11話 王宮にて
フィルが王宮から姿を消えて、五日が経った。
王宮の一室。
王太子であるガイアスは机へ広げられた報告書へ目を落とし、小さく息を吐いた。
「結界出力、94パーセント⋯⋯」
隣に立つアーヴィンが静かに頷く。
「昨日より1パーセント低下しております」
部屋の中が静まり返る。
結界樹が居なくなって以来、王宮では毎日結界の測定が行われていた。
幸い、すぐに魔物が侵入するような状況ではない。
しかし、確実に弱まっている。
「原因は⋯⋯」
「やはり、結界樹が王宮を出てしまったことが原因だろう、と⋯⋯」
「⋯⋯はぁ、そうだよな⋯⋯」
ガイアスは窓の外を見る。
本来なら、そこには王宮を象徴する巨大な結界樹が見えるはずだった。だが今は、大きな穴だけが残されている。
王宮結界樹。それは王宮敷地内に根を下ろす神聖なる樹木だ。結界樹の特殊な能力により、王都全体に強力な魔力経路を地面に張り巡らせ、王都やそこから伸びる街道、引いては地方の村々にまで結界を展開する。結界は魔物——人を襲う危険な生物——を遠ざけ、王国に属する人間の力を向上させる力も持つ。すなわち、国宝である。
「⋯⋯まさか、木が歩いて出ていくとはな⋯⋯」
「私も予想外でした」
アーヴィンが珍しく苦笑する。ガイアスは、アーヴィンの崩れた顔を久しく見たので驚いた。
「結界樹が自ら歩くなど、前例がございません」
「⋯⋯そうだろうな」
ガイアスも苦く笑った。
「私も初めて見た」
二人の間に沈黙が流れる。
やがてガイアスが静かに口を開いた。
「ミリア・ヴェルデはどうだ」
「責任を感じております」
「⋯⋯そうか」
ガイアスは目を伏せた。
「彼女に責任は無い。悪いが、フォローを引き続き頼む」
「はい」
アーヴィンは即答する。
続けて、アーヴィンはミリアがつけていた管理日誌を取り出した。
「ミリア嬢がつけておりました、管理日誌を確認いたしました。記録通りの管理は完璧です。薬剤、肥料、水分量、魔力量、剪定時期⋯⋯全て理論上は最適と言えるでしょう。王立植物研究所首席の名に恥じぬ管理でした」
ガイアスも頷く。
それは最初から分かっていた。だからこそ、ミリアを後任へ据えたのだ。いや、本来はフローラのサポートとして追加するはずだった。
「⋯⋯フローラも悪くなかった」
「はい」
「ミリアも悪くない」
「はい」
「では、何が間違っていた」
アーヴィンは答えない。⋯⋯答えられない。答えがあるとするならば、間違いなく————フローラを解任すると最終決定したガイアスが原因となるからだ。
静寂だけが部屋を包んだ。
ガイアスは椅子へ深く腰掛ける。
「私は⋯⋯」
言葉が止まり、あの日の会議を思い出す。
『男爵家であるリーフレットなぞに国宝を任せ続けるのは危険です!』
『個人管理では何かあった時に対応できません』
『組織管理へ移行すべきです!』
『植物学の専門家を中心に据えるべきでしょう』
『新陳代謝の時です!今こそ、リーフレット家の独占管理時代を終わらせましょう!』
『それに、フローラとかいう小娘は拾い子のはず。そんな者が成り行きで男爵となり、国宝の管理を一任され、王宮に住まうなど言語道断でしょう!』
あの会議の場では、誰もが同じことを口にした。その意見には、確かに理があった。
フローラ一人へ国宝を任せる体制は、あまりにも脆い。万が一病気や事故に遭えば代わりが居ない。
王太子として考えるなら、国全体を考えるなら。組織管理へ移行するべきだった。それ自体は間違いでは無かったはずだ。
しかし、ガイアスは本来の着地点——フローラを管理体制のトップにしたまま、ミリアや他の者を加えての組織管理体制の構築——へ、会議の流れを持っていけなかった。そして、最終的には貴族たちの意見を聞き入れ、フローラを解任してしまった。
「殿下」
アーヴィンが静かに声を掛ける。
「後悔、なさっていますか」
「分からない」
ガイアスは正直に答えた。
「今でも、あの判断は王太子として正しかったと思っている。⋯⋯だが————」
窓の外——結界樹が居た場所に大きく空いた穴——へ目を向ける。
「結界樹は自ら王宮を去った」
「はい」
「誰に付いて行けと言われたわけでもなく、誰かに運ばれたわけでもない。信じ難いが⋯⋯結界樹が自分で選んだのだ」
その事実だけは変わらない。
ガイアスは拳を握る。
「私は、一度でも結界樹自身が、どうしたいのか考えただろうか⋯⋯」
アーヴィンは答えなかった。
結界樹は国宝で、国が総力を挙げて守るべき存在。ましてや植物だ。誰も、その意思を考えたことなど無かった。
「私は⋯⋯」
ガイアスはゆっくり立ち上がる。
窓の外を見つめたまま、小さく呟いた。
「結界樹を守ろうとしていた。より論理的で良い環境にする事が良いことだと思っていた」
だが、本当に守っていたのは。国か、制度か。それとも——。
「私は、本質的な部分で結界樹のことを考えられていなかったのだろうな————」
その問いに答えられる者は、誰も居なかった。
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