第32話 ふたつの記憶
「ばあちゃん……!」
厨房にはいない。
朝は花の植え替えをすると言っていた。
震える足を叩き、庭へ走る。よく見ると土に血がついていた。
その血を追っていくと、居間へ続いている。
「ばあちゃん!」
居間へ入ると、祖母が仏壇の前で倒れていた。
「ばあちゃん! 聞こえるか!?」
「うぅ……。」
まだ生きている。
ナギは震える手で祖母を抱き起こした。
「誰にやられたんだよ……!」
問いかける声が震える。
その時、手に生温かい液体が垂れてきた。
祖母の血だ。
「すぐ病院に行く。大丈夫…大丈夫だから…。」
祖母へというより、自分に言い聞かせるように何度も“大丈夫”と唱える。
「ナ…ギちゃ……。」
「ばあちゃん……?」
「…逃げな…さい。」
「……嫌だ。嫌だよ。」
「お願い……」
「大丈夫。今から病院行くから……。だから、そんな事言わないで……。」
やっと自分にも家族ができたんだ。
みんなを、この店を大事にしていきたい。
そう思っていたのに――
祖母は泣きじゃくるナギへゆっくりと手を伸ばす。
そして、ナギの頬へ優しく触れた。
「あぁ……。私の…可愛い孫……。」
「ばあちゃ……」
「どうか……生きて……。」
その手から、力が抜けた。
「……ばあちゃん?」
返事はない。呼吸もしていない。
「起きてよ…ばあちゃん……。」
ナギはその場から動けなかった。
こんなに辛いことがあっていいはずがない。
やっと手に入れた幸せが、簡単に壊された。
「カズは……。」
“捜さなきゃ”
ナギはゆっくり祖母を下ろし、居間を出た。
そのまま二階に上がり勢いよくカズの部屋の扉を開けた。
「カズ!」
「ナ……ギ……。」
カズの肩から血が出ている。なにか鋭利な刃物で切られたような大きな傷だ。
カズへ駆け寄ると、ナギはその傷を手当しようとした。
「触るな!」
「!?」
カズに拒否され、思わず固まってしまう。
「カズ……?」
「変……なんだ……。体が…焼けるようで…。」
「俺……何したらいい?」
「逃げろ……。早く……。」
「嫌だ!もうカズしかいないんだ……。置いてけるわけないだろう!」
「いいから……あいつが……まだ…」
そう言った瞬間、今度はカズが固まった。どうやらなにか見たらしく、ナギもその視線を追う。
「……な…何あれ…!」
この世にこんな恐ろしい者が存在していいのか。
グルルル……
目の前には人間の原型を留めていない怪物がいた。
カズはこいつにやられて、なんとか部屋まで逃げてきたのだろう。
だがしかし、こいつは追いかけてきたのだ。
「チッ……。ナギ、窓から飛び降りろ。お前なら余裕だろ……。」
「何言って……!」
グルルル……
その瞬間、カズの腕から血管が浮き出てきた。それも黒い血管だ。
「カズ…。腕……。」
「はっ…。感染したって事かよ……。」
カズは先程受けた傷口から感染者の体液が入っていたらしく、感染したようだった。
グルルル……
足が動かない。震えが止まらない。
こうしている間にもカズの怪物化は止まってくれなかった。
黒い血管が浮き出た腕は太くなり、目は赤く染っている。
口元を見ると牙のようなものまで生えていた。
自我を失うのも時間の問題だった。
「ナギ……逃げろ……。」
グアアアアアアアア!!!
突然、怪物が苦しそうに叫び出したかと思えば、そのまま前へ倒れ込んだ。
「えっ…?」
ナギの目の前には、黒い隊服を着た人物が血の着いた大型ナイフを持ち、こちらを見ている。
「感染者を始末したが、もう一体発見した。このまま続ける。」
通信を切り、隊員がナイフを構える。
ナギは震える足を抑え、カズの前へ立った。
「……どきなさい。」
「嫌だ!!カズは殺させない!!!」
「残念ながら、彼は感染している。それにもう…手遅れだ。」
「違う!!!」
両手を広げカズを庇うが、隊員も諦めない。
祖父母を失った今、カズまでもいなくなって欲しくない。
「いいから退きなさい。危険だ。」
「カズは危険じゃない!俺の……!」
その言葉は遮られた。――カズの攻撃によって。
振り返ると、先程と見た目は大きく変わっていた。もう面影すらない。
カズはナギの背中へ爪を立て思い切り切りつけたのだ。
「カ……ズ……。」
ナギはそのまま倒れてしまう。その瞬間、隊員が大型ナイフをカズへ投げつけた。
グアアア!!!
あぁ……もうダメだ。死ぬんだ。
でも一人だけ残されなくてよかったのかもしれない。
「俺も…みんなの所に…。」
一日でも幸せな日があったんだ。
それで十分じゃないか。
傷の痛みはあまり感じない。
胸にナイフが突き刺さったカズに向かって、ナギは最後の力を振り絞り側へ行く。
隊員が危ないだの何か言っているが、どうせもう死ぬのだ。
「カズは……俺の……家族…だろ…?あの世で…店…やろう……。」
グアアア……
ナギの声が届いているのか届いていないのか、もう分からない。
ナギはゆっくり目を閉じ意識を失った。
「……。」
ナギの記憶の世界が目の前で広がっている。その光景に、雪斗は絶句し手を口で覆っていた。
だがナギは首を傾げていた。
「何……?この記憶……。」
過去の自分の記憶が流れていると思っていた。それ自体謎なのだが、ナギの持っている記憶と少し違うのだ。
「確か…あの隊員が、じいちゃんとばあちゃんを殺した後にカズも殺して…。そして感染の疑いがあった俺を追いかけて…。」
ナギの記憶と、目の前で流れている記憶が明らかに違っているのだ。
「…でもあの隊員が、じいちゃんとばあちゃんを殺した場面なんて俺は見てないはずなのに…なんでそう思っちゃうんだろう…。」
ナギの疑問に誰も答えず、そして場面は最後へとうつりかわった。
意識を失っているナギには辛うじて息があった。
カズは意識を保っているが、隊員に刺されたナイフのせいで動けないでいる。
そして隊員は、ある人物から背後を襲われ倒れていた。
――ナギとセツの上司にあたる男だった。
「あーあ、せっかく良いサンプルだったのに殺しちゃったのかぁ。もったいない。」
男は倒れている隊員を無視し、そのまま意識を失っているナギの元へ歩み寄る。
ナイフが刺さっているカズを見下ろした後、持っていた注射器を首筋へ刺した。
グアア……
刺した瞬間、ゆっくりと意識を失っていく。そしてカズはそのまま亡くなった。
「うーん、やっぱりこの薬はきついんだね。……で、君はー……まだ生きてる?」
ナギの首筋に手を置き脈を測る。生きてはいるが、命の炎がつきかけているのが分かった。
「ついでに実験させてもらおっかな。」
意識のないナギに対して一言呟くと、問答無用でナギの体に別の注射器を刺した。
「死にかけだからなぁ、身体がもたないかもしれないね。」
ナギの首筋には血管が浮き出ている。体も熱い。
「こっちの隊員にも打っておこう。……成功するかなぁ。」
倒れている隊員の首筋へナギと同じ注射器を刺す。
「さ…他に生き残りはいないかなぁ。」
そう言い、そのまま男は出て行ってしまった。
――ここでナギが見ていた世界が崩れ、ゆっくりと目が覚める。
目の前には現実世界が広がっていた。
「あれ……。」
ゆっくりと起き上がる。
目の前にはまだ意識を失っている雪斗と、心配そうにこちらを見ているセツがいた。
「ナギ、大丈夫か?」
「え……?何が……?」
「いきなり意識を失って倒れたんだ。唸っていたようだけど、何があった?」
「……。」
先程まで見ていたもの――……
あれは雪斗の能力なのか、それともまた別の何かなのかー
どちらにせよ、自分が認知している記憶と違いすぎて言葉に詰まってしまう。
「今見たのは……俺の記憶?」
「は?なに言ってんだ?」
セツからすれば、一体何を言っているか分からないだろう。だがそれはナギも同じだ。
意識のない雪斗に向かって問いかける。
「君……一体あれはなに……?俺に何を見せたの?」
しかし雪斗から返事はない。
意識がないのだから当たり前なのだが、ナギは苛立ちを見せ始める。
「俺の知らない記憶なんだけど…。」
思い出したくない記憶を引っ張られたと思えば、改ざんされている。
この少年は一体……。
「何者……?」
かすれた声が漏れる。
この少年を、このまま生かしてはいけない。
ただの直感だ。
ナギは自身の胸ポケットへ手を入れ、一本のナイフを取り出した。
「ナギ?」
「セツくん、この子は危険だよ。」
そう言い、雪斗に向かってナイフを振り下ろそうとした。
――ヒュンッ
その瞬間、後ろから強い力で身体を拘束される。
「っ!?」
両腕が動かない。
セツが背後からナギを羽交い締めにしている。
「ナギ!落ち着け!!」
「離して!!今ここで殺さないと――!」
「だから何でそうなる!」
「――何してるの?」
その声を聞き、二人の視線が入口へ向いた。
そこには、あの人が立っていた。
「あ……。」
ナギの手から力が抜け、握っていたナイフが金属音を立てて床へ転がった。
そのままセツの腕を振りほどき、男の元へ駆け寄る。
「記憶が……!あの子が見せた記憶が!!」
男の服を掴み、泣きそうな顔になりながら訴えている。
「ナギ……落ち着いて。何があったの?」
「あの子に触ったら目の前が真っ暗になって…それで、なにか見えたと思ったら俺の過去が映像みたいに流れてきて……」
「過去……?」
「その子と一緒に俺の過去を見たんだ!でも…途中からおかしくて…。」
「……何がおかしかったの?」
「俺の知ってる記憶じゃないんだ!戦闘部隊の奴らがじいちゃん達を殺して、俺も殺されかけて!その時にあなたが来て俺を助けてくれた!」
「……うん。」
「あいつらに復讐しよう、手伝うよって…。俺に注射器を刺して、気が付いたら能力者になってて…。」
「そうだね……。」
「新しい家族になろうって…。」
雪斗が見せた記憶と、自分が持っている記憶が混ざり合い、どちらが現実なのか分からない。
あの人は俺を助けてくれた。そして一緒に復讐してうれるって…。
じゃあ…さっき見たものは?
あの子が作り出したもの?
……それとも――。
「あれが…ほんとの記憶?」
「……ナギ?」
「カズを殺したのはあなたで、俺に勝手にウイルス打ったのもあなた…?俺はただの…実験に使われたってこと?」
先程見た記憶を整理する。
自分の知っている記憶が誤りで、あの子が見せた記憶が真実なら――?
俺は復讐なんて考えてなくて、みんなで一緒に逝こうとしてただけ?
独り言をブツブツ言うナギを、あの人は静かに見つめていた。そして優しく微笑みナギの頭へ手を置いた。
「ナギ…。あの子が作り出した世界を見たんだね。安心して。ただの悪い夢だよ。」
「でもっ――!」
あの人の言葉に反応し、ナギは顔を上げる。
今度はナギの言葉を最後まで聞かなかった。
そして視線を合わせると、ナギの頭の上に置いた手に少し力が入る。
「いいかい?僕の目をよく見て。」
「えっ……。」
「“ナギの家族は戦闘部隊に殺された”」
「“そして君自身も殺されかけた”」
「“君を助けた僕に感謝し、自らウイルスを体内へ打ち込んだ”」
「“そして戦闘部隊へ復讐を誓った”」
ゆっくりと丁寧に言葉を重ねる。
「……そうだろう?ナギ。」
ナギの瞳が揺れた次の瞬間、すっと光が消えた。
「……はい。」
あの人の目を見ながら、ゆっくりと返事をする。
「そうでした…。ごめんなさい。俺が間違ってました……。」
ナギの言葉に、男は満足そうに微笑む。
「いいんだよ。少し混乱していただけみたいだね。」
そういい、優しく頭を撫でる。
その様子を見ていたセツは、動けないでいた。
あんなナギ、初めて見た。
あの人は一体なにをした?
まるで、“記憶そのものを書き換えている”ような……。
そんなセツの視線に気付いた男は、ナギからゆっくりと視線を外した。
そしてセツと男の目が合った瞬間、男は人差し指を口元へ添えた。
「シー……。」
――内緒だよ。
その笑顔に背筋が凍ってしまった。
男は再びナギへ視線を送ると、ゆっくり体を離した。
「ナギ。セツの所へ行けるかい?」
「はい……。」
男に肩を軽く押されると、ナギはふらつきながらセツの方へ歩いた。
セツはナギを支えるように肩へ手を回す。
「セツ、ナギを連れて先に行っててくれる?」
「えっ…あなたは……?」
男は床に倒れている雪斗へ目を向け、セツの質問に答えた。
「僕は後始末をしてから合流するよ。」
「後始末……?」
「もう少ししたら、彼らはここに来てしまうからね。」
嫌な予感が胸をよぎるが、セツはただ返事をした。
「……分かりました。」
セツはナギを連れ、部屋を後にした。
重い扉が閉まり、部屋に残ったのは男と雪斗、二人だけだった。
第33話は27日19時頃更新予定です。




