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第三話


 こうして始まった「流浪の男」との放送部の活動は、思っていたよりも平和なものだった。

 まず、浪川くんはなかなか真面目な男だった。しばらくの活動を「放課後ラジオ」の運営一本に絞った僕たちは、主な台本作りを浪川くん、そして浪川くんの補助とアナウンスを僕が担当することに決めたわけだが、彼はその仕事をきちんと全うしてくれたのだ。


「原稿の書き方はテンプレートがあるからこれを見てほしい。と言っても、ざっくりで大丈夫だから」

「わかった。任せておいて」


 浪川くんはきちんとその通りに作ってきた。しかも内容はかなり詳細で、構成も綿密に練られていた。初回から文句なしの出来映えだったことには感服するしかない。


「原稿、書いてみたんだけど……これ、どう?」


 浪川くんはプリントを一枚、ひらりと僕の前に滑らせる。そこには、妙に整った字で『男子高校生のベストバイ特集』書かれていた。


「……ベスト、バイ……?」


 聞き慣れぬ単語に首を傾げる僕に、浪川くんは「最近流行ってるやつね」と注釈を入れる。


「買ってよかったモノとか紹介すんの。学生向けに食べモンとか、ガジェットとか……何でも、色々!」

「え、あ……うん……?」


 僕はその紙を持ったまま目をぱちくりさせる。トレンドに疎いあまり、出されたアイデアにピンと来なかったのだ。浪川くんはそれにかまわず、「で、ほらこれ見て。三つに絞ってみた」と意気揚々とプレゼンを開始する。


「一つ目、近所のコンビニに出てた新作ホットスナック。やっぱさ、学校の帰りに食うジャンクフードがいっちゃん美味いんだよな~! 揚げ物だとなおヨシ、味濃いめだとなお良き」

「な、なるほど……?」

「二つ目、このワイヤレスイヤホンな。これ、ガチで音質いいし、何より俺らでも手を出せる値段なんだよ。ノイキャン付きだし、体育後の(ねみ)い授業のお供にピッタシ!」

「う、うん……?」

「三つ目、これが本命。これから来る夏のマスト、制汗剤! 今どき身だしなみ整えられてこその男なワケよ。ちなみにすげえいい匂い。ライムミントの香りだって。嗅いでみ、ほら」


 スプレーを振りかけた浪川くんの手首を差し出され、僕はそっと鼻を近づける。……たしかに、すごくいい匂いだ。「おしゃれな香水みたいだね」と素直に感想を言えば、彼は「だろ!?」と得意げな顔を覗かせた。


「こういうの、絶対面白えって。江古田クンのキレイな声で真剣に紹介したら、逆にギャップで印象残るし」

「そ、そうかな……」


 どこか勢いに圧されている感じが否めなくもないが、今までにない内容だったので承認。ラジオのオンエア中は、隣でニヤニヤしている浪川くんの視線がうるさかった。

 ……また、別のある日。


「テーマは火曜日に一緒に出し合おう。ジャンルとかは不問、とりあえず出してみて、その中で一番面白そうなのを選ぶ感じ」

「わかった。めっちゃ考えとく」


 浪川くんは宣言通りたくさん考えてきた。それも僕が思いつかないような、いかにも彼らしいテーマばかりを。


「『推し先生を語る回』、的なのは?」

「推し……? そういえば先生のこと、そういう目で見たことないな」

「日本史のえびちゃん先生とか、優しいし分かりやすいから絶対人気高えだろ」

「海老原先生は僕も好きだな。偉人の小ネタが面白いよね」

「逆に水野は最下位な。江古田クンのこと泣かせてたし」

「そ、それは……ちょっと違うんだけど……」

「うーん……あ。じゃあ、『校内最強の自販機ランキング』とかどーよ。第二体育館横の自販機のココア、マジで神なんだよなぁ」

「自販機って、そういえば水しか買ったことないな」

「マジで? うわ、でもすげえぽい。放送やってから喉大事にしなきゃだもんな」

「でも……あそこのココア、美味しいんだ? ちょっと飲んでみようかな」

「んじゃ今度おごってあげるよ。……え? 別に遠慮しなくていいって! 俺からのプレゼントってことで」


 他にも「学校の謎ルール」や「アルバイトの成功談・失敗談」、はたまた「学園七不思議」まで。……実のところ、これまでのフリートークやコーナー企画のテーマは、ほとんどがニュースで話題になった時事や、学校らしく知識の提供に基づくものばかりだった。例えば、世界遺産に登録された場所や建物からその国の歴史を解説したり、ピックアップした特定の動植物の生態を紹介したりだ。しかし少人数で活動していた都合上、トピックが似たり寄ったりして面白みに欠けてしまうことがあって。

 だから、浪川くんが提案したような、等身大の学生視点のテーマは興味深く、放送部としても新鮮だった。


「浪川くんが作る台本は、いつも楽しいね」


 小さな放送室の中、僕は机を挟んで彼と向かい合う。プリントを前にうんうんと唸っていた彼は、その言葉に一瞬キョトンとしては「嬉し〜」とニッと笑顔を見せた。


「江古田クンにそう言ってもらえるようにやってますから」

「なんだそれ」


 人懐っこい人だな、と思う。それが浪川くんの魅力であり、あの輝かしい存在感を形作る一端なのだと気づいたのは、つい最近のこと。これに加えて、例の天才的なスポーツセンスを見せつけられれば、皆いやでも印象に残ってしまうだろう。転部魔であること以上に、才能に対する僻みから「流浪の男」と名づけられた背景を、僕は何となく理解してしまった。

 ……人は皆、浪川流之介という男に飽きられるのが怖いのだ。


(僕には、この部が廃部になることの方が怖いけどね)


 どうかこの時間を楽しんで、一分一秒でも長くここにいてほしいと思う。放送部の行く末は、浪川くんの手にかかっていると言っても過言ではなかった。……が、そんな中で、ピンチは突如として訪れて。


「──あ。CDない」


 火曜日の放課後。いつものようにテーマ出しと原稿作りを進め、台本の準備がひと段落した頃、僕はふっとあることを気づく。「CD?」と首を傾げる浪川くんに、僕の指が示すのは放送機器と繋がれたCDプレイヤー。僕は前回の放送で、「放課後ラジオ」内で流している曲のストックをすべて使い切ったことを思い出した。

 にわかに焦りが頭の中を埋める。コーナーの合間に流す音楽は、ラジオの雰囲気を整える大事な要素だ。それが一曲もないなんて、放送側としては致命的だった。


「江古田クンは普段どうしてんの? 自分で選んでんの?」

「あ、いや……僕、あんまり音楽聴かなくてさ。前まではもう一人の部員の子におまかせしてたんだ」

「K-POP多かったのそういうことか……」

「あとは生徒からリクエストを募ったりとか……だからその、えっと……」


 言葉が自然と尻すぼみになる。自分じゃ何もできないみたいで、少し情けなかった。


「ふ〜ん、なるほどね」


 浪川くんはあっさり受け止めると、原稿を書いていた手を止める。そうしてシャープペンシルを放り出し、代わりにスマートフォンを手に取ると「じゃあ、新しいの用意しなきゃダメだな」と何気なく呟いた。


「同じ曲ばっか流すの、さすがに飽きられるし」

「……うん。買うか借りるかしないと」


 僕は脳内の「やることリスト」に項目をひとつ書き足す。流行りにも疎いうえ、CDを探すなんて正直どうすればいいのかまったく分からないが──こうなったらやるしかない。と、そんな僕の内心を見透かしたように、浪川くんが「じゃあさ、江古田クン」と僕を呼んだ。


「俺の好きなバンドの曲、ちょっと聴いてみねえ?」

「え……?」

「これ。最近ハマってるやつ。……ほら」


 差し出されたイヤホンは、以前の「ベストバイ特集」で見せてもらったもの。持ってみると意外と軽くて、耳にそっと押し込むと、たしかな音質の柔らかい音色がすぐに流れ込んでくる。

 初めに聞こえたのは、低くもまどかなベースのサウンドだった。ゆったりとしたリズムは、鼓膜をそっと撫でるみたい。その上をスネアがとつ、とつ、と等間隔を置いて鳴る。……曲調そのものに、あまり華美さは感じられない。が、妙に心が落ち着いた。そこへハスキーな男性ボーカルの声が乗れば、それは囁くような静けさの中にも芯が感じられて、夜風のようにひんやりしているのに、どこか温かみがあった。


(……こんな曲、初めて聴いた)


 音楽に詳しくない僕でも分かる。これはただの流行りの曲などではなかった。誰かの心の奥、内側の柔らかいところにそっと触れるような、そんな曲だった。


「どう。結構良くね?」


 イヤホン越しに聞こえる浪川くんの声が、妙に近い。思わず視線を上げれば、彼は机に肘を突いて僕をじっと見つめていた。優しい笑顔とともに、まるで美しいものを眺めるかのように。……その顔がひどく綺麗なものだったから、僕はついドキリとしてしまって、その視線をわずかに逸らした。とくり、とくりと胸が弾む感触、それを遮るかのように僕は「うん」と頷く。


「なんか……聴いてて落ち着くね。すごく素敵な曲」

「だろ〜。江古田クンの声も、こういう感じなんだよね」

「……えっ」

「このボーカルさ、息の混じり方とか、語尾の抜け方とか……なんか江古田クンに似てね?」


 そんなことを言われても、自分ではあまりよく分からない。それになんだか小っ恥ずかしくって、僕は顔の中心に熱が集まるのが分かった。

 曲は変わらずメロウに流れている。まるで舌の上の飴玉を転がすみたいに、僕の心に生まれたざわつきを、少しずつ溶かしていった。


「……浪川くん、こういう曲も聴くんだね」


 イヤホンを外すと、周りの世界がさっきより少しだけ静かに感じられた。「ん? ああ。意外?」と反応する彼に、「ちょっと……意外」と正直に言えば、彼は照れたようにくしゃりと笑った。


「でも俺、昔からこーいうの好きなの。マセガキってやつ」

「ふふ、ヘンな言い方」

「……で、どう? ラジオに流せそ?」


 身を乗り出しては、したり顔を覗かせる浪川くんに、僕は一つ頷きを返す。もちろんそんなこと、尋ねるまでもない。そもそもラジオでは、部員が好きに持ち寄ったCDを好きなように流していた。だから選曲は、放送部員である浪川流之介が好きな曲なら、何でも良いのだ。


「金曜日にこの曲のCD、持ってきてくれる?」

「ん。りょーかい!」


 快活な返事に、僕はまた頬を綻ばせる。

 さっきまで聴いていた曲の余韻が、まだ耳の奥に残っていた。


《今日の一曲は、二年、Nさんより推薦の──》


 浪川くんの曲を選んだからだろうか。その週のラジオは、いつもよりちょっとだけ違って、そしてちょっとだけ特別だった。


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