第29話 最後の日
雪斗の視界が滲む。
気付けば、第零隔離区の中央会議室が映し出されていた。
モニターの前には鷹宮を先頭に、全部隊の隊員が揃っていた。
「隊長……?」
雪斗の声は届かない。
しかしあちらの声は雪斗に届いている。
「……もう無理だ。」
「これ以上捜索を続けても成果はありません。」
「一ノ瀬は、もう……。」
「……捜索を終了する。」
雪斗の瞳が大きく揺れる。
「なんで…。」
そんなはずがない。
みんなが諦めるわけがない。
少し前までの自分なら、そう言い切れた。
けれど――。
自信が無い。
そしてナギが雪斗の耳元で囁いた。
「君はここに来てからもう四日もたってるのに、誰も助けに来てくれないよね?」
「……あ。」
「それが答えだよ。…一ノ瀬 雪斗くん。」
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
「誰も……助けに来てくれない……?」
不思議なことに、心臓はもう激しく脈打たなかった。
恐怖で暴れていた鼓動は静まり返っている。
恐怖に慣れたわけじゃない。
心が、それ以上悲鳴を上げることをやめてしまったのだ。
「本当は能力を発動してから壊すつもりだったけど…なかなか発動しないからねー。」
ナギは雪斗の頭をぽんっと叩き、優しく伝える。
「君の仲間はもう助けに来ないよ?残念だけど…。まぁ、帰る場所がないならここにいなよ。可愛がってあげるからさ。」
雪斗は何も答えない。
ただ虚ろな瞳で床を見つめていた。
その様子を少し離れた場所から見ていたセツは静かに目を逸らし、無言で新しい足枷を手に取った。
以前のものより太く、重い鉄製の足枷。
そのまま雪斗のもとへ行き、足首へ装着した。
――ガチャン。
冷たい音が牢内に響く。
雪斗はそれにも反応を示さない。
その様子を見届けたセツは、小さく息を吐いた。
「……何がしたい。」
「んー?」
「あの人は心拍を上げろと命じただけだろう。」
「ちゃんと上げたよー?」
「だが、あれでは……。」
「あの子が俺の能力に耐えられなかった。それだけでしょー?」
セツは言葉を飲み込む。
確かにナギのやり方は行き過ぎた部分がある。しかし間違ったことはしてない。
「それにさー。壊れたなら壊れたで、別によくない?」
「……。」
「もう戦闘部隊には戻れないって事でしょー?まぁ、能力を発動させられなかったことは、あの人に怒られるかもだけどー。」
セツは何も話さなかった。
ただ一度だけ、雪斗へ目を向ける。
俯いたまま動かない少年。
その姿を見つめるセツの表情は、フードに隠れて読み取ることはできなかった。
♢♢♢
五日目。
「おはよー。」
ナギはいつもの笑顔で牢へ入ってきた。
その後ろにはセツもいる。
雪斗は顔を上げず、壁にもたれたままだ。
「今日は確認だけしにきたよー。」
そう言い、ナギは雪斗の前へしゃがみ顔を覗き込んだ。
「本当に壊れちゃったのかなーって。」
そして右手をゆっくりと差し出す。
「じゃ、いくよ。」
「……っ。」
「…何を見せている。」
「んー?この子の仲間が助けに来た場面だよー。」
雪斗の表情を見ると、どこか優しい顔つきになっていた。鼓動も少しずつ速くなっている。
それに気付いたナギは、少し口角をあげた。
「なぁんだ。まだ仲間が助けに来ること諦めてなかったんだー。意外としぶといねぇー。」
「……どうする気だ。」
「そりゃあもちろん、地獄を見てもらうに決まってるでしょー?」
そう言いナギが右手を握りしめようとした瞬間、セツがその手首を掴んだ。
――ガシッ。
「……なにー?」
「……確認は済んだ。もういいだろ。」
「確認はしたけど、壊れてなかったんだからべつにいいでしょー?」
「ナギ。」
ナギは不満そうに口を尖らせるが、セツは真っ直ぐナギを見据え、一歩も引かない。
数秒の沈黙が流れた後、ナギは諦めたように大きくため息をついた。
「……分かったよ。」
手首を振り払い、不機嫌そうに頭を掻く。
「はぁー…。あのさぁ、セツくんはどっちの味方なわけ?」
「…。」
「なに?あの子に情でもうつっちゃった?」
「やりすぎだと言っている。一番の目的は能力を発動させることで、壊すことじゃない。」
「真面目すぎだなぁ……。もういいや。」
不機嫌そうな顔のまま、セツの隣を通り過ぎ部屋を出て行った。
ナギがいなくなった為、雪斗に使っていた能力は解除されていた。
目の前にいた隊員たちは消え、セツだけが残っている。
「……あ。」
(また幻覚か……。)
胸の奥に灯った希望は、一瞬で砕け散った。
両膝を胸に引き寄せ、小さく身を丸めてから顔をうずめた。
その様子を見ていたセツは、無言のまま床へ視線を落とす。
転がっていたペットボトルを拾い上げると、雪斗のそばへ静かに置いた。
「……水だけは飲め。」
雪斗は何も答えない。
ただ虚ろな瞳で、足元のペットボトルを見つめることしかできなかった。
♢♢♢
六日目。
鉄格子の向こうから、軽い足音が近づいてくる。
「おはよー。」
ナギはいつも通りの笑顔で食事の乗ったトレーを持って現れた。
牢の鍵を開け、中へ入る。
雪斗は壁にもたれ、膝を抱えたまま顔を上げようとしない。
「今日も食べてないの?」
ナギはため息をつくと、器を手に取りスプーンですくった。
「はい、あーん。」
肩が少し動くが返事はない。
顔を上げるつもりはないようだ。
「あー……そういう感じ?」
ナギは笑みを浮かべたまま、膝を抱えていた腕を払う。驚いた雪斗が思わず顔を上げると、そのまま顎を掴まれてしまった。
「んっ……!」
そのまま無理やり口を開かせ、スプーンを押し込んだ。
「げほっ……!」
雪斗は激しく咳き込み、飲み込めなかった食事を吐き出す。
床へ散らばった食事を見ても、ナギの表情は変わらない。
「困るんだよねぇー…。食べさせないと、俺が怒られるんだー。」
表情はニコニコしているが、目だけは少しも笑っていない。
明らかに機嫌が悪そうだ。
「俺さー、怒られるの嫌いなわけ。」
そして、もう一度スプーンに食事をすくう。
「はい。食べてくれたら、今日は何もしないよ。このまま帰る。」
その言葉に、雪斗の肩が小さく震えた。
少し考えた後、震える手をゆっくりと伸ばし、ナギの持つスプーンを握り締めた。
「……そうそう。いい子だね。」
雪斗は震える手で、少しずつ食事を口へ運んだ。
味はしない。でも、もう幻覚は見たくない。その一心で無理やり口へ運ぶ。
その様子を、ナギは満足そうに見ていた。
「じゃあ、今日は約束通り何もしないから帰るねー。その代わり、ちゃんと完食してよー。」
そう言い残すと、ナギは牢を出た。
鉄の扉が静かに閉まる。
「げほっ…。」
身体が食べ物を拒否する。
しかし食べなければ何をされるか分からない。
雪斗は食事を一箇所に固め、その上から布を被せた。
♢♢♢
七日目。
ナギは軽い足取りで廊下を歩いていた。
そのまま廊下の奥にある部屋へ向かう。
コンコン、と軽くノックをすると、返事を待つことなく扉を思い切り開けた。
「失礼しまーす。」
「…返事を待ってから入ってきてくれるかな。」
「次からはそうしまーす。で?なんですかー?ご飯なら昨日ちゃんと食べさせましたよー。」
両手を上げて降参するような仕草を見せる。
「食事…ね。ナギは爪が甘いんだよ。」
「え?」
首を傾げるナギ。
男は机に肘をつき、静かに口を開いた。
「まぁいい。そんなことより…奴らが動き出したみたいなんだ。」
「奴らー?」
「戦闘部隊だよ。彼を取り返しに来たみたいだね。」
「え、この場所がバレたんですかー?うわぁ…。」
「だから、時間がないんだよ。今日中に、彼の能力を発動してくれないか。」
その言葉に、ナギは露骨に嫌そうな顔をした。
「今日中ってそんな無茶な…。」
「ナギに拒否権はないよ。さぁ、急いで。」
短く告げられた命令に、ナギは肩を落とす。
「はぁー……。分かりましたよ。やれるだけやりますけど…。でも、もし能力が発動しなかったらどうしますー?」
「その時は──」
あの人は一度目を瞑り、そしてゆっくりと開ける。
「始末してしまいなさい。」
「えっ…ほんとにいいんですかー?」
「あぁ。あちらに戻ってから能力を発動させられては困るからね。」
「はーい。じゃあ行ってきまー…。」
「ナギ。ちょっと間って。」
「えー?まだ何かー?」
男は机の引き出しを開けると、中から小さな包みを取り出し、ナギへ放り投げた。
慌てて両手で受け止める。
「うわっ!……なにこれ。」
「チョコレートだよ。頑張ってるご褒美にね。」
「えぇー……。俺甘いもの嫌いなんですけどぉ。」
「そうだっけ?」
ナギは包装を開けることもなく、ポケットへ無造作に押し込んだ。
「もー…俺は干し柿が好きなんですー。覚えておいてくださいー。」
「干し柿の方が甘い気がするんだけど……。」
「あれは天然の甘さだからいいんですー。」
「はいはい。分かったよ。次からは覚えておくから。」
「絶対ですよー。」
そう言い、ナギは不満げに頬を膨らませながら、部屋をあとにした。
♢♢♢
「おはよー。」
雪斗が監禁されている部屋の扉を開け、いつもの調子でナギが入ってきた。
床に置かれた食器へ目を向ける。
全て完食していた。
「おっ!ちゃんと全部食べたんだー。」
空になった器を持ち上げ、満足そうに何度も頷く。
「えらい、えらい。……そうだ!」
その時、何かを思い出したように自身のポケットへ手を突っ込んだ。そして取り出した小さな包みを雪斗へ放り投げる。
「あの人からもらったんだけどさー…。俺、甘いの苦手で。君にあげるー。」
雪斗は目の前に転がった小さな包みをじっと見つめた。
その模様を見た瞬間、心臓が小さく跳ねた。
(これ……。)
見覚えがある。
何度も、何度も見てきた。
怜侍がいつも差し出してくれていたビターチョコと、まったく同じ包み紙だったのだ。
自然と指先が目の前のチョコを掴んでいる。
ナギはそんな雪斗の様子には気付かず、食器を片付けながら口を開いた。
「今日は食事なしにするよー。ちょっとキツいことする予定だからさー。吐かれたらやだし。」
「えっ……。」
「だから、それ食べといてー。」
正直何が入っているか分からない物を食べたくは無い。だが、懐かしさなのかそれとも何かにすがりつきたいのか、気付けばゆっくりと包装を開け、小さく欠けた一片を口へ運んでいた。
「……あまい。」
包み紙は同じなのに、怜侍からもらっていたビターチョコより、ずっと苦味が少ない。
(こんな味……だったか?)
久しぶりに糖分を口にしたからだろうか。
それとも同じ包み紙だがミルク味だったのか。
怜侍に貰ったものと違うチョコだと分かり、少し残念に思った。
怜侍がくれるチョコは、日本では売っていない。いつも海外から取り寄せていると聞いた。
(みんな……元気にしてるかな……。)
「食べたー?」
ナギに声をかけられ、顔をあげる。
ニコニコしながら雪斗の前でしゃがみ込んだ。
その笑顔がどこか怖い。
「七日間、よく頑張ったねー!」
「……。」
「ほんとはね、もう少し楽しみたかったんだけどー……どうやら時間がないみたいでねー。」
(時間がない?)
もしかして解放されるのか?
それとも誰かが助けに来たのか?
そんな淡い期待が胸をよぎった。
「だからさー……今日で終わりにするね?」
「終わりって……?。」
「ははっ。そのままの意味だよー。」
ナギは雪斗の髪の毛を乱暴に掴んだ。
「いっ……!」
「死にたくなかったら…能力、発動させてね?」
「なに……っ。」
「今までは精神的に追い込んできたけど、あんまり効果なかったからさ。今日は…外側から攻めてみることにするねー。」
その言葉を最後に、雪斗の身体が無理やり引き起こされた。




