29話 魔物の襲撃
村全体が慌ただしく動き始めてから二日。
リーヴェ村は、静かな緊張感に包まれていた。
ガストンさんとボルドさんが村の入口へ倒木や柵を設置し、ベイク夫妻は炊き出しの準備を進める。マーサさんは薬や包帯を並べ、レオンさんは近衛騎士の皆さんと交代で村の外周を巡回していた。
私もフィルの様子を見ながら、いつでも避難誘導ができるよう準備を整えている。
何事も起こらなければ、それが一番良い。村のみんながそう願っていた。
だけど、その願いは長くは続かなかった。
◆
昼を少し過ぎた頃だった。
森の方角から、一人の影が勢いよく駆けてくる。
「ディーンさん!」
肩で息をしながら村へ飛び込んできたディーンさんは、そのまま大きく叫んだ。
「来るぞ!!」
その一声で、村中の空気が一変した。
レオンさんがすぐに剣を抜く。
「数は!」
「50⋯⋯いや、それ以上だ!」
ディーンさんは息を整えながら続けた。
「ゴブリンが30!ウルフに乗ったゴブリンが20!空にはジャイアントクロウが10!」
その場にいた村人たちの表情が強張る。
「さらに後方にオーク2体!オーガが1体いる!」
レオンさんは即座に振り返った。
「ロイド村長!」
「ああ!」
「予定通り避難を!」
「全員、持ち場へ!」
ロイドさんの号令が村へ響く。
ガストンさん達は急いで防壁へ向かい、ベイク夫妻は子ども達を集め始める。
マーサさんは診療道具を抱えてロイドさんの家へ。私はフィルのもとへ駆け寄った。
「フィル!」
フィルは既に森を見つめ、大きく枝葉を揺らしている。
その姿は、まるで戦う覚悟を決めているようだった。
「お願い⋯⋯みんなを守って!」
私は幹へ両手を添える。
その瞬間。フィルの全身が淡い緑色の光に包まれた。
枝葉が大きく広がり、村全体を覆うように半透明の結界が張られていく。場違いだが、とても幻想的な景色だった。
やがて森の奥から無数の足音が聞こえてくる。
最初に飛び出してきたのは、灰色の毛並みを持つウルフ——狼の魔物——達だった。
その背中には粗末な鎧を身に着けたゴブリン——小人のような魔物——が跨り、手には槍や剣を握っている。
「ギャアアアア!!」
その後ろから、徒歩のゴブリン達が雪崩のように押し寄せた。
さらに上空では、ジャイアントクロウ——とても大きなカラスの魔物——が大きく羽ばたきながら旋回している。
「全員、結界の中へ!」
レオンさんの声が響く。
村人達は慌てることなく避難を始めた。この数日で何度も確認した避難経路のおかげだ。
子ども達も泣かずに走っている。その様子を確認すると、レオンさんは剣を構えた。
「ディーン殿!」
「ああ!」
二人が同時に前へ飛び出す。
最初に飛び込んできたゴブリンライダー——ウルフと、それに跨ったゴブリンをセットで称する名前——へ、レオンさんの剣が閃く。
一閃——ウルフごとゴブリンが吹き飛び、地面へ転がった。
続けざまに二体、三体。まるで舞うような剣筋で次々と斬り伏せていく。
一方、ディーンさんは少し後方から弓を構えていた。放たれた矢は、正確にジャイアントクロウの翼を射抜く。
「ギャアアッ!」
一羽が地面へ落下した。すぐさま二本目、三本目。空を飛ぶ魔物達が次々と撃ち落とされていく。
「すごい⋯⋯!」
思わず声が漏れる。
二人とも強い。⋯⋯だけど、魔物は止まらない。倒しても倒しても、次々と森から姿を現す。
その時だった。
ズシン、と地面が揺れる。
森の奥から、巨大な影がゆっくり姿を現した。身長は三メートルを優に超え、灰色の筋肉に覆われた巨体。手には大木ほどもある斧————オーガだった。
その後ろには、棍棒を担いだ二体のオークも歩いてくる。
王宮に居た時はどの魔物も見たことが無かった。ただ、オークとオーガの恐ろしさは有名であり、私でもその恐ろしさが想像できるほどだ。
レオンさんの表情が初めて険しくなった。
「来たか⋯⋯」
オーク二体が低い唸り声を上げる。
「グルルル⋯⋯!」
その巨体に見合わぬ速さで、防壁へ突進した。
「来るぞ!」
ガストンさんが叫ぶ。次の瞬間、丸太を何本も組み合わせて作った防壁へ、オークが巨大な棍棒を振り下ろした。
激しい衝撃音と共に、防壁が大きく軋む。
「なんて馬鹿力だ⋯⋯!」
ガストンさんが歯を食いしばる。
だが、すぐ横からディーンさんの矢が飛ぶ。ディーンさんの矢は、正確に肩や足を射抜く。オークの動きが僅かに止まった。
「今だ!」
レオンさんが一気に間合いを詰める。鋭い剣閃がオークの胴を切り裂いた。
「グオオオオォッ!」
一体目が大きく倒れる。だが、もう一体は止まらない。
防壁へ体当たりを繰り返し、少しずつ丸太を押し崩していく。
「ガストンさん!」
「任せろ!」
ガストンさんは大木ほどもある丸太を担ぎ上げ、そのままオークへ叩き付けた。
鈍い音と共にオークの体勢が崩れる。そこへボルドさんが駆け込んできた。
「どけぇぇぇ!」
鍛冶屋らしい力任せの一撃がオークの膝へ炸裂する。
巨体がぐらりと傾いた。
「レオン殿!」
「ありがとうございます!」
レオンさんが跳び上がる。剣が一直線に振り抜かれた。
首筋へ深々と刃が食い込み、二体目のオークも地面へ倒れ伏す。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」
誰も喜ばない。
まだ終わっていない。
オーガがいる。
巨大な足音だけで地面が揺れる。
オーガは倒れたオークへ目もくれず、真っ直ぐ村へ歩いてきた。
「ゴォォォォォッ!!」
咆哮だけで空気が震える。
ジャイアントクロウ達が一斉に空へ舞い上がった。まるで王を迎えるように。
レオンさんが剣を構える。
「ディーン殿」
「ああ」
「援護をお願いします」
「任せろ」
二人が同時に飛び出した。
ディーンさんの矢がオーガの肩へ突き刺さる。
しかし、矢は途中で斧により弾かれた。
「こいつ⋯⋯!」
ディーンさんが初めて苦い表情を見せる。
その隙にレオンさんが懐へ潜り込む。鋭い剣閃が何度も走る。
だが——浅い。
皮膚が切れるだけで致命傷にならない。
「くっ⋯⋯!」
オーガが巨大な斧を振るう。それをレオンさんは紙一重で回避した。
斧は地面へ叩き付けられ、大地が大きく抉れる。
「こんなのが⋯⋯」
私は思わず息を呑んだ。
一撃でも直撃すれば、人間など跡形もなく潰されてしまう。
レオンさんは冷静に距離を取る。だが、その額には汗が浮かんでいた。
今までの魔物とは明らかに格が違う⋯⋯。
その時、フィルが大きく枝葉を揺らした。一本の枝が結界の内側から地面へ伸びる。枝先が土を叩いた瞬間、小さな土煙が舞い上がった。
オーガの視線が一瞬だけ逸れる。
「今です!」
私も思わず叫んでいた。
レオンさんはその一瞬を逃さない。
一気に踏み込み、全身の力を剣へ込める。
「はぁぁぁぁっ!」
渾身の一撃。
剣がオーガの胸を深く切り裂いたが、それでも倒れない。オーガはなおも斧を振り上げる。だが——ディーンさんの矢が一直線に飛ぶ。
「レオン!やれぇ!!」
狙いは右目。
矢は寸分違わず突き刺さった。
「グオオオオオォォッ!!」
絶叫。体勢が大きく崩れる。
「終わりです!」
レオンさんの剣が再び閃いた。
一閃。巨体がゆっくりと傾き、そのまま轟音を立てて地面へ倒れ伏した。
森に静寂が戻る。
残っていたゴブリン達は蜘蛛の子を散らすように森へ逃げていき、ジャイアントクロウも空高く飛び去っていった。
誰も追わない。
追える余裕など、残っていなかった。レオンさんはゆっくり剣を鞘へ納める。
その呼吸は乱れ、肩も大きく上下していた。
私は初めて見た。近衛騎士団長であるレオンさんが、ここまで疲弊した姿を。
——しかし、この戦いはまだ始まりに過ぎないことを、この時の私はまだ知らなかった。
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