Episode 4 宿痕開裂 -Scars Torn Open- Part 2
旧工業区へ入ってから、先行部隊の速度は目に見えて落ちた。
理由は単純だった。
敵がいた。
最初に接触したのは、道路沿いに並ぶ倉庫群だった。
無人偵察機が建物の内部に弱い熱源を捉え、歩兵が周囲へ展開する。外から見える範囲には何もない。入口は半開きのまま、窓ガラスのほとんどが割れている。
それでも、誰も不用意には近づかなかった。
静かすぎる。
その感覚は、ユリウスにも分かった。
整備車両は二つ手前の交差点で停止していた。戦闘部隊との距離は十分にある。それでも、建物の向こうから響く駆動音や無線の内容までは届いてくる。
ユリウスは荷台の縁に腰を置き、前方を見ていた。
『第一班、東側から回る』
『了解。二班は正面維持』
『窓に動きあり。二階中央』
その直後、銃声が響いた。
一発。
続いて数発。
歩兵が遮蔽物へ身を伏せる。
倉庫の二階から何かが落ちた。
人影に近い。
だが、落下する途中で四肢を伸ばし、そのまま壁面へ張りつく。
マローダー。
さらに二体。
窓ではなく屋根から降りた。
正面へ注意を向けた歩兵の側面を取るように動いている。
『右!』
警告と同時にオルドが射撃した。
一体が吹き飛ぶ。
残った二体は左右へ分かれた。
仲間が撃たれたことには何の反応も示さない。
一体は遮蔽物へ。
もう一体は倒れた歩兵へ向かった。
人間なら、まず敵の火力を避ける。
だがそいつは違った。
伏せた兵士ではなく、負傷して動けない一人へ一直線に走っている。
『そいつを近づけるな!』
歩兵の小銃が火を噴いた。
弾丸を受けてもマローダーは止まらない。
身体を捩り、這うように進む。
背部が開いた。
そこから小さな黒い塊がいくつも零れ落ちる。
「スプロウト」
誰かが呟いた。
ユリウスも見えた。
小さすぎて、遠目には地面を這う影にしか見えない。
それでも前線の反応は速かった。
焼夷弾。
火炎。
地面を走っていた影がまとめて炎に包まれる。
マローダーもその直後に倒された。
戦闘は一分も続かなかった。
敵は全滅。
味方の負傷者は一名。
死者はいない。
「……早いな」
ユリウスが呟く。
隣で部品箱を整理していたリカルドが顔を上げた。
「何がだ」
「制圧まで」
「悪いことじゃない」
「そうですけど」
前方では歩兵が倉庫へ突入していた。
銃声が二度。
それきり静かになる。
また前進命令。
車列が動き出した。
ユリウスは立ち上がり、揺れる荷台の手すりを掴んだ。
何かが引っかかる。
今の戦闘ではない。
もっと前から。
今回の作戦が始まってから、ずっと頭の隅に残っていたものだった。
だが、まだ言葉にはできなかった。
〇
その後も敵との接触は続いた。
一度目は貨物線沿い。
線路脇に放置された貨車の下からマローダーが現れた。
二度目は旧変電所。
屋上に潜んでいたバンシーが、進出したオルドへ中距離射撃を浴びせた。
三度目は工場と工場を繋ぐ配管通路。
歩兵が通過した直後、後方からマローダーが現れた。
どれも単独ではない。
こちらが一方向へ火力を集中すれば、別の場所から出る。
前衛を止めれば後衛を狙う。
負傷者が出れば、それを利用しようとする。
正面から力任せに襲ってくることはほとんどなかった。
敵は明らかにこちらの動きを見ていた。
いや。
見ている、という言い方ですら正しいのか分からない。
誰かが指示している様子はない。
それでも、複数の個体がそれぞれ別の場所で、まるで一つの作戦を共有しているように動く。
人間なら声を掛ける。
無線を使う。
合図を送る。
だが、奴らにはそれが見えなかった。
少なくとも、見える形では。
『敵性信号を検出』
通信担当の声が無線へ入った。
『帯域は』
『前回と同じです。変調あり。内容不明』
続いて、短い雑音が流れた。
聞き慣れた無線ノイズとは違う。
低い音と高い音が不規則に重なり、その間へ擦れた金属音のようなものが混じる。
声に聞こえなくもない。
だが、人間の喉から出ているとは思えなかった。
一定の区切りがあるようで、ない。
同じ音が繰り返されたようにも聞こえる。
ユリウスには何一つ分からなかった。
『記録だけ取れ。解析は後方へ回す』
『了解』
それだけで終わる。
兵士たちも既に慣れていた。
敵が時折、無線上に何かを出す。
分かっているのはそれだけ。
言葉なのか。
信号なのか。
そもそも敵が発しているのか。
それすら確定していない。
ただ、その音が流れた直後、貨物線の向こうに潜んでいたマローダーが一斉に動いた。
六体。
同時だった。
二体が正面。
二体が左右へ。
残りは後方へ回ろうとする。
明らかに役割が分かれている。
『正面は任せろ!』
オルドが射撃する。
一体が倒れる。
もう一体は遮蔽物へ飛び込んだ。
その間に左側の二体が建物へ入る。
右側は姿を消した。
『右が見えない!』
『二班、後方を警戒!』
命令が飛ぶより早く、コンラート機が後ろを向いていた。
同時にエルザ機が左側へ銃口を向ける。
互いに何も言わない。
それでも役割が分かれている。
敵と同じ。
そんな考えが一瞬浮かび、ユリウスはすぐに打ち消した。
違う。
こちらには経験がある。
訓練がある。
互いを知っているから、合わせられる。
では、向こうは。
何を共有している。
誰が考えている。
ユリウスがそう考えている間にも戦闘は終わった。
後方へ回ろうとした二体はコンラートが撃破。
建物へ入った二体は、エルザと歩兵が挟み込んだ。
残る正面の個体も撃破された。
味方の損害は軽微。
負傷者が二名。
いずれも自力で後送できる程度だった。
また勝った。
それも、ほとんど損害を出さずに。
ユリウスは眉を寄せた。
そこだった。
ずっと引っかかっていたものが、少しだけ形になった。
〇
正午前。
部隊は旧工業区南部の約半分を確保していた。
作戦計画より僅かに早い。
整備班にはいくつか軽微な修理依頼が来たものの、回収不能になったオルドは一機もない。
歩兵の損害も少ない。
負傷者は出ている。
それでも、戦線を維持できなくなるほどではなかった。
ユリウスは簡易整備所として使われている倉庫の中で、破損した装甲板の固定具を交換していた。
工具を動かしながら、何度も同じ数字を頭の中で比べていた。
戦闘回数。
敵との接触。
こちらの損害。
前進速度。
合わない。
どこかが。
「リリィ」
少し離れたところにいたリリィが振り返る。
彼女は通信端末を抱え、複数の部隊報告を整理していた。
「何ですか」
「今回の作戦、順調すぎないか」
リリィの手が止まった。
「どの辺りがです?」
「全部」
「それでは分かりません」
「敵はいる」
「いますね」
「待ち伏せもする。回り込んでくる。負傷者も狙う。さっきなんて後ろを取ろうとした」
「はい」
「なのに、こっちはほとんど削られてない」
リリィは何も言わなかった。
ユリウスは工具を置く。
「敵が弱いわけじゃない。むしろ前より嫌な動きをしてる」
「……そうですね」
「なのに進めてる」
そこで初めて、リリィが端末から視線を上げた。
少し考えるように黙り、それから言う。
「新兵が多いからです」
「何が?」
「違和感の正体です」
ユリウスが眉を寄せる。
「今回の増員。かなりの割合が実戦経験の浅い兵士です。レイヴンズ・コールだけではありません。前進部隊全体でも同じです」
「それは知ってる」
「それなのに、作戦は予定より順調に進んでいます」
リリィは端末を操作する。
戦況図の横に、損害報告が並んだ。
「昨日までの進出距離。確保区画。車両損失。オルドの大破数。戦死者。どれも想定より少ないです」
「……やっぱりそうか」
「はい」
リリィは画面を見たまま続ける。
「敵との接触回数そのものは少なくありません。むしろ増えています」
「なのに損害は減ってる」
「そういうことです」
数字になれば、余計に不自然だった。
新兵が多い。
敵は狡猾。
戦闘回数も多い。
それなのに損失が少ない。
こちらが急に強くなったわけではない。
「理由は?」
「分かりません」
リリィは即答した。
「こちらの指揮が上手くいっている可能性もあります。敵の戦力が減っている可能性もあります。単純に運がいいだけかもしれません」
「でも」
「はい」
リリィの声が少し低くなる。
「私も気になっていました」
倉庫の外で銃声が響いた。
一発。
二発。
警報は鳴らない。
警戒中の兵士が何かを撃っただけらしい。
ユリウスは外を見る。
昼の光の中に、工場の煙突が並んでいた。
その向こうには、まだ確保されていない区画が広がっている。
「敵が手を抜いてる?」
「分かりません」
「誘ってるとか」
「それも分かりません」
リリィは繰り返した。
「ただ」
少しだけ間を置く。
「こちらが勝っているというより、勝たされているように見える時があります」
ユリウスは黙った。
その言葉が、一番しっくりきた。
同時に、一番聞きたくない答えでもあった。
遠くで、例の信号がまた無線へ混じった。
意味の分からない音。
声なのかどうかも分からない。
数秒だけ続き、消える。
その直後だった。
『前方敵影、後退しています』
『追撃は』
『待て。隊形を整える』
敵が退いていく。
まただ。
こちらが押したからなのか。
それとも、最初から退くつもりだったのか。
ユリウスには分からなかった。
「リリィ」
「はい」
「これ、上には?」
「報告できるのは数字だけです」
リリィは端末を閉じた。
「『順調すぎる気がする』では、作戦は止まりません」
「だろうな」
「それに、順調なのは事実です」
それが一番厄介だった。
損害は少ない。
前線は進んでいる。
敵を撃破している。
どこから見ても、成功だった。
だから止まる理由がない。
ユリウスは倉庫の外へ視線を向けた。
敵はまた一歩、後ろへ下がった。
こちらはまた一歩、前へ進む。
それが本当に、自分たちの意思で進んでいる一歩なのか。
初めて、ユリウスははっきりと疑った。




