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男は我が身を襲った不運を呪っていた。
ウル・ヤークス王国の第八軍に所属する男は、軍人となって二十年になる。その間に、百人長へ昇進した。そこまでの歩みは王国軍人としては遅い方だ。しかし、男の軍歴の平穏さからすれば、仕方のないことだろう。
第八軍は、ウル・ヤークス王国の西辺であるアシスの地を守る軍団だ。
大河ト・ウトの両岸に広がるアシスの地は、西を広大な沙海、南や東を険しい星辰の山脈や高原地帯に囲まれたいわば広大な峡谷のようなもので、四方から外敵に侵入されてきたウルスの地と比べて、守りに適した土地だった。
アシスの地はこの二十数年間、戦乱を免れている。
内海は、海軍である第六軍が睨みを利かせており、ト・ウトの上流にある南方のスアシァ帝国とは長年にわたり友好的な関係が続いている。
この平穏な土地において、第八軍は匪賊の襲撃や民衆の暴動くらいしか出番は無かった。
男は、アシス地方の農村出身だ。
出身地において有力な一族出身の彼は、生業として兵士を選んだ。男にとって兵士は安定した給金をえることのできる職業であり、大した出世は望んでいない。そのため、一族の力を借り、賄賂も送って赴任地をアシスでも辺地にするように手を回した。大都市の激務とは無縁の平穏な田舎でこのまま平穏に兵役を勤め上げ、退役後は一族の農場をさらに大きくする。そんな展望を抱いていた。
しかし、そんな目論見はもろくも崩れた。
首無しの襲撃。
もたらされた急報によって、男のいる城塞は俄かに騒がしくなった。
襲撃された砦は、星辰の山脈の残滓ともいえる山岳地帯にある。
大河ト・ウトを挟んで連なる山脈や高原の東側は、乾き荒涼とした、岩と砂礫の大地だ。人口も少なく、東から険しい高原や山脈を越えてくる者は少ない。
防衛上、重要ではない土地であり、ウル・ヤークス王国における辺境の果てといっていい。
そんな砦が襲撃を受けたという。それも、首無しという初めての敵だ。
男も軍人として、ウル・ヤークス王国を取り巻く勢力の一つである首無しのことを教わった。しかし、アシスの地は、ウル・ヤークス建国以来、首無しの脅威にさらされたことが無い。そのため首無しなどというのは、アシス地方の農村出身の彼にしてみれば、おとぎ話に出てくる怖ろしい化け物の一つという印象でしかなかった。
平穏を望んでいた男は、百人長の任を果たすことになり、今は駱駝の鞍上で揺られている。
急ぎ救援に向かうために、部隊は駱駝騎兵のみ五十騎で編成されている。砦を襲った首無しは六人だという。少ない数だが、砦を守る兵も多いわけではない。急いで駆け付ける必要があった。
波打つような起伏を見せる岩と砂の大地に、巨岩や涸れ川が刻み込まれている。草や灌木が緑の染みのように点在する乾いた大地を、部隊は急いだ。
砦は高原にあり、そこへたどり着くためには幾つもの峠を越える必要がある。隊列はやがて、のこぎりの歯のように険しい岩山の間を縫うように開かれた道へ入った。
坂の半ばへ差し掛かった時、男は、こちらに駆けてくる三騎の駱駝騎兵を見た。
先行していた斥候だ。
空兵や狗人兵といった優れた斥候としての役割を果たす兵種を活用できるのは、ウル・ヤークス軍の強みだ。
しかし、これらの兵種は軍全体から見て少数で、費用も高い。広大なウル・ヤークス王国全土に配置することは出来なかった。当然のことながら、防衛上優先度の低いこの地にも、これらの兵種は配属されていない。そのため、彼らは昔ながらの騎兵による斥候に頼らざるを得ない。
彼らにとって不運だったのは、第五軍による首無し襲撃の報がこの辺境の地に届いていなかったことだ。警告があれば、彼らの対応や警戒もまた違ったものになっただろう。
「隊長! この先の丘に首無しがいます! 数は六人!」
斥候の兵士が、近付くなり叫んだ。
「六人? 砦からこちらに移動したのか?」
男は眉根を寄せる。砦は陥落したのか、あるいは諦めてこちらにやって来たのかもしれない。
一瞬の逡巡の後、男は指令を下す。
「戦闘準備! 接敵するぞ!」
部隊に緊張が走った。実戦経験の少ない彼らは、首無しという想定もしていなかった敵に未知の恐怖を感じているだろう。男もそれは同じだったが、百人長として顔に出すわけにはいかない。
武具を構えた部隊は、蛇行する坂を上る。見上げれば、峠の頂上に、異形の影が待ち構えていた。
その名の通り、まるで頭が無いように見える巨体。胸のあたりに、恐ろしげな顔が見える。ほとんどが鎧も付けずに、陽光の下で黄金のように輝く体毛に覆われた体をさらしていた。
その手にしているのは、切った若木をそのまま杖にして、枝の間に大きな革を張った物だ。傍らに、石を山のように積み上げていた。
「何だあれは?」
男が呟く。そして、その答えは恐るべき脅威となって知らされることになった。
首無しは石を鷲掴みにすると、杖の革に放り込み、叫び声と共に振りかぶる。
三人の首無しが振りぬいた杖から、石が放たれた。石は空中で広がり、飛来する。
拳大の石が雨のように降り注いだ。
兜を直撃し、鞍上の兵士が昏倒する。
地面にぶつかり跳ねた石が、駱駝の足を直撃して悲鳴と共に倒れた。
ほとんどの石は外れたが、何騎かの兵士に命中している。この状況に、男は慌てて叫んだ。
「散開!! 散開!!」
この狭い峠道では充分な広さは無い。慌てる騎兵たちは右往左往する。
兵たちが混乱している間にも、すぐに次の三人が進み出た。すでに杖を大きく振りかぶっている。
あれは、投石杖だ。それも、人にはとても扱えないような巨大な投石杖。射程距離はそこまでないだろうが、高所に陣取られているためにこちらが不利だ。自分たちの置かれている状況に、男は焦る。
「来るぞ!」
警告の声に、兵たちは慌てて盾を構えた。
鈍い音と上がった悲鳴は最初よりも増している。
構えた盾越しに首無しを見ると、すでに三人が投石杖に石を放り込んでいた。すぐに次の石弾が襲ってくるということだ。
ここで歯を食いしばって耐えていても、的になって被害が増すばかりだ。取り得る選択は二つ。損害を覚悟してこのまま突撃して数で鏖殺するか、後方に退いて、投石杖よりも射程に勝る弓矢で矢戦に持ち込むか。
首無しのの強さは伝え聞いている。石の雨をかいくぐって白兵戦に持ち込んでも、大きな被害が出るだろう。そして、首無しが化け物だとしても、いつかは体力が尽きる。いつまでも投石を続けることは出来ないはずだ。
矢で牽制しつつ、体力を使い果たした所で突撃する。
男はそう決断した。
「後退するぞ!」
男の指示で、部隊は石弾が降り注ぐ中、方向転換を始めた。狭い峠道では、平原や砂漠のように迅速な動きは望めない。皆、盾をかざしながら、必死に駱駝を操っている。
隊列を乱しながらも、部隊は何とか後退を始める。
ようやく降り注ぐ石の雨から逃れた男が、反撃の態勢を整えようと口を開いた瞬間、谷間に咆哮が響いた。
見上げれば、斜面を幾つもの巨体が駆け降りてくる。
「首無し!」
「待ち伏せだ!」
兵たちが恐怖と驚愕の声を上げる。
峠にいた首無しとは別の一隊がいたことに、男は混乱し、固まった。
その間にも、転がり落ちるような勢いで巨体は迫る。ろくに隊列が整っていない状態の部隊の中へ、首無したちは跳びこんだ。
棍棒が駱駝を薙ぎ倒し、鞍上に兵を乗せたまま斜面へ滑り落ちていく。石斧が兵の盾を打ち、兵を吹き飛ばした。
その巨体と獣じみた容貌、凄まじい膂力、そして咆哮は、烈しい戦いに慣れていない兵たちを恐慌に陥らせた。
部隊の只中で兵士たちを蹂躙する首無したち。
さらに、首無しよりもはるかに異様で恐ろしいものが道の向こうから姿を現わした。
鉛灰色の巨体を紋様で彩ったその男の下半身は、巨大な蠍だった。すぐ近くにいた兵が、その姿に気付いて恐怖の叫びを上げる。しかし、その悲鳴も、一振りされた曲刀によって断たれた。
異形の男も殺戮の場に躍り込み、兵たちを次々と刀で切り伏せ、鋏で叩き伏せていく。
命令を出さなければ。逃げなければ。
頭の中では幾つもの言葉が浮かぶが、体が凍りついたように動かない。目の前の光景が現実離れして見える。
「馬鹿な……。こんなことがあるわけない……」
兵たちが次々と倒れていく中、呆然と呟く。
鮮血を巻き上げながら、異形の男が迫る。
男が最後に見たのは、鎌のように湾曲した巨大な刀だった。
セエルは一人、杖をつきながら坂を越える。峠で石を投じていた首無したちは、すでに加勢に向かっていた。すでに戦いの喧騒は消え去り、彼らの喜びの歌が響いている。
広くはない道には、屍が敷きつめられていた。
すでに人の姿に戻っていたラガラウルは、セエルに顔を向けると、口を開く。
「全て始末した」
「ありがとうございます」
セエルは一礼した。
「全て順調ですね。これで、第八軍本隊に気取られるのを遅らせることができます」
「全てが思い通りではないな。遅れている者たちを待たねばならない」
「こればかりは仕方ないでしょう。必死にこちらに向かっている彼らの体力が心配ですよ」
セエルは星辰の山脈の首無し諸部族を糾合したが、戦いに加わる戦士たちの足並みが揃っているわけではない。出発や行軍の遅れで、合流していない部族の戦士も多かった。この辺りで彼らを待つ必要があるだろう。しかし、この戦いは時との争いでもある。のんびりとしていれば、敵の守りが堅くなるだろう。
「肉を喰えば元気になるだろう。ここに幾らでも転がっている」
ラガラウルは視線を兵士たちや駱駝の骸へと向けた。
倒した相手を喰う。それは食料が不足する強行軍において、最も手っ取り早い食料の入手方法だ。
首無しにとって、人間は食料の一つにすぎない。可食部が少なく、味も良くない人の肉を好んで食べることはないが、必要に迫られれば躊躇うことはなかった。そして、なにより、駱駝が大量に手に入ったことが彼らを喜ばせている。
彼らは、山脈の東側から氷河と万年雪に覆われた山稜を越え、灼熱の地へ降りてきた。その最中、ろくな食料も食べていない。何しろ彼らは飢えている。
早速、生肉に齧りつく者もいたが、それは彼らにとって不作法な行為だ。ほとんどの者は、調理のために下ごしらえを始めていた。彼らなりの美食へのこだわりであり、これからやって来る同胞のためであり、行軍に備えて保存食をつくるためだ。
首無しは戦い続けている限り糧食に困ることはないが、セエルはそうはいかない。
眼前で始まった血腥い作業から目を背けると、干し芋を齧りながら空腹を満たした。後で駱駝肉も分けてもらうことにする。間違っても人肉を受け取らないように気を付けねばならないだろう。
そして、大事なことを思い出して慌てて屠殺の場へ駆け寄る。
「無傷の駱駝を一頭は残しておいてくれよ。私が乗るから」
セエルは、近くの首無しに声をかけた。




