9話 リーヴェ村の人々
「じゃあ、ここにするか」
ロイドさんが指差したのは、自宅とノアくんの家の間にある広場だった。
井戸も近く、日当たりも良い。
それに私の部屋の窓からもよく見える。
「フィル、ここでどうかな?」
フィルは枝葉を揺らした。
さわさわ。
「うん。気に入ったみたい」
「なら決まりだ」
ロイドさんが頷く。
「植えろ」
「フィル、自分でできる?」
フィルは枝を一本だけ上げた。
任せて。そう言っているように見えた。
次の瞬間だった。
ずぼっ。
一本の根が地面へ潜る。
ずぼっ。
もう一本。
そして——。
ずぼぼぼぼぼぼぼっ!!
無数の根が一斉に地中へ潜っていった。
「おぉ……」
村人達から感嘆の声が漏れる。
フィルは数秒でもぞもぞと体を揺らすと、ぴたりと動かなくなった。
「終わった?」
さわさわ。
「終わったみたいです」
「早ぇな!」
豪快な笑い声が響く。
「がははは!」
大きな斧を肩へ担いだ男の人が近付いてきた。
「木こりのガストンだ!」
「よろしくお願いします」
「よろしくな嬢ちゃん!」
ガストンさんはフィルを見上げ、大きく頷く。
「いやぁ、いい木だ!」
「え?」
「木こりを何十年もやってるが、こんな立派な木は初めて見た!」
そう言うと、フィルの幹をばんばん叩く。
フィルは嬉しそうに葉っぱを揺らした。
さわさわ。
「気に入られたな!」
「みたいですね」
「がははは!」
ガストンさんは最初からフィルを普通の木みたいに扱っていた。間違えて切り落とさないか心配だ。フィルなら下手な斧なんて効かないのだけれど。心配なのが親心というものだ。
「フローラちゃん」
優しい声が聞こえた。
振り返ると、パン籠を抱えた女性が立っている。
「初めまして。私はエマ・ベイク。リリィの母よ。焼き菓子屋ベイクで働いているわ」
「リリィちゃんのお母さん⋯⋯!初めまして!」
私が頭を下げると、エマさんは柔らかく笑った。
「そんなに緊張しなくて大丈夫。この村は、みんな家族みたいなものだから」
その言葉だけで、不思議と肩の力が抜けた。
「あなた、お腹空いてない?」
「え?」
「朝から大変だったでしょう?」
そう言ってパンを一つ手渡してくれる。
「あ⋯⋯ありがとうございます」
「遠慮しない遠慮しない」
まるで本当のお母さんみたいだった。
私がパンを受け取ると、奥から元気な声が響く。
「焼けた!焼けたぞーー!!今度こそどうだー!!」
エマさんが苦笑する。
「また始まったわ」
「始まった?」
「見れば分かるわよ」
私達が焼き菓子屋さんへ向かうと、頭を抱えた茶髪の男性が居た。
「違う!これじゃない!もっとこう⋯⋯今日しか作れない味があるだろ!」
「パパ⋯⋯」
男性の前には、見たことないほど呆れた顔のリリィちゃんがいた。リリィちゃんは呆れたようにため息をつく。
「また新作?」
「帰ったかエマ!——む?」
男性は勢いよく振り返った。
「君がフローラちゃんか!」
「は、はい!」
「俺はトーマス・ベイク!リリィのパパだ!よろしくな!」
「あのね、フローラお姉ちゃん、パパはうるさいけど、私のことは嫌いにならないでほしいの」
「リリィ!?どういう意味だ!?パパ泣いちゃうんだが!?」
「あなた⋯⋯」
エマさんが呆れたように笑う。
「あ、そうだった」
トーマスさんは頭を掻いた。
「まぁ細かいことはいい!食ってくれ!」
焼き立てのクッキーをどさっと渡される。
「こんなに!?」
「感想だけ聞かせてくれりゃ良い!」
目が真剣だった。
この人、本当に焼き菓子が好きなんだ。
私は思わず笑ってしまう。
「いただきます」
一枚食べる。——これは——!
「おいしい!」
「よっしゃぁ!!」
トーマスさんは拳を握った。
「次はもっと美味くする!」
「もう十分美味しいですよ?」
「甘い!菓子職人に完成なんてねぇ!」
その目は本気だった。本当に凄く美味しいのに。王都の焼き菓子屋さんにも負けてないと思うけど⋯⋯。
「相変わらずだな、トーマス」
そう思っていると、後ろから低い声がした。
一人の男性が歩いてくる。
背中には弓、腰には短剣。無駄のない動きだった。
「ディーン!よぉ!お前も食ってくか?」
トーマスさんが名前を呼ぶ。
「ルークのお父さんよ」
「!ルークくんの!」
「⋯⋯ああ」
ディーンさんは私へ一度だけ目を向ける。
凄い⋯⋯活発で天真爛漫なルークくんとは似ても似つかないほど鋭い眼光だ。
「⋯⋯ディーン・ハントだ。うちのガキが世話になってる」
「よろしくお願いします」
それだけ言うと、今度はフィルを見る。⋯⋯ん?
いつの間にかまた歩いてきたフィルが焼き菓子屋の前にいた。ロイドさんも連れてきているが、心底疲れている顔をしている。⋯⋯本当にすみません。
しばらく無言。誰も話さない。
やがてディーンさんは静かに口を開いた。
「敵意は無いな」
「え?」
「森の獣は敵意があると目で分かる。こいつには、それが無い。⋯⋯まぁ、こいつはそもそも目は無いが⋯⋯まぁ分かる」
そう言うと、それ以上何も話さなかった。
よく分からないが、認められた(?)ようだ。
その時だった。
フィルが枝を焼き菓子屋さんの中まで伸ばす。
さわ。
トーマスさんの頭をつついた。
「ん?」
もう一度、つん、とつつく。
「なんだ?」
フィルはさらに枝を伸ばす。
そのまま焼き立てのクッキーを一枚つまみ上げた。
「あっ!」
私は思わず声を上げる。
フィル、お店の商品を勝手に取っちゃ駄目!
慌てて止めようとすると——。
フィルはそのクッキーを、私の口元へ差し出した。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
トーマスさんが吹き出す。
「がはははは!こいつ分かってるじゃねぇか!自分で食わねぇのか!」
フィルは、さわさわと嬉しそうに葉っぱを揺らした。
私はクッキーを受け取り、小さく笑う。
「ありがとう、フィル。あ、ごめんなさいトーマスさん」
「良いってことよ!それより嬢ちゃん、俺はフィルが気に入ったぜ!俺のクッキーが好きなやつに悪いやつはいねぇ!」
その言葉に応えるように、枝葉が優しく揺れた。
リーヴェ村には、今日も穏やかな笑い声が響いた。
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