27話 何かがおかしい
朝の柔らかな日差しがリーヴェ村を包む。
私はいつものように、じょうろを持ってフィルのもとへ向かった。
「おはよう、フィル」
根元へゆっくり水を撒く。
乾いた土が水を吸い込み、気持ち良さそうな音を立てる。
「今日もいっぱい飲んでね」
幹を優しく撫でる。
けれど、フィルはいつものように甘えてこなかった。枝葉が落ち着かない様子だった。
「フィル?」
私は村を見る。だが、何も変わった様子は無い。
ベイク亭からはパンの香りが漂い、村では朝の支度が始まっている。それなのに、フィルだけが何かを気にしていた。
「どうしたの?」
一本の枝が森を指した。
「森に何かあるの?」
ぶわっ。
勢いよく枝葉が揺れる。それは強い肯定だった。私は少しだけ不安になる。
こんな反応をするフィルを見るのは初めてかもしれない。
「フローラ様」
後ろから声がした。
振り向くと、レオンさんがこちらへ歩いてくる。
「おはようございます」
「おはようございます」
私はすぐフィルの様子を説明した。
「朝からずっと森を気にしていて⋯⋯」
レオンさんはフィルを見るなり、小さく頷いた。
「やはり、ですか」
「え?」
「数日前から森の様子がおかしいんです。周辺警戒に当たっている部下からも、異変が起きている報告を受けています」
その表情には迷いがなかった。
昨日、ディーンさんと見付けた足跡。静まり返った森。あの違和感は、まだ続いている。
レオンさんは森を見据えたまま言う。
「今日、改めて確認へ向かうつもりでした」
「そうだったんですか⋯⋯」
そこへ、弓を肩に掛けたディーンさんが森の方から歩いてくる。正確には森からではなく、村の外れで立ち止まり、ずっと森を見ていたようだった。
「ディーンさん」
「ああ」
短く返事をすると、その視線は森から動かない。
「鳥が鳴かねぇ」
私は耳を澄ませる。
言われてみれば、小鳥のさえずりがほとんど聞こえない。
「昨日より静かだ」
ディーンさんは低い声で呟く。
「嫌な予感しかしねぇ」
レオンさんも頷く。
「俺も同意見です」
二人とも、もう異変を疑ってはいない。異変があることを前提に話していた。
私だけが状況を飲み込めず、二人の顔を見比べる。
「そんなに深刻なんですか?」
ディーンさんは私を見る。
「確認しに行く」
その一言だけだった。
レオンさんも迷わず続ける。
「俺も同行します」
二人の表情は真剣そのものだった。
私はフィルを見る。フィルは不安そうに枝葉を揺らし続けている。
「⋯⋯私も行きます!」
何が起きているのか、自分の目で確かめたい。
私は薬草籠を手に取り、二人と共に森へ向かおうとした。
「待ってください」
歩き出そうとした私を、レオンさんが静かに制した。
「え?」
「今回は何が起きているか分かりません」
いつもの穏やかな声だったが、その表情は真剣だった。
「危険がある可能性があります。フローラ様は村でお待ちください」
「で、でも⋯⋯」
フィルがあんなに不安そうにしている。
私も何が起きているのか知りたいし、何か力になれるかもしれない。植物に関しては、二人より私の方が詳しいし。
「私も行かせてください!」
改めてそう言うと、今度はディーンさんが口を開いた。
「嬢ちゃん」
低く短い声だった。
「今回は森の様子を見るだけじゃねぇ」
ディーンさんは森を真っ直ぐ見つめたまま続ける。
「何かが居る可能性がある」
その一言で、空気が少し重くなる。
「その通りです」
レオンさんも頷いた。
「もし危険があれば、俺とディーン殿だけならすぐ退くこともできます。ですが、フローラ様が居れば、まず貴女を守らなければなりません」
それは護衛として当然の判断だった。
私も、それくらいは分かる。——だけど。
「⋯⋯フィルが、あんな顔をしているんです」
二人は黙って私を見る。
「何かあった時、私はきっと後悔します。結界樹管理人なのに、何も知らないまま待っているだけなんて⋯⋯嫌です」
少しだけ沈黙が流れる。
やがてディーンさんが、小さく息を吐いた。
「頑固だな」
「すみません⋯⋯」
「いや」
ディーンさんは苦笑した。
「結界樹のことなら、嬢ちゃん以上に分かる奴はいねぇ」
そしてレオンさんを見る。
「どうする」
レオンさんは少しだけ考え込んだあと、真っ直ぐ私を見た。
「⋯⋯一つだけ約束してください」
「はい」
「少しでも危険だと判断したら、俺の指示に従ってください。必ずです」
「分かりました」
「決して一人で動かないこと」
「はい」
私が頷くと、レオンさんも静かに頷き返した。
「では行きましょう」
三人は森へ向かって歩き出した。
村の入口では、フィルが心配そうに枝葉を揺らしながら、その姿を見送っていた。
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