Episode 4 宿痕開裂 -Scars Torn Open- Part 3
午後に入ってからも、前線は止まらなかった。
旧工業区の南側を抜けた部隊は、そのまま貨物線に沿って北へ進出した。左右には工場棟と倉庫が密集し、その間を大小の配管や搬送設備が縫うように走っている。
道幅そのものは広い。
だが、一歩脇へ入れば視界はすぐに遮られた。
五メートルを超える敵性体が自由に動き回るには狭すぎる場所が多く、これまで確認された中型種の姿もない。
代わりに現れるのはマローダーだった。
倉庫の屋根。
貨車の陰。
破損した配管の中。
どこに潜んでいたのか分からない場所から数体ずつ姿を見せ、そのたびに前衛へ攻撃を仕掛けてくる。
しかし、それだけだった。
『正面二、右側一』
『確認』
オルドの機関砲が短く火を噴く。
二体が倒れた。
残った一体は撃ち返すこともなく、建物の隙間へ姿を消した。
『追うな。そのまま前進』
命令が飛ぶ。
歩兵が周辺を確認する。
敵影なし。
数分後には再び車列が動き始める。
それが何度も繰り返された。
マローダーは厄介だった。
動きは速く、隠れる場所を選び、こちらの死角へ回ろうとする。
スプロウトを抱えた個体もいた。
だが、相手がオルドである限り、小型種だけで決定的な損傷を与えることは難しい。
触手が装甲を叩く。
鋭い腕部が外装を引っ掻く。
それでも、硬い外殻の表面に傷を残す程度で終わる。
操縦席まで届かない。
オルドが一度振り向けば、逆に敵の側が一瞬で吹き飛ばされた。
初めのうちこそ慎重だった新兵たちも、その事実を身体で覚え始めていた。
『近すぎるぞ、五号機』
無線からコンラートの声が聞こえた。
『大丈夫です。もう落としました』
若い操縦士の返事。
『そういう問題じゃねえ。見えてる奴だけ見てると横から来るぞ』
『了解』
返事は素直だった。
それでも声音には余裕があった。
数日前までなら、敵影という言葉だけで無線が慌ただしくなっていた。
今は違う。
小型種が二体。
三体。
その程度なら、報告する声すら落ち着いている。
ユリウスは整備車両の荷台から、その変化を何度か耳にしていた。
悪いことではない。
戦場に慣れること自体は必要だった。
何に怯えるべきで、何なら対処できるのか。
それを理解しなければ、いつまでも身体は動かない。
だが、その慣れ方に、何かが混じっている気がした。
〇
十三時過ぎ、一度目の長い停止が入った。
前方の道路を塞いでいた貨車を工兵が移動させるためだった。
先行部隊はその場で警戒。
後方支援も順次追いつく。
安全確認が終わった区画には、整備車両と補給車が入り始めた。
ユリウスも工具を抱えてオルドの列へ向かった。
損傷確認。
ほとんどが軽微だった。
装甲表面の傷。
破損した外部センサー。
マローダーの触手が引っ掛かったらしい配線カバー。
いずれも戦闘継続には問題がない。
「また外装だけか」
エミールが傷を指でなぞった。
「中まで行ってません」
「これなら交換もいらんな」
ユリウスも頷く。
実際、その通りだった。
整備班がやることは減っている。
これほど何度も敵と接触しているのに、大掛かりな修理はほとんどない。
「前より楽ですね」
近くにいた若い整備兵が言った。
「縁起でもないこと言うな」
エミールが即座に返す。
「楽だと思った時が一番面倒なんだよ」
「でも実際、壊れてないですよ」
「壊れてないのと壊れないのは別だ」
整備兵は肩を竦めた。
ユリウスはその会話を聞きながら、外装を閉じた。
言っていることは分かる。
だが、目の前の結果だけを見れば、若い兵士の方が正しかった。
壊れていない。
死者も少ない。
敵は退いている。
作戦は進んでいる。
警戒し続けろと言われても、何を警戒すればいいのか分からなくなるほどに。
少し離れた場所で、オルドの操縦席が開いた。
一人の操縦士が上半身を外へ出している。
まだ完全な休憩命令は出ていない。
「おい」
コンラートの声が飛んだ。
「閉めろ」
操縦士がこちらを見る。
「周辺確認は終わってますよ」
「警戒解除とは言われてない」
「でも敵影なしって」
「だから何だ」
若い操縦士は一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに操縦席へ戻った。
装甲が閉じる。
コンラートはそれを確認してから歩き去った。
ユリウスは、その様子を見ていた。
以前なら、あんなことをする者はいなかった。
戦闘区域で操縦席を開ける。
それ自体が危険だということは、新兵でも知っている。
ただ、今いる場所は既に制圧された区画だった。
歩兵の確認も済んでいる。
敵影なし。
無人機にも反応なし。
なら、ほんの少し外気を入れるくらい。
そう考えること自体は、不自然ではない。
「暑いんでしょうね」
後ろからリリィの声がした。
いつの間にか通信端末を抱えて立っていた。
「操縦席?」
「はい。駆動中はかなり熱が籠もるそうですから」
「だからって開けるか?」
「開けません。普通は」
リリィは淡々と答えた。
その言い方に、ユリウスは少しだけ引っかかった。
「普通は?」
「増えています」
「何が」
「警戒解除前に搭乗員が操縦席を開けることです」
ユリウスは先ほどの機体を見る。
既に閉じられている。
「注意されてるのか」
「その都度」
「なら問題ないだろ」
「今は」
短い答えだった。
リリィはそれ以上何も言わず、通信所へ戻っていった。
ユリウスはしばらくその背中を見送った。
〇
十四時を過ぎると、敵の姿はさらに減った。
時折、遠くでマローダーが確認される。
だが交戦する前に退いていく。
こちらから追わなければ、そのまま姿を消した。
敵性信号も一度だけ検出された。
短い。
以前と同じ、声とも雑音ともつかない音だった。
『記録完了』
『変化は』
『ありません』
『敵の動きは』
『前方に小型種三。北へ移動しています』
『追跡は』
『無人機で継続』
人間なら何かを伝えたのだろうか。
あるいは、本当に何の意味もない音なのか。
ユリウスには分からない。
ただ、信号のあとに敵が退く。
最近はその組み合わせをよく見る気がした。
前へ進めば、敵は下がる。
また進めば、また下がる。
そして一定の距離だけ離れた場所で、再び姿を見せる。
戦えば勝てる。
追えば逃げる。
追い詰めようとすると、さらに奥へ消える。
こちらが前へ進むために、必要な分だけ敵が残っている。
そんな考えが浮かんだ。
ユリウスは自分で打ち消した。
考えすぎだ。
敵が後退しているだけなら、何もおかしくない。
戦力差がある。
こちらにはオルドがいる。
小型種だけなら正面から勝つのは難しい。
退くのは合理的だった。
では、なぜ中型種がいない。
そこで思考が止まった。
旧工業区は狭い。
巨大な敵性体には動きにくい地形だ。
説明はつく。
開けた場所に出せば、今度はオルドの集中射撃を受ける。
それも分かる。
ならば敵は不利なだけなのか。
それなら、この順調さにも説明がつく。
つくはずだった。
なのに違和感は消えなかった。
〇
十五時前。
さらに一つの区画が制圧された。
古い車両組立工場だった。
広い敷地を持つ施設で、中央には搬入口と資材置場がある。その周囲を三棟の工場建屋が囲んでいた。
先行した歩兵が内部を確認。
無人機も投入された。
熱源反応なし。
敵影なし。
残留スプロウトも確認されない。
ほどなくして、区画は安全と判定された。
オルドが資材置場へ入る。
補給車が続く。
後方支援も進出する。
ユリウスが到着した時には、既に何人かの操縦士が機体から降りていた。
給水。
生理的な休憩。
整備兵との簡単な打ち合わせ。
ごく普通の光景だった。
安全が確認された場所なら、何も問題はない。
エルザも操縦席を開けた。
昇降用の足場を使い、地上へ降りる。
少し遅れてコンラートも機体から出てきた。
ユリウスは二人を見た。
エルザはコンラートを一度だけ見たが、すぐに視線を逸らす。
コンラートも声はかけない。
昨日までと同じだった。
ただ、今日は二人の周りにいる兵士たちの方が違っていた。
笑い声がある。
誰かが携行食を開けている。
機体の陰で煙草に火を点けようとして、下士官に止められている者もいた。
数日前まで、敵の支配地域だった場所。
昨日なら、誰も壁へ背を預けようとはしなかった。
今は違う。
前方ではまだ戦闘が続いている。
それでもここは安全だ。
そういう空気が、いつの間にか出来上がっていた。
ユリウスも、それを不自然だとは思わなかった。
歩兵が確認した。
無人機も確認した。
警戒線も外側へ移っている。
ならば安全だ。
そうでなければ、整備班だってここまで入ってこない。
「ハルトマン」
コンラートが呼んだ。
「こいつ見てくれ」
自分の機体を指している。
「どこです?」
「右脚。さっきから少し引っ掛かる」
「異音は?」
「ない」
「動かしてください」
ユリウスは工具を持って機体へ近づく。
コンラートもその後ろを歩く。
数メートル離れた場所では、エルザが水筒を口へ運んでいた。
銃を持ってはいる。
だが構えてはいない。
それは当然だった。
ここはもう、安全が確認された区画なのだから。
ユリウスはしゃがみ込み、コンラート機の脚部を覗いた。
その時、無線機から短い音が漏れた。
あの信号だった。
ひどく短い。
一秒か、二秒。
誰かが気に留めるより先に消えた。
「またか」
ユリウスが顔を上げる。
「何がだ?」
「敵の信号」
コンラートも通信機へ目をやった。
だが警報は鳴らない。
周囲の兵士も動かない。
しばらく待っても、敵影の報告はなかった。
「誤検知じゃねえのか」
「かもしれません」
ユリウスは再び機体へ視線を戻した。
結局、そのまま何も起きなかった。
数分後には、誰もその信号を気にしていなかった。
ユリウスもまた、脚部の点検を続けた。
安全が確認された場所で。
いつものように。




