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【完結】王宮結界樹の管理を解任されたので田舎で暮らします。私を追いかけてきたのは王子ではなく結界樹でした   作者: 百香スフレ
第一章:根を下ろす場所

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26話 守りたい場所

 朝日が昇るよりも少し早く、レオンは村の外れを歩いていた。

 村の中ではなく、外周をゆっくりと見回る。森との境界には、交代で警戒に当たる近衛騎士達が配置されている。


「団長」


 一人の騎士が敬礼した。


「異常は」

「現在のところありません」


 若い騎士はそう答えたあと、少しだけ表情を曇らせる。


「ですが⋯⋯やはり森の様子が妙です」

「⋯⋯続けろ」

「鳥の鳴き声が少なく、獣の気配も薄いように感じます。昨日の遠吠え以降、森全体が静まり返っているようで⋯⋯」


 レオンは森へ視線を向ける。

 まだ朝靄が残る森は静かだった。それにしても——静かすぎる。ディーンが「嫌な予感がする」と言ったことも、何かの前触れの予感を高める。


「警戒を続けてくれ」

「はっ」


 騎士は敬礼すると持ち場へ戻っていく。

 レオンは森を見つめたまま、小さく息を吐いた。


 異変が起きていることは間違いない。だが、何が起きるのかまでは分からない。だからこそ、備えるしかなかった。


 歩きながら自然と剣へ手を添える。

 この村へ来てから、その仕草はすっかり癖になっていた。ふと、脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。

 まだ一月も経っていない。あの日も、こんな穏やかな朝だった。



 レオンが王宮結界樹の庭園へ向かった時、一人の少女が結界樹の世話をしていた。

 朝露に濡れた葉を一枚ずつ持ち上げ、裏側まで丁寧に確認する。

 枝を見て、幹を見て、根元の土へ水を与える。その動きには一切の迷いがなかった。

 何年も、いや十年以上繰り返してきた日課なのだろう。


 レオンは少し離れた場所で、その様子を静かに見守っていた。


(この方が、フローラ・リーフレット様か)


 名前だけは知っていた。

 王宮結界樹を管理する少女。代々リーフレット家が受け継いできた役目を、若くして担っている人物。


 だが、実際に会うのは初めてだった。

 少女は誰かに見られていることなど気にも留めず、嬉しそうに笑っている。


「今年も綺麗に咲かせようね」


 結界樹へ優しく話しかける。

 すると、不思議なことに枝葉がさわりと揺れた。


 まるで返事をしているようだった。レオンは思わず目を細める。


(まるで家族だな)


 そんな感想が自然と浮かんでいた。

 だが、その穏やかな時間を終わらせるのが、自分の役目だった。


「フローラ・リーフレット様」


 少女が振り返る。

 少し驚いたような表情。それでもすぐに笑顔を浮かべた。


「おはようございます」

「おはようございます」


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥が少し痛んだ。

 これから自分が伝えることを思えば、その笑顔はあまりにも眩しかった。


「ガイアス王太子殿下がお呼びです」


 少女は不思議そうに目を瞬かせた。


「⋯⋯ガイアス殿下が?」


 その反応も無理はない。

 結界樹管理人とはいえ、王太子から直接呼び出されることなど滅多にない。


 それでも少女はすぐに姿勢を正した。


「分かりました。すぐ向かいます」

「お願いいたします」


 レオンは一歩前を歩く。

 後ろからは小さな足音だけが聞こえてくる。

 ふと振り返ると、少女は結界樹へ向かって微笑んでいた。


「行ってくるね、フィル」


 結界樹の枝葉が静かに揺れる。その光景が、何故だか胸に残った。

 謁見の間へ着くまで、二人の間に会話は無かった。


 必要以上の言葉を交わす立場ではない。

 それでも、少女が緊張していることだけは伝わってきた。


 大きな扉が開く。


「フローラ・リーフレット様をお連れしました」


 レオンは一礼し、一歩下がる。

 そこから先は、自分の役目ではない。そう思っていた。だが、その日の光景は、生涯忘れることはないだろう。


 ガイアス殿下の苦しそうな表情。

 宰相アーヴィンの淡々とした説明。

 周囲の貴族達の、どこか嘲るような笑み。


 そして。


「本日をもって、お前を王宮結界樹管理人の任から解任する」


 その一言で、少女の表情から笑顔が消えた。

 それでも必死に涙を堪え、理由を尋ねる姿を、レオンはただ見守ることしかできなかった。


 王太子の決定に、近衛騎士が口を挟むことなど許されない。だからこそ、何もできない自分が歯痒かった。


 謁見が終わると、フローラ様は静かに一礼し、謁見の間を後にした。


 その背中は、小さく見えた。

 先ほどまで結界樹の前で笑っていた少女と、同じ人物とは思えないほどに。


 レオンは命じられた通り、その後ろを歩く。長い廊下には二人の足音だけが響いていた。

 

 やがて、ぽたり、と床へ雫が落ちる音がした。————涙だった。


 フローラ様は立ち止まらない。

 振り返りもしない。ただ前だけを見て歩いている。それでも肩は小さく震えていた。

 

 レオンは胸が締め付けられる思いだった。

 せめて何か言葉を掛けられれば。だが、どんな言葉も今の彼女を慰めることは出来ない。


 だから懐からハンカチを取り出し、静かに差し出した。


「フローラ様。こちらを」


 一瞬だけ足が止まる。


「あ、ありがとうございます⋯⋯大丈夫です」


 少女は袖で涙を拭き、小さく頭を下げた。


「本当に、大丈夫ですから。ありがとう、ございました」


 そのまま歩き出す背中を、ただ見送ることしか出来なかった。

 あの時の自分は、近衛騎士として正しかったのだろう。


 だが、一人の人間としては何も出来なかった。その無力さだけが、今も胸に残っている。



 レオンは小さく息を吐き、意識を現在へ戻した。


 目の前には、穏やかな朝のリーヴェ村が広がっている。

 ロイドは畑へ向かい、鍬を肩へ担いで歩いていた。

 トーマスはベイク亭から焼き立てのパンを運び出し、エマが店先を掃除している。

 マーサは薬草を干しながら鼻歌を歌い、ガストンは朝から薪を割っていた。

 少し離れた場所では、ルークが木剣を振っている。教えた構えを、毎朝欠かさず練習しているらしい。


「レオンお兄ちゃん!」


 ルークがこちらへ気付く。


「今日も稽古してよー!」

「⋯⋯ああ。朝食を食べた後始めようか」

「やった!」


 その声を聞いたリリィも駆け寄ってくる。


「レオンお兄ちゃん!今日は鬼ごっこもしようね!」

「分かった分かった。ちゃんと仕事が終わってからな」

「約束だからね!」


 子ども達は笑いながら走っていく。

 そんな姿を見ていると、自然と口元が緩んだ。王宮では、こんな風に笑うことは少なかった気がする。


 ふと庭へ目を向ける。

 そこではフローラ様が、今日もフィルへ水をあげていた。


「おはよう、フィル」


 優しく幹を撫でる。

 フィルも嬉しそうに枝葉を揺らし、一本の枝で彼女の頭をそっと撫で返した。


「もう、くすぐったいよ」


 楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 あの日、王宮で見た笑顔とは違う。今の笑顔は、心から安心している人の笑顔だった。


 レオンは思う。

 あの日、自分は彼女の笑顔を守れなかった。だが今は違う。今なら守れる。いや、守りたい。


 それは王太子の命令だからではない。護衛任務だからでもない。この村で過ごした日々の中で、気付けば全員が自分にとって大切な存在になっていた。


 その時、フィルの枝葉がぴたりと止まる。レオンも反射的に森へ視線を向けた。


 風は吹いている。だが、森は静かだった。嫌な予感が胸をよぎる。

 レオンは腰の剣へ手を添えた。遠く、森の奥から低い遠吠えが響く。


 ウォオオオオォ——。


 村人達はまだ気付いていない。

 気付いているのは、自分とディーン、そしてフィルだけだ。


 レオンは静かに剣の柄を握り締める。


(もう二度と、あの日のような思いはさせない)


 あの朝、笑顔だった少女を泣かせてしまった。

 何も出来なかった自分とは違う。今は剣がある。守るべき場所がある。守りたい人達がいる。


 レオンは森を真っ直ぐ見据え、小さく、それでも揺るぎない声で呟いた。


「この村は、俺が守る」

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