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第零隔離区ー特異感染者と呼ばれた少年ー  作者: 茅ヶ崎 真
ウイルスの定着

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5/7

第5話 発症

♢♢♢

次の日。


「遅いな…。」


雪斗は何度目か分からない談話室の時計を見上げる。

試験の終了時刻はとっくに過ぎていた。

向かいに座っている悠真も不安そうにしている。


「もしかしたら疲れて部屋にいるのかもね。」


悠真はそう言ったものの、その声には自信がなかった。


一日、二日、三日…。


湊はあの日から雪斗たちの前に姿を見せていない。

最初は経過観察だと思った。だが、さすがにおかしい。

あいつなら、たとえベッドの上でも


『生きてるぞー!』


くらいの連絡は寄越すはずだ。

雪斗は立ち上がり、近くで見張っていた職員へ声をかける。


「湊は何処にいる。試験はとっくに終わっているはずだろ。」


職員はその質問に答えない。


「生きてるんだろうな…。」


「……お答えできません。」


その言葉を聞き、雪斗の眉が吊り上がる。


「何でだよ。」


「規則です。」


「規則規則って……!お前らなぁ!」


その時だった。

談話スペースの扉が突然開き、雪斗にとって懐かしい人物がそこに立っていた。


「あ…あんた…。」


「雪斗くん…。」


宮下 琴音だった。だが前と様子が違う。黒い隊服を身につけており、首元や手首には怪我をしている。顔色もどことなく悪い。目の下のクマも酷く何日も眠っていないようだった。


「なにがあった…。」

(この人…まさか俺の時みたいに湊のこと治療しに来たんじゃ…。)


琴音は唇を噛み締め、悔しそうな表情をしている。だが何も答えない。


「まさか…。湊に何かあったのか…?」


「…。」


「嘘だよな…?おい…。」

(まさか…死んだ?)


談話室の空気が重く沈む。琴音は雪斗と目も合わせようとしない。雪斗にとってはそれが答えのようなものだった。


「……なんで。なんでだよ…。」


頭の中に湊の笑顔が浮かぶ。


『雪斗くーん!』


そこにいるはずだった。


「またねって…言っただろうが…。」


握り締めた拳が震える。

雪斗の呼吸が乱れ始めた。

胸が苦しくなり頭も痛い。


―――朝比奈 湊は死んだ。―――


雪斗の脳裏に映像が流れる。

学校で見た恐ろしい光景。

家族とも離れ、監禁状態。

自身も感染したことによる未来への不安。

それらが津波のように一気に押し寄せてきた。

雪斗は知らないのだ。

自身の体内に存在する“二つ”のウイルスが、


――感情によって大きく反応していると。――


ドクン。


心臓が強く脈打つ。


ドクン。

ドクン。


視界の端が黒く染まる。


「雪斗くん……?」


琴音が異変に気付いたが既に遅かった。雪斗の首筋には、黒い血管が浮かび始めていた。


「え……。この血管って…。」


黒い血管は首から頬へ、腕へ、ゆっくりと広がっていく。

それは…怪物化する感染者に見られる症例とよく似ていた。

もちろん雪斗自身も異常に気付いていた。

身体が熱い。

骨の奥が軋む。

耳鳴りが止まらない。

呼吸が上手くできない。

その瞬間、談話室の天井に設置された警報装置が赤く点滅した。


ビーッ!!

ビーッ!!

ビーッ!!


思わず耳を塞ぎたくなるほどの大きな警告音。

談話室にいた職員達の顔色が変わる。


『警告。高濃度ウイルス反応を確認。』

『警告。高濃度ウイルス反応を確認。』


警報が鳴り響く中、琴音は急いで耳元の通信機で応援を呼ぶ。


「こちら宮下!誰か空いてる方いませんか!」


―――ジジッ


『…はい。小瀧。』


「一ノ瀬雪斗くんが異常反応を起こしています!」


『は?発症したのか?』


「分かりません!B18階の談話スペースに今すぐ来てください!」


『…了解。』


―――ジジッ


通信が切れ、琴音は護身用のナイフに手を伸ばす。


「雪斗…?」


悠真がおそるおそる声をかけたが、雪斗はそれを拒否した。


「来るな…。」

(なんなんだ…。これは…。)


雪斗自身、体の中で何が起こっているのか検討もつかない。ただ、必死に理性を保とうとしていた。


(体ん中が…燃えてるみたいだ…。)


その時。


―――ドォォォォン!!


凄まじい轟音が響いたと同時に、談話室の壁が吹き飛んだ。

そして、瓦礫の向こうから一人の男が現れた。

そこにいたのは黒い隊服を着た男。片手には刀が握られている。

雪斗にとって見覚えのある男だった。


(あいつ…学校にいた奴だ…。)


その男は雪斗を確認すると一言呟いた。


「対象確認。始末する。」


その言葉を聞き琴音が顔色を変え、男を止めようとした。


「待って!小瀧さん!」


「あ?なんだ?」


「雪斗くんを止めるだけでいいの!殺さないで!」


「はぁ?お前も見て分かんだろ。あいつは発症した。始末以外にやることねぇよ。」


「でもだめなの!」


「チッ。」


男――小瀧は琴音の胸ぐらをつかみ、顔を近づけ低い声で怒り出した。


「舐めたこと言ってんじゃねぇよ。能力使いすぎてバカになったのかテメェは。」


「そんなんじゃ……!」


「まず第二部隊の出る幕じゃねぇんだ。引っ込んでろ。」


「きゃっ!」


小瀧は乱暴に琴音を床へ投げつけ、視線を雪斗に戻した。


「…すぐ終わらしてやるよ。」


刀を構え、戦闘態勢に入った。琴音は「やめて!」と叫んでいるが、その言葉は小瀧の耳に入らない。

その時、雪斗の前へ一人の影が飛び出して来た。


「…どいつもこいつも。」


小瀧が眉をひそめる。

そこに立っていたのは、足が震えて顔が真っ青になっている悠真だった。


「どけ。」


「……嫌だ。」


小さな声は少し震えていた。

その返答にさらに小瀧は眉をひそめる。


「聞こえなかったか?」


「聞こえてるけど…退かない。」


悠真は雪斗を庇うように両手を広げた。


「もう…友達を失いたくないんだ……。」


談話室が静まり返る。

悠真は強くない。もちろん戦える訳がない。

恐怖で膝が震えているが、それでも立っていた。


「死ぬぞ。てめぇ。」


「それでも…退かない。」


「……。」


二人の間に一瞬だけ沈黙が落ちる。

小瀧はため息をつき刀を構えた。


「…警告はした。斬られても文句言うなよ。」


悠真の顔が強張る。

そして小瀧が踏み込んだ。


ドンッ!!


速い。

その姿は誰の目にも、小瀧が悠真ごと斬るように見えた。

その姿を見て琴音は叫び、悠真は思わず目をつぶる。


「やめてぇぇぇ!!」


「―――!」


その瞬間。


――ピシッ――。


どこからか、冷たい空気が一気に談話室へ流れ込んできた。

…異常なほど冷たい。

まるで冷凍庫へ放り込まれたような寒気だ。

床に白い霜が広がり、壁や天井が凍る。


ピキピキピキピキッ!!


小瀧の足元から氷が噴き出した。


「っ!?」


一瞬で小瀧の両足が氷に飲み込まれた。

そのせいで踏み込みの勢いが強制的に止まり、刀の軌道が逸れる。

斬撃が悠真の数センチ横を通過した。

風圧だけで髪が揺れる。

そして雪斗の身体にも氷が伸びてきた。

顔だけを残し冷たい氷が雪斗の体を覆う。

―――まるで棺だった。


コツ――。

コツ――。


硬い靴音が響いた。

全員が音のする方へ顔を向けると、一人の女性がこちらへ向かって歩いてくる。

白に近い髪。青い瞳。感情の見えない表情。

周囲には冷気が漂っている。その女性が歩くたびに床が凍っていた。

琴音が驚いた様子で静かにその女性の名前を呟いた。


「氷室…副隊長…。」


―――氷室副隊長。


氷室副隊長の視線は雪斗を捉えていたが、ゆっくりと小瀧へうつした。


「小瀧。」


氷室副隊長の声に小瀧の肩が僅かに震えた。

青い瞳は氷のように冷たかった。


「説明を。」


氷室の声に感情はない。だからこそ怖いのだ。

小瀧は頭を掻きながら簡単に説明をする。


「あいつはウイルス保菌者です。見ての通り発症しています。だから止めようとした…それだけです。」


「心臓を止めようとしたのか?」


「…。」


「彼がどのような人物か説明を受けただろう。」


「…。」


「誰の許可を得て始末しようとした。」


小瀧は何も言えなかった。全て事実だからだ。

氷室は小瀧が何も答えないと分かると、雪斗へ視線を戻した。

氷の棺に閉じ込められた雪斗は呼吸が荒く、目も赤い。

そんな雪斗の前で立ちはだかっている悠真に、氷室は冷たく質問をした。


「貴様は…ウイルス適応試験の対象者だな?」


「は、はい…。」


声をかけられるとは思ってもいなかったため、悠真は少し驚いてしまう。


「このままいけば、彼は処分対象になるだろうな。」


「そんな……。」


「感染による精神侵食は確認されている。完全に理性を失えばこちらも対応できない。」


「ま、待ってください……!」


氷室の目は相変わらず冷たい。目が合うだけで硬直してしまう。だが、話は聞いてくれそうだと思い悠真は言葉を続けた。


「俺が…何とかします。」


「…貴様に何ができる?」


「分かりません、でも…チャンスをください。」


氷室は何も言わない。ただ悠真を真っ直ぐ見ていた。少しの沈黙の後、氷室がゆっくりと口を開いた。


「…いいだろう。」


「氷室副隊長!」


まさかの返答に小瀧は思わず声を荒らげた。


「こいつはもう発症してるんですよ。今更任せたところでー。」


「いいじゃないか。やらせるといい。」


「氷室副隊長!」


「小瀧、少し黙れ。副隊長命令だ。」


「……失礼しました。」


小瀧のその言葉を聞き、氷室は悠真へ向き直った。


「ただし、危険と判断した場合は問答無用で彼を始末する。いいな。」


「!分かりました。ありがとうござー…」


だがその時だった。


――バキッ!!


雪斗を覆っていた氷に亀裂が走る。


ピシッ――。

ピシピシッ――。


氷が砕け始める。


「っ……ぁ……!」


雪斗は苦しそうにもがいている。

まさに理性と本能がせめぎ合っている瞬間だった。


「雪斗っ…!」


パリーーンッ!!


悠真が声をかけた瞬間、氷片があちこちに吹き飛んだ。氷片は至近距離にいた悠真に直撃し、額からは血が出ている。

その姿を見た小瀧が反射的に刀の先を雪斗へ向けた。

だが。


「小瀧。刀を下げなさい。」


氷室は小瀧を止めたのだ。


「!しかし――…」


「下げろ。」


今度は命令だった。小瀧は歯を食いしばり刀をゆっくりと下ろした。


「雪斗!」


悠真は雪斗へそっと肩に手を置いた。

その目からは涙がこぼれている。


「頼むから…雪斗までいなくならないでよ…。」


雪斗の赤い瞳が揺れるが、悠真はそれに気付かない。


「ここを出て、ちゃんと湊の妹さんに会いに行こう?俺一人じゃ寂しいから…。」


「…。」


「このままいけば…雪斗は殺されちゃうんだよ。そんなの…嫌だろ?」


(悠…真。)


「こんな馬鹿げたウイルスのせいで、湊も雪斗も失うのは嫌なんだ。」


(…俺だって嫌だよ…。)


「ウイルスのせいで雪斗が始末されるぐらいなら…俺が雪斗のこと殺しちゃうから…!絶対にそうするから…!!」


その言葉は確かに雪斗の耳に届いた。

荒れていた呼吸が、少しずつ落ち着いていくのが雪斗にも分かった。


「悠真に殺されんのは…嫌だな…。」


掠れた声が聞こえ、悠真が勢いよく顔を上げる。

雪斗は苦しそうに笑っていた。


「……ありがとな。」


その一言だった。

次の瞬間。

雪斗の全身の力が抜け、ガクッと身体が前へ倒れた。


「雪斗!!」


悠真が慌てて雪斗の身体を受け止める。

雪斗は完全に意識を失っていた。

その様子を見た氷室は小さく息を吐き、耳元の通信機へ手を当てる。


「医務部。」


『はっ!こちら医務部。』


「B18談話室で負傷者が出た。男性一名、意識消失。暴走しかけたが今は発症時に見られる症状はない。至近搬送を。」


『了解。』


通信を切り、悠真の腕の中で眠る雪斗へと近付いた。そのまま腰をおろし雪斗の頬をそっと撫でる。


「…普通の子供だな。」


一言つぶやくと、氷室はまた立ち上がり今度は悠真へ声をかける。


「君。」


「は、はい。」


「医務部の奴らが来たら、君も一緒に行って手当を受けなさい。」


悠真は戸惑ったように瞬きをした。


「え……?」


雪斗を庇った際に出来た切り傷や、砕け散った氷の破片で出来た細かな裂傷が体のあちこちにあった。


「怪我をしている。」


「え?あぁ…これくらい……。」


「駄目だ。手当を受けなさい。」


反論を許さない声。あまりの圧に悠真は小さく頷いた。


「……はい。そうします。」


「よろしい。あとは…。」


氷室の視線が悠真から琴音へ向く。

琴音は思わず肩を震わせた。同じ戦闘部隊でも格が違いすぎる為、目が合うだけで緊張してしまうのだ。

氷室は琴音の前へ歩み寄り、尻もちをついている琴音に合わせしゃがんだ。


「…顔色が悪いな。腕を見せなさい。」


「えっ!は、はい…。」


琴音は恐る恐る袖を捲る。包帯を巻いているが、巻かれていない箇所からは傷が見える。新しい傷ばかりだ。


「…無茶をしすぎだ。」


「だ、大丈夫です。このくらい…。」


その言葉を聞き、琴音の袖を直していく。感情があるのかないのか…何を考えているか分からない。


「で…?転倒した理由はなんだ?」


琴音は言葉に詰まってしまった。だが氷室の圧が怖くて正直に伝えてしまう。


「あ…えっと…小瀧隊員です…。」


「小瀧が?」


「少し…揉めてしまって…。」


「…そうか。うちの部下が悪かった。」


「!いえっそんな…。」


「君も医務室だ。」


「え!?だ、大丈夫です!」


「駄目だ。ここ数日、朝比奈湊の治療に当たっていたのだろう?」


「でも……。」


「副隊長命令だ。部隊は違うが私も君の上司だろう?」


有無を言わせない声に、琴音は反射的に背筋を伸ばす。


「…了解しました。」


氷室はその答えに満足したのか、小さく頷いた。

ちょうどその時、防護服を着た職員が談話室へ駆け込んできた。どうやら医務班の人間らしい。

職員たちは雪斗の状態を確認し、慎重にストレッチャーへ乗せた。そのまま悠真も付き添うよう促される。

琴音も医務部職員に支えられながら歩き始めた。

…そして談話室に残されたのは、氷室と小瀧だけだった。


「小瀧。」


先に口を開いたのは氷室だった。


「むやみやたらに殺生するな。」


小瀧はその言葉に眉をひそめる。


「ですが副隊長、あの状態は――」


「だからと言って貴様の独断で処分していい理由にはならない。」


「…。」


「彼は確かに危ない状態だった。だが精神が保てていて怪物へ覚醒していないのなら、生かさなければならない。特に彼は“前例のない特別な人間”だ。」


「…はい。」


「それと…後で宮下隊員に謝罪しなさい。」


「……は?」


思ってもみなかった言葉に、思わず言葉が漏れた。


「彼女は敵では無い。部隊は違うが我々の仲間だ。それなのになぜ、彼女を邪険に扱った?」


「…邪魔だったので、突き飛ばしただけです。」


「感情で動きやすい彼女の行動も問題だが…同じ隊員に暴力を振るう貴様の方が大問題だ。」


氷室は一歩、小瀧へ近付く。


「宮下隊員のことも聞いていただろう?彼女は数日前から朝比奈湊に対して能力を使っている。体も心も限界な人間を、突き飛ばしていい理由は無い。」


「ですが…あのままいけば全員死んでいた可能性もあります。」


「貴様の力なら、私が来るまでの時間稼ぎぐらい出来るはずだろう。なのに始末しようとした。本来なら謹慎だけでは済まされないぞ。」


「…。」


「我々の仕事は討伐だ。だが、始末するかしないかの判断も仕事だ。何もかも討伐してしまっては元も子もないだろう。」


「…。」


「分かったか?」


数秒の沈黙。

やがて小瀧は大きくため息を吐いた。


「…了解。」


その返答を聞いて、氷室はようやく視線を小瀧から外しその足で談話室の出口へ向かう。すると思い出したかのように氷室は小瀧へ振り返った。


「そうそう。この後は会議だ。…小瀧も来るように。」


「はぁ………………了解。」


第6話は24日19時に更新予定です

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