12話 ガイアス襲来
リーヴェ村の朝は、いつも賑やかだ。
畑へ向かう人の声。井戸端で話すおばさん達の笑い声。木を割る音。焼き菓子屋さんから漂ってくる甘い匂い。
そして、広場では今日もリリィちゃん達がフィルと遊んでいた。
「フィルー!もうちょっと低くして!」
「今度は俺!」
「ぼくも!」
フィルは枝をゆっくり下げたり、少しだけ揺らしたりしながら、三人を遊ばせている。
最初はあんなに驚いていた村のみんなも、今ではすっかり慣れてしまった。
「フィル、今日はトーマスさんのお店に行くからね」
私が声を掛けると、フィルの葉っぱが嬉しそうに揺れた。
さわさわ。
「クッキーは一人で全部食べちゃ駄目だよ」
さわ⋯⋯。
「しょんぼりしても駄目」
そう言うと、リリィちゃん達が笑った。
私も思わず笑ってしまう。
王宮を出た日には、こんなふうに笑える日が来るなんて思っていなかった。
ここリーヴェ村は、もう私の居場所になり始めている。————そんな時だった。
「村長!」
村の入口の方から、男の人が慌てて走ってきた。
「王都の方から馬が来てる!」
広場にいた人達が一斉に顔を上げる。
ロイドさんが家から出てきた。
「馬?」
「ああ。それも——王家の紋章付きだ!」
空気が変わった。
リリィちゃん達も遊ぶ手を止める。
私の胸が小さく鳴る。王族————まさか。いや、想像ついたことか。王国の国宝たる結界樹が、ここリーヴェ村に来ているのだ。それを知れば、必ず王国は取り返しに来る。
「フローラ」
ロイドさんがこちらを見る。
「⋯⋯フィルを取り返しに来たんだと思います」
「⋯⋯それはそうか」
またフィルと離れ離れになるの?——そう不安に思っていると、フィルが枝を伸ばし、そっと私の肩へ触れた。
「フィル⋯⋯へへへ、大丈夫だよ」
そう言ったつもりだったけれど、声は少し震えていた。
歩行モードのフィルを連れて村の入口へ向かうと、2頭の馬がこちらへ近付いてくるのが見えた。
先頭にいたのは、見覚えのある人だった。
「⋯⋯ガイアス、王太子殿下」
思わず声が漏れる。——ガイアス王太子殿下。王宮で私に結界樹管理人の解任を告げた人。
私の零した名前に、村人達がざわついた。
「王太子殿下⋯⋯!?」
「フィルとフローラちゃんを連れ戻しに来たのか?」
小さな声が耳に入る。
ディーンさんは無言のまま、村人達の少し前に立っていた。ガストンさんは斧を担いだまま、眉をひそめている。
「⋯⋯」
「おいおい、ただ事じゃねぇな」
トーマスさんとエマさんは、リリィちゃん達をそっと後ろへ下がらせた。
「みんな、少し下がっていなさい」
「でも⋯⋯」
「いいから」
エマさんの声は優しいけれど、いつもより少し強かった。
ガイアス殿下は馬を降りる。護衛の近衛騎士は一人だけ——あの時、私を案内してハンカチを貸そうとしてくれた人——のようだ。王太子が動くにしては、あまりにも少ない護衛の数。ということは、限りなくお忍びということだろうか。
ロイドさんが前へ出る。
「リーヴェ村の村長、ロイド・バークです」
ガイアス殿下はロイドさんへ向き直り、静かに頭を下げた。
「突然の訪問、失礼する」
村人達が息を呑んだ。
王太子が、村長に頭を下げた。その光景に、私も一瞬言葉を失う。
「王位継承権第一位、王太子のガイアス・シュタールだ」
「承知しております」
ロイドさんの声はいつも通りだった。必要以上にへりくだることもないが、失礼でもない。
「本日は、何用でこの村へ?」
ガイアス殿下はすぐには答えなかった。その視線が、私とフィルへ向かう。
フィルは私を背後へ庇うように、一本の枝をゆっくり伸ばした。
敵意はない。
でも、私達を守ろうとしている。
ガイアス殿下もそれに気付いたのだろう。少しだけ目を見開いた。
「⋯⋯結界樹が」
小さな声だった。
王宮で見ていた時のフィルとは、きっと全然違うのだと思う。
ここでのフィルは、子ども達と遊び、村人達に水をもらい、クッキーを貰っては私へ渡し、毎日嬉しそうに葉っぱを揺らしている。
それは国宝というより、村のみんなと一緒に暮らしている一人の家族だった。
ガイアス殿下はしばらくフィルを見つめていた。⋯⋯そして、ゆっくりと私を見る。
「フローラ・リーフレット」
「⋯⋯はい」
緊張で、背筋が伸びる。
また何かを命じられるのだろうか。⋯⋯王宮へ戻れと言われるのだろうか。フィルを連れ戻すと言われるのだろうか。
そんな不安が胸の奥で膨らむ。
すると、フィルの枝がまた私の肩へ触れた。——大丈夫、と言われている気がした。
ガイアス殿下はそんな私達を見て、静かに息を吐く。
「突然の訪問を許してほしい。少しだけ、話をする時間をいただけないだろうか」
「⋯⋯⋯⋯」
私はすぐには答えられなかった。
ガイアス殿下の表情は、王宮で解任を告げた時と同じに見えた。苦しそうで、迷っていて。一つ違うのは、それでも何かを伝えようとしている顔だった。
「⋯⋯はい」
私は小さく頷く。
「お話なら、伺います」
ロイドさんが一歩前へ出た。
「立ち話もなんでしょう」
そして、自分の家の方を指差す。
「うちへ来なさい」
ガイアス殿下は少し驚いたようにロイドさんを見た。
それから、深く頭を下げる。
「⋯⋯ありがとうございます」
村人達はまだ緊張したまま黙っていた。
フィルは、私の肩に触れていた枝をゆっくり離す。でも、その枝はすぐ近くにあった。まるで、いつでも私を守れるように。
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