第77話 再生への号砲、王国の新たな選択。
北方の空を焼き尽くしていた不気味な紫の閃光が消え、ようやく世界に平穏な光が戻ってきた。だが、その静寂はかつての日常とは決定的に異なっていた。エルフの国が誇った至宝、ユグドラシル国定公園は、身勝手な欲望の結果として見るも無惨な枯れ木へと成り果て、周辺の土地は暴走した魔力によって汚染され、立ち入ることすら困難な禁域へと変わってしまったのである。
(フム。演算通りではあるが、これほどまでに脆いものか。……形だけを模倣し、中身の伴わない偽物の楽園が崩れるのは、必然だったと言えるな)
俺はコアルームで、地脈の乱れが収まっていくのを観測していた。わが迷宮は、押し寄せる災厄をすべてその堅牢な外壁で受け流し、避難していたすべての人々を、指一本触れさせることなく守り抜いた。その事実は、瞬く間に王都へと伝わり、人々の迷宮に対する認識を根底から塗り替えようとしていた。
王都の王宮では、シルフィア王女が毅然とした態度で重鎮たちの前に立っていた。
「皆様、もはや議論の余地はありません。今回の件で、誰が真に信頼に値するのかが証明されました。……粗悪な薬で人々を欺いたクイック・ブースト、そして利権のために偽の情報を流布した香水師ギルド。これらはすべて、わが国の法に則り、厳格に処断いたします」
彼女の宣言に、反対する者は一人もいなかった。それどころか、王国は正式に「火熱の迷宮」を国策のパートナーとして認定することを決定したのである。これまでのように、ただの「危険な魔境」として扱うのではなく、王国の経済と安全を支える「聖域」として共生する道を選んだのだ。
迷宮の入り口では、避難していた人々が、名残惜しそうに第1層を後にしていた。
「おい、本当に助かったぜ。……今まで迷宮なんてただの稼ぎ場だと思ってたけど、あんな嵐の中でも、ここだけは驚くほど静かで、温かい飯まで出してくれるなんてな。……また明日、今度は客として来るよ」
一人の冒険者が、照れくさそうにザックに語りかけた。ザックはいつもの不敵な笑みを浮かべ、無造作に手を振る。
「ああ、歓迎するぜ。……次はちゃんと、高い金を落としていってくれよな」
テオやリナ、そしてアムネもまた、人々の感謝の声に見送られていた。かつては恐怖の対象であった迷宮の眷属たちが、今や人々に愛される「守護者」として認められつつある。その光景は、俺がこれまで積み上げてきた演算の、一つの結実でもあった。
(フム。外敵は排除され、信頼という名の地盤も固まった。……さて、次はさらに深い階層の解放と、人族の限界を超えた新たな安らぎの創造へと、演算をシフトさせるとしようか)
俺は、満ち足りた満足感とともに、コアの輝きを穏やかな深緑色へと変えた。王国との新たな契約、そして人々の信頼。これからの未来は、より盤石なものになるはずだ……。
だが。
迷宮の主である俺の、神にも等しい演算能力ですら、決して感知することのできない領域が存在した。
次元の狭間、この世界の理すらも歪めるような、底知れぬ闇の奥底。
そこには、一対の禍々しい瞳が浮かんでいた。
「……く、くくく。面白い。実に面白いではないか」
それは、声ともつかぬ、魂を直接揺さぶるような震え。
人族を嘲笑い、エルフの傲慢を鼻で笑い、そして迷宮という新たな法則を作り上げようとしている俺の存在すらも、手のひらの中の玩具であるかのように見据える者。
「安らぎの聖域、か。……だが、光が強まれば強まるほど、そこから生まれる絶望の味は格別なものになる。……育てよ、迷宮の主よ。お前が積み上げたすべてを、私が最高のタイミングで踏みにじってやろう」
魔王。
この世のあらゆる負の感情を統べる絶対者が、その不敵な笑みを深く刻んでいた。
俺が築き上げた盤石の秩序。その裏側で、回避不能な破滅の秒読みが、すでに始まっていることなど、今の俺には知る由もなかったのである。
ご拝読ありがとうございます。ついに王国とのパートナー契約まで上り詰めたFランクダンジョン(ギルド等級ではAランク)。めでたい裏側で、誰にも気づかれることなく不穏な展開が進行中……。
さて次回からは、第八章『終焉の胎動、侵食される聖域。』編へと移り、第78話『魔王の胎動、迫りくる見えざる脅威』をお送りいたします。お楽しみに!!




