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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅲ 熾火
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Episode 4 宿痕開裂 -Scars Torn Open- Part 2

 旧工業区へ入ってから、先行部隊の速度は目に見えて落ちた。

 理由は単純だった。

 敵がいた。


 最初に接触したのは、道路沿いに並ぶ倉庫群だった。

 無人偵察機が建物の内部に弱い熱源を捉え、歩兵が周囲へ展開する。外から見える範囲には何もない。入口は半開きのまま、窓ガラスのほとんどが割れている。

 それでも、誰も不用意には近づかなかった。


 静かすぎる。

 その感覚は、ユリウスにも分かった。

 整備車両は二つ手前の交差点で停止していた。戦闘部隊との距離は十分にある。それでも、建物の向こうから響く駆動音や無線の内容までは届いてくる。

 ユリウスは荷台の縁に腰を置き、前方を見ていた。


『第一班、東側から回る』

『了解。二班は正面維持』

『窓に動きあり。二階中央』


 その直後、銃声が響いた。

 一発。

 続いて数発。

 歩兵が遮蔽物へ身を伏せる。

 倉庫の二階から何かが落ちた。


 人影に近い。

 だが、落下する途中で四肢を伸ばし、そのまま壁面へ張りつく。


 マローダー。

 さらに二体。

 窓ではなく屋根から降りた。

 正面へ注意を向けた歩兵の側面を取るように動いている。


『右!』


 警告と同時にオルドが射撃した。

 一体が吹き飛ぶ。

 残った二体は左右へ分かれた。

 仲間が撃たれたことには何の反応も示さない。

 一体は遮蔽物へ。

 もう一体は倒れた歩兵へ向かった。

 人間なら、まず敵の火力を避ける。

 だがそいつは違った。

 伏せた兵士ではなく、負傷して動けない一人へ一直線に走っている。


『そいつを近づけるな!』


 歩兵の小銃が火を噴いた。

 弾丸を受けてもマローダーは止まらない。

 身体を捩り、這うように進む。

 背部が開いた。

 そこから小さな黒い塊がいくつも零れ落ちる。


「スプロウト」


 誰かが呟いた。

 ユリウスも見えた。

 小さすぎて、遠目には地面を這う影にしか見えない。

 それでも前線の反応は速かった。


 焼夷弾。

 火炎。

 地面を走っていた影がまとめて炎に包まれる。

 マローダーもその直後に倒された。

 戦闘は一分も続かなかった。

 敵は全滅。

 味方の負傷者は一名。

 死者はいない。


「……早いな」


 ユリウスが呟く。

 隣で部品箱を整理していたリカルドが顔を上げた。


「何がだ」

「制圧まで」

「悪いことじゃない」

「そうですけど」


 前方では歩兵が倉庫へ突入していた。

 銃声が二度。

 それきり静かになる。


 また前進命令。

 車列が動き出した。

 ユリウスは立ち上がり、揺れる荷台の手すりを掴んだ。

 何かが引っかかる。

 今の戦闘ではない。

 もっと前から。

 今回の作戦が始まってから、ずっと頭の隅に残っていたものだった。

 だが、まだ言葉にはできなかった。


     〇


 その後も敵との接触は続いた。

 一度目は貨物線沿い。

 線路脇に放置された貨車の下からマローダーが現れた。


 二度目は旧変電所。

 屋上に潜んでいたバンシーが、進出したオルドへ中距離射撃を浴びせた。


 三度目は工場と工場を繋ぐ配管通路。

 歩兵が通過した直後、後方からマローダーが現れた。


 どれも単独ではない。

 こちらが一方向へ火力を集中すれば、別の場所から出る。

 前衛を止めれば後衛を狙う。

 負傷者が出れば、それを利用しようとする。

 正面から力任せに襲ってくることはほとんどなかった。

 敵は明らかにこちらの動きを見ていた。


 いや。

 見ている、という言い方ですら正しいのか分からない。

 誰かが指示している様子はない。

 それでも、複数の個体がそれぞれ別の場所で、まるで一つの作戦を共有しているように動く。

 人間なら声を掛ける。

 無線を使う。

 合図を送る。

 だが、奴らにはそれが見えなかった。


 少なくとも、見える形では。


『敵性信号を検出』


 通信担当の声が無線へ入った。


『帯域は』

『前回と同じです。変調あり。内容不明』


 続いて、短い雑音が流れた。

 聞き慣れた無線ノイズとは違う。

 低い音と高い音が不規則に重なり、その間へ擦れた金属音のようなものが混じる。

 声に聞こえなくもない。

 だが、人間の喉から出ているとは思えなかった。

 一定の区切りがあるようで、ない。

 同じ音が繰り返されたようにも聞こえる。

 ユリウスには何一つ分からなかった。


『記録だけ取れ。解析は後方へ回す』

『了解』


 それだけで終わる。

 兵士たちも既に慣れていた。

 敵が時折、無線上に何かを出す。

 分かっているのはそれだけ。


 言葉なのか。

 信号なのか。

 そもそも敵が発しているのか。

 それすら確定していない。

 ただ、その音が流れた直後、貨物線の向こうに潜んでいたマローダーが一斉に動いた。


 六体。

 同時だった。

 二体が正面。

 二体が左右へ。

 残りは後方へ回ろうとする。

 明らかに役割が分かれている。


『正面は任せろ!』


 オルドが射撃する。

 一体が倒れる。

 もう一体は遮蔽物へ飛び込んだ。

 その間に左側の二体が建物へ入る。

 右側は姿を消した。


『右が見えない!』

『二班、後方を警戒!』


 命令が飛ぶより早く、コンラート機が後ろを向いていた。

 同時にエルザ機が左側へ銃口を向ける。

 互いに何も言わない。

 それでも役割が分かれている。

 敵と同じ。

 そんな考えが一瞬浮かび、ユリウスはすぐに打ち消した。

 違う。


 こちらには経験がある。

 訓練がある。

 互いを知っているから、合わせられる。


 では、向こうは。

 何を共有している。

 誰が考えている。


 ユリウスがそう考えている間にも戦闘は終わった。

 後方へ回ろうとした二体はコンラートが撃破。

 建物へ入った二体は、エルザと歩兵が挟み込んだ。


 残る正面の個体も撃破された。

 味方の損害は軽微。

 負傷者が二名。

 いずれも自力で後送できる程度だった。

 また勝った。

 それも、ほとんど損害を出さずに。


 ユリウスは眉を寄せた。

 そこだった。

 ずっと引っかかっていたものが、少しだけ形になった。


     〇


 正午前。

 部隊は旧工業区南部の約半分を確保していた。

 作戦計画より僅かに早い。

 整備班にはいくつか軽微な修理依頼が来たものの、回収不能になったオルドは一機もない。

 歩兵の損害も少ない。

 負傷者は出ている。

 それでも、戦線を維持できなくなるほどではなかった。


 ユリウスは簡易整備所として使われている倉庫の中で、破損した装甲板の固定具を交換していた。

 工具を動かしながら、何度も同じ数字を頭の中で比べていた。

 戦闘回数。

 敵との接触。

 こちらの損害。

 前進速度。

 合わない。

 どこかが。


「リリィ」


 少し離れたところにいたリリィが振り返る。

 彼女は通信端末を抱え、複数の部隊報告を整理していた。


「何ですか」

「今回の作戦、順調すぎないか」


 リリィの手が止まった。


「どの辺りがです?」

「全部」

「それでは分かりません」

「敵はいる」

「いますね」

「待ち伏せもする。回り込んでくる。負傷者も狙う。さっきなんて後ろを取ろうとした」

「はい」

「なのに、こっちはほとんど削られてない」


 リリィは何も言わなかった。

 ユリウスは工具を置く。


「敵が弱いわけじゃない。むしろ前より嫌な動きをしてる」

「……そうですね」

「なのに進めてる」


 そこで初めて、リリィが端末から視線を上げた。

 少し考えるように黙り、それから言う。


「新兵が多いからです」


「何が?」

「違和感の正体です」


 ユリウスが眉を寄せる。


「今回の増員。かなりの割合が実戦経験の浅い兵士です。レイヴンズ・コールだけではありません。前進部隊全体でも同じです」

「それは知ってる」

「それなのに、作戦は予定より順調に進んでいます」


 リリィは端末を操作する。

 戦況図の横に、損害報告が並んだ。


「昨日までの進出距離。確保区画。車両損失。オルドの大破数。戦死者。どれも想定より少ないです」

「……やっぱりそうか」

「はい」


 リリィは画面を見たまま続ける。


「敵との接触回数そのものは少なくありません。むしろ増えています」

「なのに損害は減ってる」

「そういうことです」


 数字になれば、余計に不自然だった。

 新兵が多い。

 敵は狡猾。

 戦闘回数も多い。

 それなのに損失が少ない。

 こちらが急に強くなったわけではない。


「理由は?」

「分かりません」


 リリィは即答した。


「こちらの指揮が上手くいっている可能性もあります。敵の戦力が減っている可能性もあります。単純に運がいいだけかもしれません」

「でも」

「はい」


 リリィの声が少し低くなる。


「私も気になっていました」


 倉庫の外で銃声が響いた。

 一発。

 二発。

 警報は鳴らない。

 警戒中の兵士が何かを撃っただけらしい。

 ユリウスは外を見る。

 昼の光の中に、工場の煙突が並んでいた。

 その向こうには、まだ確保されていない区画が広がっている。


「敵が手を抜いてる?」

「分かりません」

「誘ってるとか」

「それも分かりません」


 リリィは繰り返した。


「ただ」


 少しだけ間を置く。


「こちらが勝っているというより、勝たされているように見える時があります」


 ユリウスは黙った。

 その言葉が、一番しっくりきた。

 同時に、一番聞きたくない答えでもあった。


 遠くで、例の信号がまた無線へ混じった。

 意味の分からない音。

 声なのかどうかも分からない。

 数秒だけ続き、消える。

 その直後だった。


『前方敵影、後退しています』

『追撃は』

『待て。隊形を整える』


 敵が退いていく。

 まただ。

 こちらが押したからなのか。

 それとも、最初から退くつもりだったのか。

 ユリウスには分からなかった。


「リリィ」

「はい」

「これ、上には?」


「報告できるのは数字だけです」


 リリィは端末を閉じた。


「『順調すぎる気がする』では、作戦は止まりません」

「だろうな」

「それに、順調なのは事実です」


 それが一番厄介だった。

 損害は少ない。

 前線は進んでいる。

 敵を撃破している。

 どこから見ても、成功だった。

 だから止まる理由がない。

 ユリウスは倉庫の外へ視線を向けた。

 敵はまた一歩、後ろへ下がった。

 こちらはまた一歩、前へ進む。


 それが本当に、自分たちの意思で進んでいる一歩なのか。

 初めて、ユリウスははっきりと疑った。


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