Episode 3 残火断層 -Residual Fire, Faultline Hearts- Part4
互いに背を向けるように。
けれど、その距離は決して遠くなかった。
ユリウスはそれ以上二人を追わず、呼ばれた機体のもとへ向かった。
異音を訴えていた二号機は、右脚部の装甲を半ば開かれた状態で待っていた。
外見上、大きな損傷はない。膝関節周辺に砂と細かなコンクリート片が入り込み、駆動部の保護板に浅い擦過痕が残っている程度だった。
ユリウスは工具箱を地面へ置き、脚部の点検口を覗き込む。
駆動させてもらうと、低い金属音が一定の周期で返ってきた。
軸ではない。
もっと外側。
彼はしゃがんだまま耳を澄ませ、音の間隔を数えた。
歩行時だけ発生し、荷重を抜けば消える。ならばベアリングよりも、保護板か支持部の歪みを疑うべきだった。
工具を差し込み、固定部を一本ずつ確認していく。
こうして機械と向き合っている間だけは、考えることが単純だった。
音には原因がある。
歪みには理由がある。
壊れたなら、どこが壊れたのかを探せばいい。
人間より、ずっと分かりやすい。
「そこじゃない。一本奥だ」
頭上から声が落ちた。
ユリウスは顔を上げる。
いつの間にかコンラートが立っていた。
操縦服の上半身を開き、首元へ冷却用の布を巻いている。戦闘直後らしく頬には薄く煤が残っていたが、先ほど無線で聞いた焦りなど欠片も見えない。
「見れば分かります」
「なら早くしろ。日が暮れる」
「まだ昼です」
「前線じゃ昼飯を食ったら夕方だ」
いつもの調子だった。
ぶっきらぼうで、余計な一言が多い。
初めて会った頃から何も変わっていないように見える。
ユリウスは再び作業へ戻った。
指摘された一本奥の固定金具へ工具を当てる。わずかに緩い。
締め込むと、保護板の遊びが消えた。
試しに脚部を動かしてもらう。
先ほどの異音は出なかった。
「……これか」
「だから言っただろ」
「自分の機体でもないのに、よく分かりますね」
「似た壊れ方を何度も見た」
コンラートはそれだけ言って、近くの瓦礫へ腰を下ろした。
視線はユリウスではなく、広場の向こうへ向いている。
そこではエルザ機が別の整備班に囲まれていた。
先ほど対装甲弾を受けかけたせいか、外装の確認が続いている。
コンラートは何も言わない。
ただ見ていた。
ユリウスは工具を拭きながら、その横顔を一度だけ見た。
目立つほどではない。
誰かが気に留めるほどでもない。
それでも、視線の先だけは明らかだった。
「損傷はないそうですよ」
コンラートの目が動く。
「何が」
「三号機です」
「……そうか」
返事は短い。
それ以上は聞かない。
だが、その一言の前にあった僅かな間を、ユリウスは見逃さなかった。
「気になるんですか」
コンラートがこちらを見る。
鋭いというほどではない。
ただ、今までより少しだけ視線が重くなった。
「何がだ」
「エルザ」
名前を出した瞬間、空気が僅かに変わった。
コンラートは何も答えなかった。
煙草でもあれば火を点けていたのかもしれない。そんな仕草で口元へ指を運びかけ、途中でやめる。
「お前」
「はい」
「最近、余計なところを見るようになったな」
「そうですか」
「前はもっと、自分に関係ないことには興味がなかった」
否定できなかった。
むしろユリウス自身、同じことを考えていた。
だからこそ、問い返す。
「それは悪いことですか」
コンラートはすぐには答えなかった。
瓦礫の向こうでは、整備兵がエルザ機の脚部装甲を叩き、異常がないことを確認している。
やがて機体がゆっくりと立ち上がった。
コンラートの視線が、ほんの一瞬だけそちらへ流れる。
「場合による」
「便利な答えですね」
「世の中そんなもんだ」
ユリウスは工具箱を閉じた。
ここで止めておけばいい。
昨日までの自分なら、おそらくそうしていた。
「前から知っていたんですか」
コンラートの表情から、僅かなものが消えた。
怒ったわけではない。
困ったわけでもない。
むしろ何も出さないようにした、とユリウスには見えた。
「誰を」
「エルザを」
「……何でそう思う」
「動きが合いすぎています」
「同じ隊なら普通だ」
「昨日今日で、あそこまで合わせられますか」
「できる奴もいる」
「あなたなら?」
「俺ならな」
また逃げた。
ユリウスはそう感じた。
会話そのものを拒絶するのではなく、答えているように見せながら核心だけを避けている。
昨夜の無線と同じだった。
否定しない。
それでも説明もしない。
「それに」
ユリウスは続けた。
「さっき、名前を呼びましたよね」
今度こそ、コンラートは黙った。
遠くで発砲音が二度響いた。
誰も身構えない。警戒線のさらに外側、掃討中の部隊だろう。
コンラートはその音を聞くように顔を上げ、それから低く息を吐いた。
「……お前は、自分が死にかけた時に名前を呼ばれたことがないのか」
「あります」
「なら分かるだろ」
「分かりません」
即答すると、コンラートの眉が僅かに動いた。
「普通なら心配した。それだけで済みます」
「ならそう思っとけ」
「でも、あなたは普通じゃなかった」
「面倒なガキになったな」
「前からだと思います」
「そこは否定しろ」
僅かに笑った。
本当に僅かだった。
だが次の瞬間には、その表情も消えている。
コンラートは立ち上がり、服についた砂を払った。
「ハルトマン」
「はい」
「人のことを知りたがるのは勝手だ」
声の調子が変わった。
先ほどまでの軽口ではない。
「ただ、知ったからって何かできると思うな」
ユリウスは黙って見上げた。
コンラートは続ける。
「事情を知れば助けられる。理由が分かれば正しいことができる。そんなに簡単なら、誰も後悔なんかしない」
その言葉だけが、妙に重かった。
ユリウスはすぐに返せなかった。
コンラートも答えを求めてはいないらしい。
踵を返し、自分の機体へ向かって歩き出す。
数歩進んだところで、一度だけ足を止めた。
「それと」
振り返らないまま言う。
「余計な真似はするな」
それだけ残し、今度こそ離れていった。
ユリウスは工具箱を持ったまま、その背中を見送る。
余計な真似。
何を指しているのかは分からなかった。
自分が二人を探っていることに気づいているのか。
あるいは単に、それ以上関わるなという忠告なのか。
どちらにしても、ひとつだけ確かなことがあった。
コンラートは否定しなかった。
エルザを以前から知っているのかという問いに、最後まで「知らない」とは言わなかった。
午後になっても前進は続いた。
旧行政区画を抜けた部隊は、さらに北側の住宅地へ進出した。
このあたりは砲撃の被害が少ない。白い外壁を残した集合住宅が規則正しく並び、道路脇には放置された民間車両がそのまま残されていた。
玄関の扉が開いたままの家。
洗濯物だけが残されたベランダ。
割れた食器の散らばる食堂。
人はいない。
避難したのか、連れ去られたのか、それすら分からない。
兵士たちは生活の痕跡を踏み越えながら進んでいく。
ユリウスには、その光景が妙に落ち着かなかった。
敵の施設なら破壊できる。
軍事拠点なら占領できる。
だが、誰かが昨日まで暮らしていた場所を「確保区域」と呼び替えることには、どうしても奇妙な違和感が残った。
『前方、敵影なし』
『了解。第五ブロックまで進出する』
通信が続く。
その中に、コンラートとエルザの声も混じっていた。
必要なことだけを話す。
昨夜のことなどなかったように。
先ほどのこともなかったように。
それでもユリウスには、もう以前と同じようには聞こえなかった。
言葉では遠ざけている。
動きでは近づいている。
互いを避けながら、互いの位置だけは把握している。
まるで離れようとすればするほど、見えない何かが二人を同じ場所へ引き戻しているようだった。
それが何なのか、まだ分からない。
ただ、その根が浅くないことだけは分かる。
ユリウスは前方を見た。
コンラート機が先に角を曲がる。
数秒遅れて、エルザ機も同じ方向へ消えていった。
また二人は同じ場所へ向かう。
戦争という場所では、嫌っている相手からさえ離れることを許されない。
それが偶然なのか。
あるいは、二人が自分たちで選び続けているのか。
ユリウスにはまだ判断できなかった。
ただ、コンラートが残した言葉だけが、いつまでも耳に残っていた。
──事情を知れば助けられる。理由が分かれば正しいことができる。そんなに簡単なら、誰も後悔なんかしない。
後悔。
その言葉が、なぜか妙に引っかかった。




