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第二話


 ──数日後。

 ひょんなことから廃部を神回避し、さらに予期せぬ新入部員まで獲得してしまった僕は、放課後の時間を使って、彼──浪川流之介に部室となる放送室を案内していた。


「うお、やべえ〜。放送室なんて初めて入った。やば……」

「べ、別に……何もやばくはないと思うけど……」


 六畳ほどの狭い一室を、浪川くんは子どものようにきょろきょろと見回している。僕はその横で、おそるおそる相槌を打つだけで精一杯だった。

 彼の「やべえ!」という語彙の連発が、さっきからずっと同じで、知らずとため息が漏れてしまう。


 ──部員足らねえの? じゃあ俺入るけど。


 あの軽すぎる一言から今日に至るわけだが、正直、僕はいまだに現実を飲み込めていなかった。


(だって、あの浪川くんが放送部って……)


 機材や事務用品がぎゅっと押し込まれた狭い空間は、見慣れているはずなのにどこかほこりっぽくて、陰気にすら感じられる。そのせいか、浪川くんのまばゆい蜂蜜色の髪がやけに浮いて見えた。

 そもそも放送部は、その活動内容からして物静かな生徒ばかりが集まる部だった。かつての部長も、先輩たちも、転校してしまった最後の部員も皆、穏やかで控えめな人たちばかり。つまり、浪川くんとは真反対だった。彼とはこれまで同じクラスになったこともなければ、ろくに話したことすらもなかったわけだが、その派手さとアクティブさは校内随一、いやでも耳に入る。そしてここは、そんな生徒が所属するような部ではなかった。

 この時、僕はたぶん、気後れしていたのだろう。その理由は単純で、「彼はすぐに飽きて辞めてしまうに違いない」 という不安が拭えなかったからだ。なにせ、相手は「流浪の男」なので。


(そうしたら……結局、廃部か)


 悪い未来を早々に予感しつつ、僕はクラブの説明を続ける。活動日は火曜日と金曜日。主な部活の内容は、放課後に流す定期放送の準備と実施だ。


「知ってる。『放課後ラジオ』だっけ」

「……え、知ってるの?」


 意外だった。まさかこの手の生徒が、放送に耳を貸してくれているとは思わなかったからだ。が、浪川くんはなんてことなく「あれ、面白いよな」と頷いてみせて。


「前の週は、たしか最近発表された文学賞がテーマだったよな? 俺、そういうのぶっちゃけキョーミねえんだけどさ、『へえ』って思ったのは憶えてる」

「は、はあ……」


 どう反応すればよいのやら。呆気に取られた僕は、またしても会話のリズムに追いつけず、よく分からないまま調子を合わせる。……だって、「『へえ』って思った」って何だ。「面白いよな」と言うくらいだから、きっと褒めてくれているのだろうが、その言い方のせいかあまりしっくりこない。それでもほんの少し、いやわりと結構嬉しかったのは、こうして感想をもらえること自体が、僕にとっては貴重だったからだ。

 ちゃんと聴いてくれている人がいることを、久々に実感することができたから。


「『放課後ラジオ』は、放送部ができた頃から続いてる活動で──」


 僕はそのまま説明を続ける。


「部内で台本や構成を作って、部員がパーソナリティになって放送するんだ。火曜は原稿の準備をして、金曜に流して──」

「ん? ちょい待ち」

「……何?」


 急に口を挟む浪川くんに、僕は小さく首を傾げる。すると彼は驚愕に目を見開き、「……あれ、もしかして全部、二人で作ってんの!?」と声を震わせた。なお、それほど驚くようなことではないが、生徒からお題のリクエストやお便りがある場合を除いて、だいたいその通りだった。


「今年はずっと、僕ともう一人の部員の子でやってたよ」

「えぐっ!」


 途端に目を輝かせる浪川くん。何が琴線に触れたのか、彼は身を乗り出しては「マジかぁ!」と感嘆するものの、当の僕はテンションの高さに「う、うん……」と圧倒されるより他ない。


「だってさ、喋るだけであれだけ伝えられんのって、普通にすげえよ。何を話すかとかも一個一個決めてんだろ? 地味に大変じゃね?」

「えっ、あ……まあ……」


 素直な感心の言葉に、僕は思わず声を失う。褒められ慣れていないせいで、どう返せばいいのか分からなかった。それに台本作りやらパーソナリティやら、それらしいことは言っているものの、結局は好きなことを好きなように駄弁っているにすぎないわけで。


(放送部が廃部になって、このラジオが無くなったとしても、別に何も変わらないというか……)


 そんな諦めが、胸のどこかにいつもあったものだから。


「……慣れれば、そんな大したことではないんだけどね」


 僕はそう言ってぎこちなく笑うと、「もうすぐ時間だ」と室内の時計を指差す。時刻はまもなく四時半。毎週金曜恒例の「放課後ラジオ」の時間だった。


「ちょっとやってみるから、そこで聴いていてよ」


 僕は放送機器の前に座ると、その隣に浪川くんを誘う。そうして目の前の設備に手を伸ばすと、後の操作は既に慣れたものだった。

 主電源を入れて、マイクやCDプレイヤーといった音源とミキサーの接触を確認、つまみをひねってチャンネルを選択。さらに放送エリアを校内に限定するようにキースイッチを入れる。音質、音量が規定の状態であることをチェックすると、手元のヘッドホンを耳にかけ、最後にテスト用のダミーアナウンスを口にする。……音声クリア。

 時計が四時半を告げると同時に、僕は指定の放送回線をオンにする。入力するのはCDの一曲目、軽快な曲調のBGM。そしてタイトルコールのアナウンス。流れるように僕は挨拶を口にする。


《皆さん、こんにちは。放送部の江古田です。今日も学校生活、お疲れさまでした。週の最後の放課後のひととき、よろしければ少しだけ僕とお付き合いください──》


 時間にして約十分程度。フリートークと、テーマに沿ったコーナー企画、それと音楽の紹介で構成される番組は、いつも通りにつつがなく進行していく。隣に浪川くんがいようと気にせず、落ち着くことを心がければ、放送において重要なハキハキとした話し方や丁寧な言葉遣いをきちんと意識することができた。

 やがて、ラジオはエンディングを迎える。


《──そろそろお別れの時間です。今日の『放課後ラジオ』、いかがでしたか。明日も、そして来週も、皆さんにとって穏やかで良い日々になりますように。お相手は、放送部の江古田でした。それでは、また次回の『放課後ラジオ』でお会いしましょう》


 スリーカウントを刻み、サウンドのボリュームを調整するつまみを絞る。放送回線を切り、最後に主電源を落とせば、僕はヘッドホンを取るなり深くため息を吐いた。……何とか、無事終了! ぱっと視線を浪川くんの方に向ければ、彼はぽかんと気の抜けた表情ののち、みるみる顔色を上気させては「……すっげえじゃん!」と笑みをこぼした。それはまるで、花が咲いたような無邪気な笑顔を。


「江古田クン、めっちゃ声良いじゃん! 普段と全然違え、なんかプロみてえ!」


 忌憚のないストレートな褒め言葉に、僕は再び言葉を無くす。「え、えっ……そんな……」と処理落ちしては、どう答えるべきか分からず挙動不審。しかし浪川くんの追撃は止まらない。


「前聴いた時も思ったけどさ、話すのめっちゃ上手いのな。聞き取りやすいっつーか、耳に言葉が一個一個入ってくるみたいな?」

「えっと……あ、それは……」

「台本もほとんど見ないでソラで話してたし。あれ、もしかして全部頭ん中入ってんの? だとしたらガチですごくね?」

「う、あっ……そ、その……あの……」

「いや、マジで。江古田クンの話、聴いてて落ち着くんだよ。声も優しいのに、芯があるっていうか」


 俺、あれ好きだよ。

 そのひと言に、僕は思わずかっと頬を火照らせる。急上昇する体温は、慣れない事態への緊張と、ふわふわとした気分の高揚のせい。けれどキャパオーバーしてしまった僕はどうしていいか分からず、「ま、待って!」と叫んでは、手のひらを突き出して浪川くんを制止した。


「あ、あの……! あんまりそんな急にこられると、びっくりする、っていうか……!」


 その目をギュッと瞑り、何とか言葉を絞り出せば、「あっ。わり」と浪川くんの申し訳なさそうな声が耳に入る。ゆっくりと手を下ろし、おずおずと瞼を開かせば、そこには気まずそうな彼の顔が見えた。


「ゴメン、こういうの苦手だった? 俺、昔から距離の取り方下手くそで」

「う、ううん……大丈夫……」


 バツが悪そうにこめかみを掻く浪川くんに、僕もまた恐縮する。……たしかに、彼との距離の取り方はなかなか難しかった。が、それは彼が、僕の思っていたような人物ではなかったからだ。

 派手な見た目に、軽薄な態度。転部を繰り返すような飽きっぽさ──そこから浮かび上がる浪川くんの像は、何となく僕の苦手とするものだった。けれどいま目の前にいる彼は、その笑顔と言葉がすこぶる明るい、普通の好青年で。


(僕は、いつの間にか色眼鏡をかけていたのか……)


 人は見かけに依らない。そして、人を見た目だけで判断するのは早計だった。


「な、浪川くん」


 僕は咄嗟に口を開く。それは純粋に賞賛してくれた彼に対して言うべきは、「待って」でも「びっくりする」でもないことに気づいたから。

 真っ直ぐ捉えるのは、彼という存在の輪郭。僕はラジオで語るように、しっかりと、気持ちを込めて言葉を口にする。


「でも……褒めてくれたのは、嬉しかった」


 聴いてくれて、ありがとう。

 僕の言葉に、一拍を置いて浪川くんがくしゃりと破顔する。「だって、すげえ良かったし!」と言う彼は、心からその感動を噛み締めているようだった。


「俺、喋んのあんましだからさ。本当に尊敬する」

「……ん?」

「あ、いや。全然なんでもない! それよか江古田クン、なんかさっき照れてなかった? 意外とかわいいとこあんじゃん~」

「か、かわ……! って、そういうのがびっくりしちゃうんだって……!」


 いたずらっぽい浪川くんの笑い声に、僕の上擦った余裕のない声が重なる。たった二人しかいないのに、その日の放送室は今までで一番賑やかで……一番楽しくて。

 浪川くんが、いつここを飽きて去ってしまうのかは分からない。が、それでも何とか、上手くやっていけたらといいな、と僕は思った。


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