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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅲ 熾火
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Episode 4 宿痕開裂 -Scars Torn Open- Part 5

「コンラート!」


 エルザの声が、戦場の喧騒を裂いた。

 ユリウスには、すぐに二人の姿が見えなくなった。

 飛び散った粉塵と、逃げ惑う兵士。その間を縫うようにマローダーが走り、開け放たれた操縦席を目指していた。


 銃声が重なる。

 誰がどこを撃っているのか分からない。

 倒れた敵の背からスプロウトが散り、地面を這う小さな影へ歩兵が火を浴びせる。

 休憩のため地上へ降りていた搭乗員たちは、一斉に自機へ戻ろうとしていた。

 だが、敵はそれを許さなかった。

 明らかだった。

 オルドではない。

 その中へ戻ろうとする人間を狙っている。


「右!」


 リカルドの声。

 ユリウスが振り向く。

 一体のマローダーが整備車両を飛び越えた。

 腕とも触手ともつかないものが伸びる。

 ユリウスは地面へ転がった。

 頭上を何かが通過する。

 直後、乾いた連射音。

 マローダーの身体が横へ弾けた。


「立て!」


 リカルドに腕を掴まれる。

 立ち上がる。

 足が痛んだ。

 構っている暇はない。


「リリィは!」

「通信車だ!」


 見る。

 装甲化された通信車両の陰で、リリィが無線機へ向かって叫んでいる。


『こちら前進支援部隊! 車両組立工場で敵襲! 小型種多数、スプロウト確認! 搭乗員が狙われています!』


 返答は雑音に掻き消された。


『繰り返します! 搭乗員が──』


 爆発。

 通信車両が揺れる。

 リリィが身を伏せた。

 ユリウスはそちらへ走ろうとして、止まる。

 エルザ。

 コンラート。

 さっき二人がいた場所を見る。

 いない。

 血の跡だけが残っている。

 それが工場棟の陰へ続いていた。


「……コンラート」


 向かおうとした。


「行くな!」


 エミールが怒鳴った。


「今そこを離れたら死ぬぞ!」

「でも!」

「生きてる奴を先に守れ!」


 また正しい。

 こんな時に限って、正しい言葉ばかりが邪魔をする。

 ユリウスは歯を食いしばった。


     〇


 戦闘は、数分で終わる気配を見せなかった。

 むしろ時間が経つほど、敵は増えているように感じられた。

 一体を倒せば、建物の陰から二体。

 二体を撃てば、今度は屋根の上。

 どこに潜んでいたのか。


 無人偵察機にも、歩兵の捜索にも引っかからなかった個体が次々と現れる。

 敵は最初からここにいた。

 そうとしか思えない。

 安全だと判断されるまで。

 兵士が武器を下ろすまで。

 操縦士が装甲の外へ出るまで。

 待っていた。


『南側突破される!』

『予備を回せ!』

『無理だ、東側も接敵!』

『オルドを起動しろ! 一機でもいい!』


 無線が怒号で埋まる。

 ようやく搭乗できた一機が立ち上がった。

 機関砲が火を噴く。

 マローダーの群れがまとめて砕けた。

 状況が変わる。


 たった一機。

 それだけで敵の動きが明らかに鈍った。

 オルドの装甲へ小型種が飛びつく。

 腕を叩きつける。

 触手を巻きつける。

 それでも外殻を破れない。

 機体が腕を振るう。

 二体が壁へ叩きつけられた。


 ユリウスはそれを見て、敵の狙いを改めて理解した。

 オルドへ乗らせない。

 そのための襲撃だった。


 遠くから砲声がした。

 最初は敵だと思った。

 違った。

 もっと重い。

 続けてもう一発。

 工場敷地の北端で爆発が起き、そこに密集していたマローダーがまとめて吹き飛ぶ。


『識別信号確認!』


 通信兵が叫ぶ。


『味方です! 南西よりオルド部隊接近!』


 ユリウスが顔を上げた。

 工場棟の向こう。

 夕方の傾き始めた光の中から、複数の機影が現れる。

 一機。

 二機。

 その後ろにも続く。


 先頭機が止まることなく射撃した。

 狙いは正確だった。

 味方の配置を避けながら、敵だけを削っていく。


『前進支援部隊へ。こちらレイヴンズ・コール』


 聞き覚えのある声だった。


『よく持たせた。後はこっちで引き受ける』


 ヴィクトル。

 ユリウスの周囲で、誰かが大きく息を吐いた。

 助かった。

 そう思ったのはユリウスも同じだった。


『第一、第二小隊は北側を塞げ。歩兵を食わせるな。第三は西へ回れ』


 命令が淀みなく飛ぶ。

 到着したオルドが散開する。

 それまで好き放題に走り回っていたマローダーの動線が、一つずつ潰されていく。

 機関砲。

 爆発。

 駆動音。

 工場敷地が再び震え始めた。


『右から来る!』


 別の声。

 ユリウスは反射的にそちらを見る。

 一機のオルドが、資材置場へ飛び込んできたマローダーを撃ち抜いた。

 機体の動きに見覚えがある。

 銃口が次の敵へ向く。

 射撃。

 さらに一体。


『ユリウス、聞こえる!?』


 クラリスだった。


「クラリス?」

『無事なの!?』

「今は!」

『今はじゃなくて!』


 銃声が重なる。


『そこから動かないで!』

「戦闘中だろ!」

『だから言ってるの!』


 返事をするより先に、クラリス機は別方向へ駆けていった。

 敵の群れへ真正面から突っ込む。

 ユリウスは一瞬だけ、その背中を見送った。

 安心する暇はなかった。

 コンラートがいない。

 エルザも。


「リリィ!」


 通信車へ走る。


「二人の位置は?」

「探しています!」


 リリィは複数の回線を切り替えていた。


「個人端末の反応が弱いです。工場棟の西側……たぶん、この辺り」


 地図上を指す。

 建物と資材置場の間。

 戦闘の中心から外れている。

 だが安全ではない。


「救助を」

「今は回せません!」


 ユリウスが歯を噛む。


「なら俺が」

「駄目です」

「でも」

「コンラートに言われたでしょう」


 手が止まった。


「自分の仕事だけ考えろって」


 リリィは画面から目を上げなかった。

 ユリウスは何も返せなかった。


     〇


 工場棟の西側には、戦闘の音が届いていた。

 けれど、それはずっと遠くで鳴っているように聞こえた。

 崩れかけた壁の陰。

 積まれた鋼材と、使われなくなった搬送設備に囲まれた狭い空間。

 エルザはそこで膝をついていた。

 両手は血に濡れている。

 押さえても、止まらない。

 コンラートの脇腹から流れた血が、操縦服を黒く染めていた。


「動かないで」


 声が震えた。


「動いてねえよ」

「喋らないで」

「それは無理だ」

「黙って!」


 エルザは包帯を押し当てる。

 さらに圧迫する。

 コンラートが僅かに顔を歪めた。


「痛い?」

「そりゃ痛えよ」

「なら黙ってて」

「さっきからそればっかりだな」


 遠くで爆発。

 壁の埃が落ちる。

 エルザは気づかない。

 手元だけを見ていた。


「衛生兵が来るから」

「来ねえよ」

「来る」

「今、外がどうなってると思ってる」

「来るって言ってるでしょ!」


 声が裏返った。

 コンラートは黙った。

 エルザの手が震えている。

 包帯を巻き直そうとして、上手くいかない。

 指が滑る。


「何で」


 小さな声。


「何であんなことしたの」

「何が」

「私を庇った」

「近かったからだ」

「嘘」


 即答だった。

 コンラートが目を逸らす。


「またそれ」

「……」

「ずっとそう。何も言わない。聞いても逃げる。勝手に謝って、勝手に終わらせて」


 コンラートの呼吸が少しだけ浅くなった。


「今はいいだろ」

「よくない」

「よくしろ」

「できるわけない!」


 銃声。

 今度は近い。

 エルザが拳銃へ手を伸ばしかける。

 コンラートが手首を掴んだ。


「待て」

「敵が」

「違う」


 耳を澄ます。

 外で何かが動いている。

 だがこちらへ来る気配はない。

 戦闘の流れは別方向へ移っているようだった。

 コンラートは手を離した。


「……エルザ」

「何」

「今のうちに聞け」

「だから、あとで」

「あとじゃ遅い」

「やめて」


 エルザが顔を上げた。

 その言い方の意味くらい、分かっていた。


「やめてよ」

「聞け」

「嫌」


「お前の姉さんのことだ」


 時間が止まったようだった。

 外ではまだ誰かが叫んでいる。

 機関砲が断続的に響き、オルドの駆動音が地面を震わせている。

 それでも二人の間だけは、奇妙なほど静かだった。

 コンラートは途切れ途切れに話した。


 昔のこと。

 エルザがまだ知らなかったこと。

 帰ってきたのが自分一人だった理由。

 誰が誰を置いていったのか。

 誰が最後に残ることを選んだのか。

 エルザは何度か首を振った。

 途中で否定した。

 嘘だと言った。


 コンラートはそれでも続けた。

 声が弱くなるたび、エルザはもう喋るなと言った。

 それでも止めなかった。

 何年も口にしなかったことを、その短い時間の中ですべて吐き出すように。

 やがてエルザは何も言わなくなった。

 両手だけが、傷口を押さえ続けていた。


「……じゃあ」


 しばらくして、掠れた声が落ちた。


「じゃあ、私……」


 続かなかった。

 コンラートは目を閉じる。


「お前は悪くない」

「言わないで」

「エルザ」

「それ以上、言わないで」


 彼女の頬を何かが伝った。

 汗なのか、涙なのか、自分でも分からなかった。


「何で今なの」

「今しかねえからだ」

「だったらもっと前に言えばよかったじゃない!」

「ああ」

「何で!」

「言えなかった」

「そんなの……」


 エルザの声が詰まる。


「そんなの、知らないよ」

「そうだな」

「知らない」

「ああ」

「今さら、そんなこと言われても……」


 コンラートは何も返さなかった。

 もう返す言葉がないようにも見えた。

 夕日が崩れた壁の隙間から差し込んでいる。

 赤い光が、埃の中を細く伸びていた。

 その光が二人の間に落ちる。

 遠くでは、まだ戦争が続いていた。


     〇


『北側、押し返せ!』

『小型種後退!』

『追うな、隊形維持!』


 ヴィクトルの指揮で戦線は急速に立て直されていた。

 主力が揃えば、状況は違った。

 オルドが戦線を形成し、その後ろへ歩兵を戻す。

 地上へ残されていた搭乗員も次々と救出される。

 敵は一体ずつ撃破され、あるいは工場区の奥へ退いていった。

 それでもユリウスの胸のざわつきは消えなかった。


「西側は?」


 何度目か分からない。


「まだ」


 リリィも同じ答えを返す。


「通信は?」

「繋がりません」


 ユリウスは拳を握った。

 そこへ一機のオルドが着地するように止まった。

 装甲が開く。

 クラリスが降りてくるより先に叫んだ。


「ユリウス!」

「何してるんだ!」

「それはこっちの台詞!」

「まだ終わってない!」

「だから確認しに来たの!」


 地上へ飛び降りようとして、近くの兵士に止められる。

 クラリスは露骨に不満そうな顔をしたが、すぐに再び操縦席へ戻った。


「そこにいて!」

「分かったから戻れ!」

「絶対だからね!」


 装甲が閉じる。

 また戦場へ戻っていく。

 ユリウスはその姿を見送りながら、短く息を吐いた。

 生きている。

 今は、それだけでよかった。

 けれど同時に思う。

 コンラートも。

 エルザも。

 まだ生きているのか。


     〇


「立てるか」


 コンラートが言った。

 エルザは答えなかった。


「エルザ」

「……何」

「行け」


 彼女が顔を上げる。


「どこに」

「味方のところだ」

「一緒に行く」

「無理だ」

「肩貸す」

「無理だって言ってる」

「やってみなきゃ分からない!」

「俺が一番分かってる」


 コンラートは自分の傷を見た。

 包帯は既に赤く染まりきっている。

 エルザも見た。

 見てしまった。

 それでも首を振る。


「置いていかない」

「置いてけ」

「嫌」

「命令だ」

「あなたに命令される理由なんてない」


「じゃあ頼む」


 言葉が止まった。

 コンラートが初めて、まっすぐ彼女を見る。


「行ってくれ」


 エルザは動かなかった。

 遠くの喧騒が少しずつ近づき、また遠ざかる。

 戦線が動いている。

 いつ敵がここへ来てもおかしくない。


「……嫌」

「エルザ」

「また一人で決めるの」

「今度は違う」

「何が」

「お前を生かすためだ」


 エルザの顔が歪んだ。


「その言い方、やめて」


 コンラートは僅かに笑った。


「俺も昔、そう思った」

「……」

「だから分かる」


 エルザは唇を噛んだ。

 何も言えない。


「それと」


 コンラートが続ける。


「ハルトマンに伝えてくれ」

「ユリウスに?」

「ああ」


 呼吸を整える。

 ほんの短い言葉なのに、少し時間がかかった。


「……それだけ?」

「それだけだ」


「どういう意味」

「知らん」

「何それ」

「本人に考えさせろ」


 ほんの少し、いつものコンラートらしい声だった。

 エルザは泣きながら笑いそうになり、それすらできなかった。


「行け」

「……」

「早く」


 エルザは立ち上がった。

 一歩。

 また一歩。

 振り返る。


「コンラート」


 彼が顔を上げる。

 それまで彼女が滅多に呼ばなかった名前だった。


「……何だ」


 何か言おうとした。

 けれど、結局言葉にはならなかった。

 エルザは背を向けた。

 走り出す。

 振り返らなかった。


 コンラートはその背中が見えなくなるまで、黙っていた。


     〇


 夕日は、工場の屋根へ触れようとしていた。

 空が赤い。

 火災の煙も赤く染まり、遠くを走るオルドの影が黒く浮かんでいる。

 戦闘はまだ続いていた。


 機関砲。

 爆発。

 怒号。

 無線。

 誰かが走る音。

 金属が崩れる音。

 世界中の音が、一つの場所へ押し込められたようだった。


 その中で、コンラートの周りだけが静かだった。

 もう立てない。

 呼吸も浅い。

 拳銃を抜く。

 手が上手く動かなかった。


 一度落としかけ、握り直す。

 瓦礫の向こうで、小さな音がした。

 何かが這う音。

 見なくても分かった。

 それでもコンラートはそちらを見る。

 黒い、小さな影。

 一つ。

 その後ろにも。


 スプロウト。

 コンラートはしばらくそれを見ていた。

 恐怖がなかったわけではない。

 ただ、それよりも先に決めていたことがあった。


 拳銃を持ち上げる。

 遠くでオルドの機関砲が鳴った。

 空が赤い。

 妙に綺麗だった。

 コンラートは一度だけ目を閉じた。




 その頃、エルザは工場棟の間を走っていた。

 呼吸が苦しい。

 足が重い。

 周囲では兵士たちが叫び、オルドが敵を追い立てている。

 誰かに止まれと言われた気がした。

 聞こえなかった。

 ただ走った。

 前だけを見て。

 振り返らずに。


 その時。


 一発の銃声が響いた。


 機関砲より小さく。

 爆発より乾いていて。

 戦場の喧騒に呑まれてしまいそうな、短い音だった。


 エルザの足が止まった。


 夕焼けの下では、まだ戦闘が続いていた。


 けれど彼女には、その一発だけがいつまでも消えずに残っていた。

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