第27話 薬の代償
♢♢♢
雪斗の捜索を切り上げてから半日がたった。
鷹宮は雪斗が攫われた現場で腕を組み、どこまでも続く水平線を眺めていた。
「一ノ瀬…どこにいるんだ。」
もちろん返事はない。波の音だけが聞こえる。
「無事でいてくれ…。」
その時、鷹宮の後ろから氷室と琴音が近付いてきた。
「鷹宮隊長。」
「椿…。それに宮下隊員も。」
「鷹宮隊長が休めって言ったのに、一人で捜索中ですか?」
琴音が優しい口調で鷹宮へ話しかける。
「俺はいいんだ。それよりちゃんと休んだのか?」
「はい。食事も睡眠も取りましたし、我々二人以外の隊員も勝手に捜索してます。」
「ったく…。」
体調面のことを考えると心配してしまうが、正直嬉しさの方が勝った。誰もがまだ、雪斗のことを諦めていない。その気持ちが何より有難かったのだ。
すると、また足音が聞こえてきた。
「橘?」
戻ってきた橘は、どこか様子が違っていた。
鷹宮たちと視線を合わせようとせず、俯いたまま歩いてくる。
「もう休憩はいいのか。」
「……はい。」
短く答えただけで、それ以上何も言わない。
橘は迷うことなく、雪斗が姿を消した場所まで歩いていく。
そして静かに膝をつき、右手を地面へ添えた。
「【索敵】――。」
能力が発動する。
いつもなら何の痕跡も追えず、そのまま終わってしまうのが当たり前だった。
だが、今回は違った。
ふわりと、橘の足元から砂埃が舞い上がる。
小さな砂粒だけが橘を中心にゆっくりと渦を描き始めた。
昨日までとは明らかに違う。
能力の波動が、周囲へ静かに広がっていく。
その様子を見た鷹宮が、小さく眉をひそめた。
「……橘?」
何かがおかしい。
そう感じた時には、橘の能力はさらに深く、この島全体へと広がり始めていた。
少しして能力を解除した橘は、ゆっくりと立ち上がった。
「……分かりました。雪斗くんの居場所が。」
その言葉を聞き、その場にいた全員が驚いて目を見開いた。
橘は目を開けず、前を向いたまま答えた。
「この島から北東へ、およそ二百キロ先に雪斗くんの生命反応を確認しました。」
氷室は通信機へ手を伸ばす。
「こちら氷室。全隊員へ通達。一ノ瀬 雪斗の居場所を確認。直ちに現場へ集結。」
通信の向こうから次々と返事が返ってくる。
現場の空気は一気に動き始めた。
だが――。
雪斗の居場所を見つけたはずなのに、橘は妙にどこか落ち着いていた。
「……橘。」
「少し距離がありますね…。急ぎましょう。」
「……橘。こっちを向け。」
数秒の沈黙の後、やがて橘はゆっくり目を開け鷹宮へ顔を向けた。
その瞬間、全員が息を呑んだ。
橘の瞳から、色が消えていたのだ。
黒かった瞳は灰色へと変わり、その視線はどこにも焦点が合っていない。
――橘の瞳に、鷹宮はいなかったのだ。
「……橘。」
鷹宮の声がわずかに震える。氷室は固まり、琴音は口を手で抑え目を見開いている。
「あぁ…大丈夫ですよ。目は見えませんが…皆さんがどこにいるのかは分かります。僕には生命反応が見えますから。」
次の瞬間、鷹宮が橘の胸ぐらを掴み、その身体を強引に引き寄せた。
「橘ぁ!……薬を打ったのか!」
怒号が響く。
首がしまっているが、橘は抵抗しなかった。
「答えろ!」
「……はい。」
「何考えてやがる!どれだけ危険な薬か分かってんのか!!」
鷹宮の握る力がさらに強くなる。
そこへ正気を取り戻した氷室が、慌てて二人の間に割って入った。
「隊長!落ち着いてください!」
鷹宮の腕を掴み、必死に引き離そうとするがビクともしない。
鷹宮は怒りを抑えきれないのか、額に血管が浮く。
鷹宮の身体から、目に見えない圧力が漏れ出す。
――ミシッ。
足元の地面に亀裂が走った。
蜘蛛の巣のようにひび割れが広がっていく。
周囲の小石が浮き上がり、押し潰されるように砕けた。
空気そのものが重くなる。
「隊長……!」
氷室が息を呑む。
鷹宮自身も能力を発動したつもりはなかった。
だが怒りと焦りが制御を超え、【重圧】が無意識に漏れ出していた。
そんな状況でも、橘はいたって冷静だった。
「分かっています。危険な薬だということも。鷹宮隊長と五十嵐隊長が、使用許可をしなかったことも。」
「じゃあ……!!!」
「全部聞いた上で、自分の意思で使いました。」
その言葉が、かえって鷹宮の怒りに火をつけた。
「だから腹が立つんだ!俺はそこまでして一ノ瀬を捜せなんて言ってない!」
「……。」
「お前まで犠牲になるくらいなら、見つからない方がまだ……!」
隊長として、そんなことを本気で思っているわけではない。
もちろん、雪斗を見つけたい。だが、橘が犠牲になるのは間違っている。
「…じゃあ、どうすれば良かったんですか。」
「あぁ?」
「雪斗くんがいなくなって、もう一週間です。この一週間、僕たちは何もできなかった。今この瞬間も、雪斗くんがどんな目に遭っているのか分からないんですよ。」
橘は泣きそうな表情を見せた。その反応に鷹宮は少し怯んでしまう。
「時間が経てば経つほど、助けられる可能性は下がっていきます。僕は雪斗くんを見つけたい。だから……あの薬を使いました。」
「橘……。」
「鷹宮隊長……。あなたも、本当は分かっていたでしょう。」
その言葉に、鷹宮は何も答えられなかった。
橘の言葉は、あまりにも正しかったからだ。
そのとき、森の奥から複数の足音が近付いてくる。
「隊長!」
「何かあったんですか!?」
第零部隊と第一部隊の隊員たちが、次々と現場へ戻ってきた。
しかし目の前の光景を見た瞬間、その足が止まる。
なぜなら鷹宮が橘の胸ぐらを掴み、周りが重圧のせいで亀裂が入っていたからだ。
「鷹宮!!!」
五十嵐が氷室の代わりに鷹宮を橘から引き剥がした。
「お前!!何してんだ!!」
五十嵐の問いに鷹宮は何も答えない。不思議そうに氷室を見ると、答えにくそうに口を開いた。
「橘隊長が……何か薬を使用したみたいで…。その影響で一ノ瀬を見つけることは出来ましたが、副作用で失明したそうです……。」
「薬……?」
そこまで聞いた五十嵐は橘へ視線を向ける。
そしてその顔を見た瞬間、彼もまた言葉を失った。
灰色に変色した瞳。どこにも焦点の合っていない視線。
――本当に目が見えていないのだ。
橘は安心させるように、優しく周りへ声をかけた。
「大丈夫ですよ。目は見えませんが、能力の性能が上がったおかげで地面に手をつけなくても、近くにいる人の位置はわかるんです。」
五十嵐は橘から顔を背け、そのまま施設へ歩き出した。そして振り返らないまま、通信機へ手を伸ばした。
「木戸、聞こえるか。」
『こちら木戸。どうしましたか?』
「今から小倉のところへ行く。小倉の返答次第では……殺すかもしれない。だから、俺を止める役やってくれねぇか?」
『本気ですか?何故……。』
「頼む。」
『……了解。今すぐそちらに向かいます。』
五十嵐の背中が見えなくなる。
鷹宮は橘の方を見ることなく、隊員たちへ視線を向けた。
「……捜索班は今から一ノ瀬救出へ向かう。」
全員の表情が一気に引き締まった。
「氷室。」
「はい。」
「ヘリを手配しろ。現地まで最短で向かう。」
「了解。」
氷室はすぐに通信機へ手を伸ばし、航空班へ連絡を入れ始める。
「……橘。」
鷹宮が名前を呼ぶ。しかし、最後までその顔を見ることはなかった。
「帰ったら、きちんと話をする。」
それだけ言い残し、鷹宮は歩き出した。
橘はその背中を見つめるように顔を向け、小さく微笑んだ。
雪斗が見つかった事で全員が少し安心していた。だがその一週間。
雪斗本人は――地獄のような時間を過ごしていた。
時は一週間前へと遡る。
◇◇◇
重たい瞼を開くと、身体には一枚の毛布が掛けられていた。
「……。」
ぼんやりと辺りを見回す。
薄暗い部屋に冷たい鉄格子。
足首には重い足枷が繋がれたまま。
――何も変わっていなかった。
視線を横へ向けると食事が置かれている。
温かいうちに運ばれてきたのだろう。まだ湯気が見える。
毒が入っているかもしれない。
そんな警戒心もあったが、それ以上に喉を通る気がしなかった。
皿には一切手を付けず、壁へ背中を預ける。
(……出なきゃ。)
その日、誰かが部屋へ来ることはなかったが二日目は違った。
ギィ……。
「あ、おはよー。」
重い扉が開くと同時に、間延びした声が静まり返った部屋に響いた。
長い髪を揺らしながら、ナギがいつもの軽い笑みを浮かべてこちらを見ている。
「ご飯、食べてないのー?」
ナギは床に置かれた食事を見ると、困ったように肩をすくめた。
「だめだよー。食べないと死んじゃうじゃん。」
そう言いながら、コートのポケットから鍵を取り出す。
――ガチャリ。
鉄格子の扉が開いた。
そのまま何の躊躇もなく、牢の中へ入ってくる。
(普通に入ってくるのか……。)
想像もしていなかった行動だった。
だが同時に、胸の奥で別の感情が湧き上がる。
――チャンスだ。
足枷さえ何とかできれば、あいつが油断した一瞬を突いて牢の外へ出れるかもしれない。
雪斗の企みに気付くはずもなく、ナギは床に置かれた食器を一つずつ片付け始めた。
「もったいないなぁ。ちゃんと食べればいいのにー…。」
空にならなかった皿を持ち上げると、ナギは牢の外へ出る。
――ガチャン。
そして再び鍵を掛けた。
「さて。」
ナギは食器を机の上に起き、ゆっくりと雪斗へ向き直る。
「今日も始めよっか。」
そう言うと、雪斗へ向かって静かに右手を伸ばした。




