第26話 能力増幅試薬
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雪斗が連れ去られた現場に到着すると、橘はゆっくりしゃがみ込んだ。
「……始めます。」
右手を地面へ添え、能力――【索敵】を発動する。
意識を広げると、周囲の生命反応が次々と頭へ流れ込んできた。
この場にいる全員の反応は感じ取れる。
だが――。
「……駄目です。」
橘は静かに目を開いた。
「今ここにいる人以外、何も感じません。」
その場にいた誰も、橘を責めなかった。本来の任務に、過去の痕跡を辿る必要を求められたことはない。
それでも橘は諦めなかった。
再び目を閉じ、もっと深く…もっと遠くまで意識を沈める。
しかし、結果は同じだった。
過去にそこに存在していたはずの痕跡は、何一つ掴めなかった。
「もう一度……。」
橘は額に汗を浮かべながら能力を使い続けた。
一度。
二度。
三度。
何度も、何度も……。
限界まで意識を研ぎ澄ませる。
そして能力の代償が徐々に現れ始めた。
視界が霞み始めたのだ。
――それでも橘は能力を解除しようとしない。
「……橘。」
橘の異変に鷹宮がいち早く気付き、静かに声を掛けた。
「もういい。能力を無駄に使うな。」
その言葉を聞き、橘はゆっくりと能力を解除し、悔しそうに拳を握り締めた。
「……申し訳ありません。」
その場に重い沈黙が流れる。
鷹宮は周囲を見渡すと、静かに口を開いた。
「この場に留まっていても進展はない。全員、周囲を捜索しろ。どんな小さなことでもいい。痕跡になりそうなものは全て報告してくれ。」
隊員たちは短く返事をすると、それぞれ別方向へ散っていく。
残された現場には、静かな風だけが吹き抜けていた。
「……隊長。もう少しだけ、ここで試させてください。」
その声には、諦めきれないという強い意志が滲んでいた。
鷹宮は橘の意志を尊重することにした。
「……分かった。ただし、無理はするな。」
「ありがとうございます。」
橘は再び、静かに地面へ手を添えた。
ゆっくりと目を閉じ、呼吸を整え意識を深く沈めていく。
一方、その場を離れた隊員たちも、それぞれの方法で捜索を始めていた。
氷室は情報分析部へ行き、藤堂と一緒に監視カメラをくまなくチェックしている。
真壁は大きく迂回しながら周辺の地形を調べ、小瀧は木の上へ飛び乗り、高所から周囲を見渡していた。
しかしどれだけ探しても、雪斗へ繋がる手掛かりは一つも見つからなかった。
気付けば日もすっかり暮れている。
捜索は夜通し続けられたが、新たな手掛かりは何一つ見つからない。
そして、空が白み始める。
――あれから一週間。
鷹宮は藤堂と捜索班をB10階の会議室へ呼び出していた。
見渡すと隊員たち全員の顔には、疲労の色が表情に浮かんでいた。
無理もない。この一週間ほとんど眠れていないのだから。
「……一度捜索を切り上げよう。」
「!!!?」
鷹宮の言葉に全員が驚きを隠せない。色んな方向から声が上がる。
「隊長!!我々はまだ動けます!」
「ここで諦めたら、雪斗くんが…。」
「まだ手掛かりだってきっとあります!」
隊員たちの言葉に、鷹宮も辛そうな表情を見せた。本当は誰よりも諦めたくないはずだ。
だが、そのせいでここにいる全員が倒れては意味がない。
「完全に諦めた訳じゃない。一度ゆっくり休め。……頼む。」
隊員たちは悔しそうな表情を浮かべながらも、鷹宮の言葉に小さく頷いた。
しかし――。
橘だけは頷くことなく、ただただ鷹宮を見つめていた。
その様子に鷹宮も気付いていたが、何も言わなかった。
部下の氷室や小瀧は中々の頑固者だが、下手をすれば橘の方が頑固かもしれない。
これ以上何を言ってもきかないだろう。
そう思いミーティングを終わらせた。
各自、休息を取るため部屋へ戻っていく
しかし、橘だけは眠る気になれなかった。
捜索を続けたい気持ちはあるが、この一週間能力を使いすぎているのは確かだ。
橘は部屋には戻らずB1共有フロアへ来ていた。
自動販売機の前で缶コーヒーを一本取り出す。
プルタブを開け、ゆっくり一口飲むと苦味だけが口の中に広がった。
「……はぁ。」
雪斗を助けられない。
捜索が出来る能力を持っているのに、何も役に立たない。
そんな自分が嫌になる。
その時、軽快な鼻歌が廊下の奥から聞こえてきた。
「〜〜♪」
鼻歌の方に目をやると、白衣姿の男が眠そうに欠伸をしながらこちらへ歩いてきた。
――研究部主任、小倉直樹だ。
「……小倉さん。」
「あれ?」
名前を呼ばれ、小倉は鼻歌と足を止めた。
「これはこれは…橘隊長じゃないですか。捜索は進んでいますかー?」
ニタニタしながら聞いてくるその顔に、橘は軽蔑の目を向ける。捜索が進んでいないのは、主任の小倉の耳にも入っているはずなのに――。
「小倉さん…聞きたいことがあります。」
「橘隊長が僕にかい?珍しいこともあるんだねぇ。」
基本、研究部員と関わりをもちたい人間は少ない。特に能力を持っている隊員は実験体にされるため、余程な用事がない限り小倉には話しかけようとも思わない。
「僕の能力は生命反応を探知する能力です。」
「もちろん存じてますよ。」
「でも、過去の生命反応を辿ろうとしても何も見えませんでした。」
「過去ぉ?それはそうでしょう。能力にだって限界がありますからねぇ。」
「分かっています。でも、雪斗君を見つけるには僕の能力しかないんです。」
「うーん…。」
「小倉さんなら…能力の限界を超える方法、知ってるんじゃないんですか?」
橘の言葉を聞いた瞬間、小倉の口元がゆっくりと吊り上がる。
「あるにはあるけど…ねぇ…。」
「本当ですか!?」
「でも…能力者に試したことはないんだよねぇ…。」
「僕が…最初ってことですか?」
「ふふふ。どうする?僕はどちらでも構わないけど。 」
小倉の不気味な笑みは気になるが、橘はすぐに返事をした。
「構いません。可能性があるなら、試したいです。」
その返事を聞いた小倉は、くるりと橘に背を向け歩き出す。
「じゃあ、僕について来てください。…いいものをお見せします。」
「…分かりました。」
そして二人はエレベーターへ乗り込み、B15階のボタンを押した。
「十五階…?ここって…。」
B15階は特殊研究区画だ。研究員も小倉と一部のみしか入室ができない。
フロアへ着くと、小倉は廊下を進み研究室の奥へ小走りで向かう。
入室制限がかかっている為、指紋認証に暗証番号、さらには虹彩認証まで行ないやっと扉が開く。
中に入ると、そこは薄暗い研究室。人の気配がまったくない。
小倉はそのまま奥に進み、低温保管庫の扉の前へ立ち、また暗証番号を入力する。
ピーという電子音が鳴り扉が開くと、中からひんやりとした冷気が流れ出てくる。そして小倉は一本の小さなガラス製バイアルを取り出した。
淡い青色の液体が静かに揺れている。
「……それは?」
橘が尋ねると、小倉は楽しそうに笑った。
「能力増幅試薬ですよ。隊員の能力を引き上げるために作った試作品…。」
「能力を?」
「理論上は、能力の出力や感覚を大幅に高められます。」
「そんなものがあるなら、どうして今まで使われなかったんですか…?小倉さんならすぐに使ってくれって言いそうなのに…。」
「いやぁ、一応はね、篠崎さんからは使用許可をもらえたんですよ。でも、鷹宮隊長と五十嵐隊長に『危険すぎる』って大反対されちゃって。」
「隊長が…?」
「それ以来、お蔵入りです。」
「そんな話、初めて聞きました。」
「そりゃあ口外するなと言われましたからね。」
小倉は悪びれる様子もなく笑う。だが橘は少し不思議に感じたことがあった。
「小倉さんなら…あの二人に何か言われても、黙って使いそうなのに…。」
「よく分かりましたねぇ。一度、八雲くんに黙って使おうと思ったんですよ。でも鷹宮隊長と五十嵐隊長にバレましてね。本気で殺されるかと思いましたよ。」
「太一に!?」
自分の部下に手を出そうとした事を知り、小倉に怒りが湧く。だが小倉は終始落ち着いた様子で橘に話しかけた。
「まぁまぁ。あれから反省して誰にも使ってませんよ。」
「だからって…!」
小倉は手の中の試薬を見つめ、橘に問いかけた。
「それで…橘隊長はお使いになりますか?」
「!」
「お二人の隊長が全力で阻止し、口外を許さなかったこの薬を…。」
「……どれほど危険なんですか。」
「さぁ…僕にも分かりませんねぇ。人体への投与実験は一度も行われていませんから。」
淡々とした口調で、小倉は続ける。その様子を橘はただ、ジッと聞いていた。
「副作用がまったくないか…ほんの少し体調が悪くなるのか…。いいや、神経に深刻な障害が残る可能性もありえますねぇ。」
「…。」
「最悪の場合、亡くなるなんてことも…。」
橘の表情は変わらない。
小倉はそんな橘を見つめ、ゆっくりと口角を上げた。
「どうします?まだ引き返せますよ?」
怖くないといえば嘘になる。前例がない未知の薬だ。
しかし橘は、一歩も引かなかった。
「……お願いします。」
「ふふっ。そう来なくちゃ。」
嬉しそうに呟くと、小倉は速やかに注射器を手に取り、青白い薬液をゆっくりと吸い上げた。
橘は袖をめくり、静かに目を閉じる。
脳裏に浮かんだのは、雪斗の姿だった。
必ず助ける。そう、胸に刻んで。
「じゃあ、いきますよ。」
「…お願いします。」
その声に、一片の迷いもなかった。
小倉は注射器を構えると、細い針の先を橘へ刺した。




