第75話 ユグドラシル崩壊、暴走する「模倣」の迷宮。
その日は、晴天であった。だが、大気が孕む魔力は粘りつくように重く、不吉な静寂が世界を支配していた。そして正午、ついに均衡は破られた。
北方の空が、どす黒い紫色の閃光とともに引き裂かれたのである。
「コア様……! 来ちゃった、大地の悲鳴が爆発したんだ!」
アムネが叫ぶのと同時に、地響きのような震動がわが迷宮を襲った。それは地震ではない。エルフたちが無理やり地脈を捻じ曲げた結果、行き場を失った膨大な魔力が逆流し、ユグドラシル国定公園の心臓部で暴走を始めた合図であった。
(フム。演算通りだな。自然の循環を無視した過剰な集客、あるいは水源を独占しようとした身勝手な魔術行使。……それらすべての歪みが一気に噴出したか)
俺はコアルームから、北方の様子を観測していた。かつては美しく輝いていたはずの国定公園のユグドラシルは、今や醜く膨れ上がり、その枝先からは精霊ではなく、魔力に狂った怪物たちが次々と産み落とされていた。
おもてなしの舞台は、一瞬にして地獄の底へと変貌したのだ。
その頃、崩壊する国定公園の中央では、エルフの使節団長が呆然と立ち尽くしていた。
「な、なぜだ……。わが国の至宝たる魔術で制御していたはずだ! なぜ聖樹が魔物を生み出す!? 鎮圧しろ! 魔法騎士団、何をしている!」
「団長、無理です! 聖樹自体が迷宮化し、私たちの命令を聞きません! それに、逃げ遅れた人族の観光客たちが魔物に襲われて……っ、もう手が付けられません!」
団長が誇っていた騎士たちは、自分たちが生み出した「模倣の迷宮」の暴走の前に、なすすべもなく敗走を始めていた。伝統という名の傲慢が、守るべき客を最大の危機に晒したのである。
一方で、わが迷宮の入り口にも、その余波は届いていた。暴走した魔力に引き寄せられた野良の魔物たちが、飢えた獣のように押し寄せてくる。
「リナ、第1層の防壁をさらに二重に展開しろ。……迷宮内に一匹たりとも侵入させるな。ここは、逃げ込んできた人々を守るための最後の砦だ」
俺は念話で、迷宮の入り口に立つリナへ鋭く指示を出した。
「わかってるわ! 全員、私の後ろに下がりなさい! ここは『おもてなし』の聖域よ。土足で踏み込もうとする野良犬は、私が一匹残らず斬り伏せる!」
リナの剣が閃き、迫りくる魔物たちを次々と薙ぎ払っていく。その戦いぶりは、まさに聖域の守護者そのものであった。
「テオ、避難してきた人々に温かい飲み物と毛布を配れ。……彼らは、エルフの国でもてなされるはずだった客だ。今この瞬間、誰が本当の守護者であるかを、その身で理解してもらう」
「承知いたしました、主様。あちらで『本物の自然』を求めた方々が、結局はわが迷宮に救いを求めていらっしゃるとは……」
テオは混乱の中でも冷静に立ち回り、恐怖に震える人々を第2層の安全な食堂へと導いていった。
(フム。エルフたちは勝つために禁忌を犯し、結果としてすべてを失おうとしている。……彼らが模倣したのは形だけであり、迷宮の主としての『責任』までは真似できなかったようだな)
俺はコアを、周囲の魔力の乱れを沈静化させるための、深い鎮魂の青色に発光させた。
北方の空では、いまだに黒い魔力の渦が荒れ狂っている。エルフの国という巨大なライバルが自ら招いた、破滅の光景だ。
「アムネ、お前はここで魔力の安定に努めろ。……あちらの精霊たちが完全に消滅しないよう、わが迷宮の地脈を通じて、微かな魔力を送り続けるのだ」
「……うん。コア様、ありがとう。……でも、あんなに酷いことをした人たちだけど、……助けなくていいの?」
「助ける必要はない。……だが、彼らが自らの犯した罪と向き合う時間は、俺が作ってやろう」
俺は、コアルーム全体に響くほど揺るぎない覚悟を込めた念話で答えた。
ライバルの自滅は、わが迷宮の勝利を意味するが、それは同時に、俺が「唯一の聖域」としての重責を背負い、押し寄せる災厄からすべてを護り抜くことでもあった。
(エルフたちよ。自慢の公園が崩れゆく中で、せいぜい己の浅ましさを呪うがいい)
俺はさらに演算速度を上げ、迷宮全域の防衛密度を極限まで高めていった。崩壊する模倣の迷宮と、それを見据える本物の迷宮。真の勝者が誰であるかは、もはや明白であった。
ご拝読ありがとうございます。今回ばかりは厳しく対処すると決めたようですね。いたしかたなし。
さて次回は、第76話「守護者の決断、模倣への審判」をお送りいたします。お楽しみに!!




