロイドさんへ真っ直ぐ歩いていく。
「ディーン?」
ロイドさんが声を掛ける。
ディーンさんは短く息を吐き、低い声で言った。
「⋯⋯嫌なもんを見つけちまった」
村に、再び緊張が走った。
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