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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅲ 熾火
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Episode 3 残火断層 -Residual Fire, Faultline Hearts- Part3

 翌朝、前進は予定通り〇六三〇に始まった。


 夜のあいだに構築された橋頭堡は、まだ完成には程遠かった。それでも道路には誘導標識が立ち、崩れた建物の壁面には識別布が張られ、主要な交差点には機関銃陣地が据えられている。昨日まで敵弾が飛び交っていた場所を、補給車と装甲車が何事もなかったように往来していた。

 夜を挟んだだけで、街はもう次の戦闘のための形へ変えられつつある。


 工兵隊は前方へ通じる二本の道路を啓開し、そのうち一方を戦闘部隊の進出路、もう一方を補給と負傷者後送のために確保していた。レイヴンズ・コールもその流れに組み込まれ、先行するオルド隊の後ろから市街地のさらに奥へ進んでいく。


 ユリウスは整備支援班の車両に同乗していた。

 負傷した脚は歩行に支障がない程度まで戻っていたが、長距離を走り回れるほどではない。まして今は整備兵としての役割が優先されている。戦闘部隊が確保した区画へ入り、故障機を動かし、弾薬と部品を送り、必要なら現地で応急修理を施す。


 前に出る者がいれば、その後ろには必ず誰かがいる。

 昨日までなら、それだけを考えていればよかった。

 だが今日は違った。

 無線から流れる声を聞くたび、意識の一部が自然と二人を探していた。


『先行一班、第三交差点へ進出。東側建物群に熱源二、動きなし』

『了解。警戒を維持しろ。工兵の進入まで手を出すな』


 通信は淡々としている。

 砲撃の気配もない。敵の反応も散発的で、昨日のような正面衝突にはなっていなかった。

 それでも部隊の進みは遅い。

 建物の一つ一つ。路地の一つ一つ。地下への入口。倒壊しかけた高架。敵が残した機材。何が罠で、何が単なる残骸なのか、確認しながら進むしかなかった。


 市街戦の後に残るものは、敵兵だけではない。

 使われなかった弾薬。

 切断された通信線。

 放置された車両。

 崩れた壁の向こうに残された生活用品。

 それらすべてが、進軍を止める理由になり得る。


 車両が一度停まった。

 前方で工兵が道路脇の不審物を確認しているらしい。

 ユリウスは荷台の縁から身を乗り出し、先を見る。

 二〇〇メートルほど前方。交差点の先に、二機のオルドが並んでいた。

 一機はコンラート。

 もう一機はエルザだった。


 昨日から何度も見ている組み合わせだ。

 けれど今は、無意識に目が止まる。

 二機は互いに近づきすぎてもいないし、離れすぎてもいない。市街地での相互援護としては、ごく普通の距離だ。


 コンラート機が右側の建物へ機首を振る。

 ほとんど同時に、エルザ機が左側の路地へ照準を移した。

 指示は聞こえなかった。

 少なくとも共通回線には流れていない。

 それでも二人は、まるで最初から役割を決めていたように別々の方向を押さえていた。

 しばらくして工兵から安全確認が入る。


 二機は再び前進した。

 ユリウスはその背中を目で追った。


 偶然。


 そう言ってしまえば、それまでだった。

 同じ部隊で戦っていれば、互いの動きくらい覚える。

 コンラートは経験の長い操縦士だ。相手が誰であろうと、動きを読んで合わせることくらいできるだろう。

 それでも、昨日の無線が引っかかっていた。

 あの冷たさと、今の噛み合い方が一致しない。


「前、動くぞ」


 隣にいた整備兵に肩を叩かれ、ユリウスは視線を戻した。

 車列が再び進み始める。

 路面はひどく荒れていた。タイヤが瓦礫を踏むたびに車体が跳ね、その衝撃が負傷した脚へ鈍く響く。

 ユリウスは小さく眉を寄せながら、車体の手すりを握った。


 午前七時を回った頃、先行部隊が旧行政区画へ到達した。

 周囲には比較的大きな建物が集まっている。庁舎らしき施設、集合住宅、商業棟。砲撃の跡はあるものの完全に倒壊している建物は少なく、その分だけ死角も多かった。


 進出した各小隊は一度足を止め、歩兵と無人偵察機による確認を待つ。

 レイヴンズ・コールも広場跡の外周へ展開した。

 ユリウスたちの整備車両は、そのさらに後方で待機する。

 エンジンを切ると、途端に街の静けさが近づいてきた。

 遠くの駆動音。風が瓦礫の隙間を抜ける音。時折、どこかで金属板が擦れる。


 戦場にしては静かだった。

 静かな時ほど、兵士たちは周囲をよく見る。

 ユリウスも同じだった。

 ただし彼が見ていたのは、敵の出てきそうな窓だけではない。

 前方で停止しているコンラートとエルザの機体だった。


『三号、南東側を見ろ。四階、窓が一つだけ開いている』


 コンラートの声が流れた。


『見えてる』


 エルザが即座に答える。


『熱源は』

『なし。でもカーテンが動いてる』

『風かもしれん』

『それくらい分かってる』

『ならいい』

『いちいち確認しないで』


 短いやり取りだった。

 周囲の誰かが気に留めるようなものでもない。

 前線ではよくある会話だ。

 だがユリウスには、昨日の通信との違いが分かった。


 エルザの声音は冷たい。

 コンラートも必要以上の言葉を使わない。

 それなのに、会話そのものは速い。

 相手が何を見ているのか、何を言おうとしているのか、説明がほとんど要らない。

 訓練された軍人同士だから。


 それだけなのだろうか。

 ユリウスは答えを出さなかった。

 代わりに、その後も二人の通信を意識して聞いた。

 コンラートが「右」と言えば、エルザは既に右を見ている。

 エルザが敵影らしきものを報告すれば、コンラートは詳しい説明を求める前に自機を射線の外へ動かす。


 エルザが建物の陰へ入れば、コンラートは無意識のようにその反対側を塞ぐ。

 連携そのものは、むしろ他の組み合わせより良かった。


 だから余計に分からない。

 互いを嫌っている。

 少なくともエルザはそう見える。

 それなのに、互いの動きを知っている。

 昨日今日で作られた呼吸ではないように思えた。


 ユリウスは膝へ肘を置き、わずかに目を細めた。

 コンラートは以前、あの少女を知らないような態度を取っていた。

 少なくとも最初に顔を合わせた時は、そう見えた。

 ならば、自分の見方が間違っていたのか。

 あるいは、知らないふりをしていたのか。


『敵性反応! 東側建物、二階!』


 突然、無線が跳ねた。

 次の瞬間、乾いた連射音が市街地へ響く。

 広場の端にいた歩兵が一斉に伏せ、オルド隊が散開した。

 建物の窓から発射炎が瞬く。


 機関砲ではない。

 携行火器か、軽装備の敵兵。

 コンラート機が即座に建物へ照準を向ける。


『撃つな! 味方が近い!』


 別の声が割り込んだ。

 すぐ下の階に歩兵班が入り込んでいる。

 オルドの火力では巻き込む危険がある。

 エルザ機が横へ動いた。


『裏へ回る』

『待て』

『正面から撃てないなら、裏を取るしかないでしょ』

『歩兵を待て』

『待ってる間に逃げられる』


 機体が路地へ踏み込む。

 コンラートが一拍遅れて追った。


『エルザ、単独で入るな』

『命令?』

『そうだ』

『なら指揮系統を通して』

『今それを言ってる場合か』


 それまで抑えられていたものが、わずかに表へ出た。

 だがエルザは止まらない。

 細い路地の先へ機体を滑り込ませる。

 直後だった。


 建物の陰から光が走った。

 小型の対装甲火器。

 発射された弾体がエルザ機の前方を掠め、背後の壁へ突き刺さった。

 爆発。

 土煙と破片が路地を塞ぐ。


『エルザ!』


 コンラートの声が無線へ叩きつけられた。

 その一声だけが、それまでとは違っていた。

 命令でもなければ、警告でもない。

 短く、反射的で、明らかに余計な声だった。

 ユリウスの視線が無線機へ落ちる。

 数秒遅れて返答があった。


『……聞こえてる』


 エルザだった。

 機体も動いている。

 被弾はしていないらしい。


『損傷は』

『なし』

『操縦系は』

『問題ない』

『なら下がれ。歩兵が入る』


 コンラートの声音はもう戻っていた。

 先ほどの叫びなど最初からなかったように、低く抑えられている。


『……了解』


 エルザもそれ以上は言わなかった。

 機体を後退させ、路地の入口まで戻る。

 ほどなく歩兵班が迂回し、敵を制圧した。

 戦闘そのものは数分で終わった。


 死者も出ていない。

 前進を止めるほどの損害でもなかった。

 部隊はすぐに隊形を整え直し、次の区画へ進む準備を始める。

 だがユリウスは、しばらく同じ場所を見ていた。

 エルザ機の周囲を整備兵が確認している。

 少し離れた場所に、コンラート機が立っていた。


 ただそれだけだった。

 近づきもしない。

 無線で何かを尋ねる様子もない。

 まして機体を降りることもない。

 それなのに、コンラート機の頭部センサーだけが、一度エルザの方へ向いた。

 すぐに前へ戻る。

 ほんの数秒だった。

 誰も気にしない程度の動きだった。

 ユリウスには、それで十分だった。

 昨夜聞いた会話。

 今日の連携。

 そして、今の声。

 ばらばらだったものが、少しだけ形を持ちはじめる。


 何があったのかは分からない。

 どういう関係なのかも分からない。

 だが一つだけ、自分の見立てを修正する必要があった。

 二人は、単に仲が悪いわけではない。

 エルザが一方的にコンラートを嫌っているだけでもない。

 もっと古い。

 もっと深い。

 少なくとも、コンラートの側にも何かがある。

 でなければ、あんな声は出ない。

 ユリウスは無意識に昨日の受信機を思い出していた。


 ──簡単に言わないで。


 あの言葉が、昨日より少しだけ重くなる。

 謝る理由がある。

 謝っても受け入れられない理由がある。

 それでもコンラートは、エルザの身に危険が及べば平静を失う。

 ならば何があった。

 ユリウスはそこまで考え、眉を寄せた。

 まただ。

 気づけば、答えを探している。

 他人の事情だと切り離せばいいだけなのに、それができなくなっている。


「ハルトマン」


 呼ばれて顔を上げる。

 整備班の兵士が工具箱を顎で示していた。


「二号機、脚部に異音だ。見に行くぞ」

「分かった」


 ユリウスは立ち上がり、工具を手に取った。

 考えるのは後でいい。

 今は自分の仕事がある。

 損傷した機体があれば直す。それがここにいる自分の役目だった。

 車両から降り、前方へ歩き出す。

 その途中でもう一度だけ振り返った。

 コンラートとエルザの機体は、既に別々の位置へ移動していた。

 互いに背を向けるように。

 けれど、その距離は決して遠くなかった。


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