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第零隔離区ー特異感染者と呼ばれた少年ー  作者: 茅ヶ崎 真
少しの平和

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35/43

第35話 意識が戻った日

――五日後。


鼻をくすぐる消毒液の匂いがする……。

そしてそのままゆっくりと意識が浮かび上がっていく。


「……。」


重たい瞼を開けると、真っ白な天井が目に映った。

何度も見たことのある景色だ。


「……ここは。」


掠れた声が静かな病室に響く。

第零隔離区にある“特殊患者観察室”だ。


(助かったのか…?)


雪斗は身体を起こそうと腕へ力を入れた。


「っ……!」


鋭い痛みが胸から全身へ走る。

思わず顔を歪め、再びベッドへ倒れ込んだ。


「いってぇ…。」


息を吸うだけでも痛い。

よく見れば腕には点滴が打たれており、包帯も巻かれていた。


(動けねぇ……。)


自身のつけられた傷をボーっと眺めていると、病室の扉が開いた。


「一ノ瀬くん!」


部屋にある監視カメラで見ていたのだろうか。意識が戻った雪斗に、古川が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「古川先生…?」


「起きたんですね!良かった…。」


古川は雪斗へ近づくなり、すぐに瞳孔や脈を確認した。


「先生…俺…。」


「無理に動いてはいけません。まだ身体は回復しきっていませんから。」


古川は続いて入ってきた看護師へ視線を向ける。


「鷹宮隊長に連絡してください。一ノ瀬くんが目を覚ましたと。」


「はい!」


看護師は小さく頷くと、急いで病室を飛び出していった。

目が覚めたばかりで何がなにやらまだ分かっていない雪斗に、古川は手を動かしたまま優しく微笑む。


「一ノ瀬くん。まずは、おかえりなさい。」


「…はい。あのっ…俺はなんでここに?」


掠れた声で雪斗が尋ねると、古川はカルテに何やら書き込みながら教えてくれた。


「鷹宮隊長たちが、一ノ瀬くんを見つけ出してくれたんですよ。」


「えっ……。」

(来てくれたんだ……。)


「寝る間も惜しんで、ずっとあなたを捜していたんですよ。」


「俺を……?」


信じられない、といった表情を浮かべている。

幻覚と現実の区別がつかなくなっていた雪斗にとって、古川の言葉は嬉しいものだった。


ウィーン――。


病室の自動扉が開き視線を向けると、息を切らした鷹宮の姿があった。

額には汗が滲んでいる。きっと急いできたのだろう。


「あ…鷹宮隊長……。」


鷹宮は何も言わず、ゆっくりと雪斗のベッドへ歩み寄る。

その表情は険しいままだった。


(怒られる……?)


そう思い、雪斗は思わず視線を逸らした。

敵に捕まってしまったこと、そして迷惑をかけてしまったこと。

合わせる顔がないと思ったのだ。


「…体調は?」


「あっ…所々痛みはあります……。でも大丈――…。」


言い終わる前に、鷹宮は大きなため息をついた。


「た、鷹宮隊長……?」


「よかった……。」


「えっ?」


「ずっと意識が戻らなかったからな。このまま目が覚めなかったらどうしよかうと思っていた。」


先程まで険しい顔をしていた鷹宮の顔に、少し安堵の表情が見えた。


「五日も眠っていたんだぞ。」


「五日!?そんなに……。」


少し眠っただけの感じはしたが、言われてみると体はバキバキだ。

すぐに復帰できないことは明白だった。


「俺……クビですか?」


雪斗は恐る恐る尋ねると、鷹宮は少しだけ眉を上げる。


「……辞めたいのか?」


「……。」

(分からない。)


今までは、能力というものは正義の味方だと思っていた。実際、そのおかげで助かった人もいる。でも、能力は使い方次第で悪にもなるのだと痛感した。

…怖かった。殺されるんじゃないかって。

思い出しただけで手が震えてしまう。

その様子を見た鷹宮が口を開いた。


「…能力のこともある。この施設を出て、一般人として生活させるのは難しいだろう。」


「えっ…?」

(何の話……。)


「だが…戦闘部隊だけが、この施設の仕事じゃない。もし戦うことが苦しいなら、部署を異動するという選択肢もある。」


「部署異動……?」


「回収部隊や警備隊だ。医療部隊や研究部は専門知識が必要だから難しいが、お前には他にも居場所はあるからな。」


雪斗は驚いたように鷹宮を見つめる。


「怒らないんですか……?」


「何を怒れば?」


「だって俺……助けてもらったのに、戦闘部隊に戻るのが怖いって……。」


「お前…もう少し自分に自信をもて。お前が助かったならそれでいい。」


「でもっ!」


「無理に戦闘部隊に戻ってまた辛い思いをするぐらいなら、上から何言われようが俺はお前のメンタルを優先する。」


「鷹宮隊長……。」


「感動のところ申し訳ありませんが……。」


「!」


古川が二人の間に苦笑しながら割って入ってきた。


「どこの部署へ配属するかは、一ノ瀬くんが完全に回復してから決めても遅くはないと思いますよ。」


そう言って雪斗へ視線を向ける。


「まずは身体を治すこと。それが今のあなたの仕事です。」


「あれ……俺って今日、退院じゃないんですか?」


雪斗が首を傾げると、古川は呆れたようにため息をついた。


「そんなわけないでしょう…。肋骨はまだ治っていませんし、栄養状態も完全には戻っていません。もうしばらくは入院です。」


「えぇ……。」


思わず肩を落とす雪斗に、古川は小さく笑った。


「焦らなくて大丈夫です。身体はきちんと治せば、また動けるようになりますから。」


「……先生、あとは頼みます。」


「任せてください。」


鷹宮は古川へ一礼すると、扉の方へ向かい最後に振り返った。


「一ノ瀬。答えが決まったら、また聞かせてくれ。」


「……はい。」


そして病室の扉が静かに閉まり、部屋には再び穏やかな静けさが戻った。

古川はカルテを閉じると、改めて雪斗へ向き直った。


「一ノ瀬くん。今後について説明しますね。まず、退院までは順調に回復しても二週間ほどかかります。」


「二週間!?」


「そして骨が完全に回復するまでは、およそ三か月です。」


「そんなに……。」


「無理をすれば治りも遅くなります。焦らず、今は身体を休めてくださいね。」


古川の説明を聞いていたその時、再び病室の扉が開いた。


「失礼しますよ。」


「げっ…。小倉かよ……。」


雪斗が会いたくなかった人物…小倉が顔を覗かせた。雪斗を見つめるその目は、どこか期待に満ちている。


「ちょうど目を覚ましたと聞きましてね。一ノ瀬くんの血液だけでも採取したいのですが…。」


雪斗を心配して来た訳ではないことは、小倉の表情を見て分かる。雪斗はあからさまに嫌そうな顔を向けるが、古川は対照的にニコリと微笑んだ。


「そうですか。小倉主任は血液検査をご所望なんですね。」


「えぇ、その通り──」


言い終わる前に、古川は小倉の手首をがしっと掴む。


「では、まずあなたから採血しましょう。」


「……え?」


「最近、寝不足のようですし。健康状態を確認しないといけませんね。」


「ちょっ、違う! 僕じゃな──」


「遠慮しなくて大丈夫ですよ。」


笑顔のまま、小倉を廊下へ引きずっていく古川。


「ちょ、力強!!」


抵抗する小倉の叫び声が病棟に響き渡る。

古川は振り返り、雪斗へ優しく微笑んだ。


「では、また来ますね。」


そう言い残し、二人は病室を後にした。

その後も次々と隊員たちがお見舞いに来てくれた。

早乙女は病室へ入った瞬間、涙で顔がぐちゃぐちゃだった。


「ゆ、ゆぎどぐぅぅぅん……!」


泣きすぎて何を言っているのか分からない。


「梓ちゃん、落ち着いて……。」


隣では琴音が苦笑しながら、早乙女の背中をさすっている。


「ほんとに……生きててよかったぁ……。」


ようやく聞き取れたその言葉に、雪斗は思わず笑みを浮かべた。


次に現れたのは小滝だった。


「……よう。」


相変わらずぶっきらぼうな挨拶。

しかし、ベッド横の机へ大きな箱を置く。


「?これは……。」


「メロン。食え」


「えっ!?」


「……食え。」


「あ、ありがとうございます……。」


照れ隠しなのか、小滝はそれ以上何も言わず病室を出て行った。

明らか高級そうなメロンだ。


続いて不知火がお見舞いに来る。


「一ノ瀬ぇぇ!」


感情が高ぶってしまったのだろう。


ボッ!


身体から炎が噴き出した。


「うわっ!不知火副隊長!火!火!!」


雪斗が驚いたその瞬間、不知火の体が氷漬けになる。


「…落ち着け。」


氷室がため息をつきながら病室に入ってきた。


「氷室副隊長…。」


「騒がしくしてすまんな。」


この日だけでほとんどの隊員がお見舞いに来てくれた。

みんな暇では無いはずなのに。


(監禁された日のこと…思い出す暇がないな…。)


そして次の日、今度は八雲が花を持ってお見舞いに来てくれていた。

以前、鳥を助けてくれたお礼も兼ねてだそうだ。


「体調はどう…?」


「だいぶ良くなった。ありがとう……ございます。」


普通にタメ口で話していたが、今考えれば八雲は年上で先輩だ。雪斗は思い出したように敬語を使うが、それに気付いた八雲はクスッと笑った。


「いいよ。タメ口でも。」


「いや、さすがにそれは…。」


「いいんだ。友達みたいで、僕はその方が嬉しいから。」


「……わかった。」


ウィーン──…


「やっほー、雪斗くん。元気ぃ?」


いつもの調子で手をひらひらと振りながら、真壁が部屋に入ってきた。

そしてその視線が八雲へ向く。


「……あれ? 太一くんもいるじゃん。」


「真壁さん。お疲れ様です。」


「お疲れー。二人ともいつの間に仲良くなってたの?」


「ははっ内緒です。…じゃあ僕は、この辺で失礼しますね。」


八雲は雪斗へ軽く手を振ると、病室を後にした。

そして入れ替わるように真壁がベッドの横まで歩いてくる。


「太一くんと仲良くなるなんて、雪斗くんやるねぇ。」


「俺は別に何もしてないですけど…。」


「そんな雪斗くんに朗報だよ。とびきりのプレゼントを持ってきたんだ。」


「プレゼント……?」

(どうせくだらない物だろ……。)


期待せずに待っていると、真壁が廊下へ向かって声をかけた。


「どうぞー。入ってー。」


病室の扉が開くと、もう一人の人物が姿を現した。

その顔を見た瞬間、雪斗の目が大きく見開かれる。


「……悠真?」


ゆっくりと病室へ入ってきた青年は、少し照れくさそうに笑った。


「……雪斗。久しぶり。」


「お前……なんで……。」


「それはこっちのセリフだよ。」


悠真は苦笑しながら雪斗へ歩み寄ってくる。

あの日──湊が亡くなって初めて雪斗の能力が暴走した日。悠真に会えたのはそれきりで、連絡もしていなかった。


「攫われたって聞いた時は、本当に肝が冷えたんだから…。」


「それは…。」


「本当は、すぐにでも会いに来たかったんだけど…訓練や任務が続いて、なかなか時間が合わなくてさ。今日は真壁さんが声をかけてくれたおかげで来られたんだ。」


「え?真壁さんが?」


意外だと思い真壁の方を見ると、悠真の言葉にご満悦の様子で、腕を組みながら胸を張っている

これでもかというほどのドヤ顔だ。


「感謝していいぞぉ?」


「……ありがとうございます。」


「でもまさか、また病室で再会するとは思わなかったね。」


「……俺も。」


二人は顔を見合わせ、小さく笑った。

病室には穏やかな空気が流れていた。

それから二人は、これまで話せなかった出来事を少しずつ語り合った。

悠真は第三部隊での生活を話してくれた。

第三部隊は能力者が一人もいない為、感染者に接近されれば、それだけ危険も大きい。その為毎日朝から夜まで訓練らしい。


「体力づくりから射撃、近接戦闘、救助訓練まで…。正直、休む暇なんてほとんどないよ。でも、みんな優しいし何とか頑張ってる。」


そう笑う悠真を見て、雪斗も安心したように微笑んだ。

互いに進む道は違っても、それぞれの場所で前を向いて歩いている。

そのことが、雪斗には少しだけ嬉しかった。


「さ、感動の再会はここまでにしよっか。」


真壁が手を叩きながら立ち上がる。


「雪斗くんも病み上がりだし、今日はゆっくり休まないとね。」


「はい。じゃあね、雪斗。また来るよ。」


「……あぁ。」


病室を出ていく悠真の背中を、雪斗はどこか名残惜しそうに見つめていた。

扉が静かに閉まると、部屋には再び静寂が戻った。


「…そういえば。」


これまで見舞いに来た隊員たちの顔を思い浮かべる。

会ったことが無い隊員や、不仲の隊員はともかく、一人だけ来ていない人物がいることに気付いた。


「橘隊長……。」


一度も姿を見ていない。

彼もまた、雪斗の捜索に全力を尽くしてくれたと鷹宮から聞いた。


「…退院したら、会いに行こう。」


そう呟いた雪斗は、ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。


♢♢♢


満月が夜空を照らしていた。

穏やかな波が月明かりを反射し、海面はまるで銀色の絨毯のように輝いている。


「こんなに穏やかな海だと入りたくなるね。…セツ。」


「……そうですね。」


あの人の隣に立つセツは短く返事をする。


「ずっと地下にいたから、湿気も酷かっただろう。どうだ?新しい基地は。」


「……良いですね。」


その素っ気ない返答に、あの人はくすりと笑う。


「セツは本当に物静かだね。それに比べて、ナギは――」


「おーーーい!!」


遠くから元気な声が響く。


「見て見て!! いっぱいカニ取れた!」


砂浜を全力で駆けてくるナギの両手には、大きなバケツが。

中では何十匹ものカニがわさわさと動き回っていた。

得意げに胸を張るナギに対し、あの人は思わず額に手を当てる。


「……そんなに捕まえてどうするの。」


「食べる!」


「全部?」


「全部!」


「誰が捌くのさ。」


ナギは迷いなくセツを指差した。


「セツ!」


「……。」


「はっはっはっ。ナギ…カニにも家族がいるんだ。早く返してきなさい。」


「えぇー……。」


ナギは不満そうにバケツを見つめる。

あの人はしゃがみ込み、ナギと目線を合わせ子どもに語りかけるように話した。


「ナギだって、家族と離れ離れになったら悲しいだろう?」


「……。」


ナギは少しだけ考え込むと、スっと立ち上がる。


「……確かに!返してきまーす!」


そう言うと、バケツを抱えたまま再び海辺へ駆け出していく。

その後ろ姿を見届けたあの人は、小さく笑った。


「…少し冷えてきたね。僕は部屋へ戻るよ。悪いけどナギの様子を見ていてくれるかな。まだ本調子じゃないと思うし。」


「……分かりました。」


セツはあの人が建物へ戻っていくのを見送ると、逆方向へ歩き出した。

波打ち際ではナギがしゃがみ込み、一匹ずつ海へカニを返している。


「ナギ。」


「!」


振り返ったナギは、満面の笑みを浮かべた。


「セツくん!見て!ちゃんと返したんだよー!」


「……あぁ。」


セツはその笑顔を見つめたまま、静かに口を開く。


「ナギ…あの日何があったか、本当に覚えていないのか。」


「んー?何がって?」


「地下にいた時だ。お前、様子がおかしかっただろう。」


「あー、それね…。」


ナギは困ったように頭を掻きながら答えた。


「思い出そうとしてもさー、頭の中にモヤがかかってるみたいで……思い出せないんだよねー。」


「……そうか。」


少しの沈黙。二人の間には穏やかな波の音だけが聞こえる。

そしてセツは聞きたかったことをナギにぶつけた。


「お前の過去……少し聞いた。」


「あー、そうらしいね。何でか俺、ペラペラ話しちゃったみたいで。」


「……お前の家族は、殺されたのか。」


「そうだよー。」


ナギは悲しむこともなく、あっさりと頷く。


「戦闘部隊の奴らにね。俺も殺されかけたんだよー。」


「……あの人が助けたのか?」


「そうだよー。俺のこと助けてくれて、一緒に復讐しよって言ってくれたー。それからずっと一緒なんだー。」


迷いのない返答にセツは眉をひそめた。


「……一ノ瀬雪斗と一緒に見た記憶は、覚えていないのか?」


「ははっ!あれは俺の記憶じゃないよー。悪い夢を見せられただけー。」


「……本当に?」


「もう、セツくんさっきから何ー?俺の記憶なんだから、間違えるわけないでしょー?」


その言葉を聞いても、セツの胸の違和感は消えなかった。


――本当に、そうなのか?


その時だった。

不意に、誰かの視線を感じる。

セツはゆっくりと振り返った。

少し離れた建物の前。

あの人がこちらを真っ直ぐ見つめていた。


“これ以上、ナギに余計なことを聞くな。”


そう…告げられているような気がした。

セツは静かに視線をナギへ戻した。


「……カニを返したら戻るぞ。」


「はーい!」


ナギは最後の一匹を海へ放つと、満足そうに笑った。

波は何事もなかったかのように、静かに岸へ打ち寄せていた。


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