第25話 ナギとセツ
♢♢♢
その頃。
雪斗は、ゆっくりと意識を取り戻した。
背中に伝わる硬い床の感触に思わず眉をひそめ、重い瞼を開く。
「ここは……。」
視界に映ったのは、薄暗い部屋だった。
天井に取り付けられた小さな照明が、弱々しく周囲を照らしている。
壁はコンクリートで目の前には鉄格子。
まるで――“地下牢”のようだ。
雪斗はゆっくりと上半身を起こした。
「……そうだ。」
途切れていた記憶が少しずつ戻ってくる。
黒いフードを被った男に襲われ、そのまま意識を失ってしまった……。
「俺…あいつに連れてこられたのか。」
早くここから出なければ…。
そう思い、立ち上がろうとした。
――その時、“ガチャリ”と金属音が響いた。
「……っ。」
足元を見ると、そこには太い金属製の足枷が。
頑丈な鎖が伸び、壁へと繋がれていた。
「くっそ…取れねぇ。」
足枷をガチャガチャと荒く触るが、雪斗だけの力で取れそうにない。
足枷は一旦諦め、立ち上がろうとした。しかし、視界が揺れ足元がふらつき思わず壁に手をついた。
身体が思うように動かない。
「何打ったんだよ…。」
あの時、あの男に打ち込まれた薬。
意識を奪うためのものだったのだろうが、副作用なのか、まだ身体の奥に残っているのか、足には痺れが残っていた。
雪斗は息を整えながら、目の前の鉄格子へ近づく。
ガンッ!ガンッ!
鈍い金属音が薄暗い部屋に響く。
両手に力を込めて何度も揺らすが、鉄格子は微動だにしない。
「どうやってここから出ればいいんだ…。」
とにかく、ここから出る方法を考えないと――。
そう思ったとき、暗闇の奥から知らない誰かの声がした。
「あれー?思ったより早く起きたねー。」
鉄格子を揺らしていた手が止まる。
薄暗い通路の奥から一人の男が姿を現した。
長い髪に細い身体。
「……誰だ。」
「俺はナギって言うんだー。君は一ノ瀬雪斗くんでしょー?よろしくねー。」
男はこちらに向かって歩きながら、軽く手を振る。
「ここから出せ!」
「えー、それは無理かなぁ。俺、君の能力を発動させなきゃいけないし。」
「……能力?」
「そうだよー。」
「誰から聞いたかしらないけど、俺が能力を持っているかは確定じゃない!」
嘘では無い。能力をもっている可能性は確かに高いが、実際に扱えたことはないからだ。
だが、ナギは特に驚く様子もない。
人を攫っておきながら、まるで興味がないように見える。
「あー、そうなんだぁ。でも、あの人が能力持ちだって言うからねー。」
「……あの人?フード被った男のことか?」
その言葉にナギは少しだけ笑った。
「セツくんのことー?違う違う。あの人は、あの人だよー。」
答えになっていない。
まだ他に仲間がいるのか…?
「とーっても怖い人でねー。ちゃんと仕事しないと殺されちゃうからさぁー。」
恐ろしい言葉とは裏腹に、ナギは楽しそうに笑っている。
その姿がどこか不気味に感じた。
「だから、協力してね?君も殺されたくないでしょー?」
「協力って…仮に俺が能力者でも、今日まで能力が発動しなかったのに、急に使えるようになる訳ないだろう!」
「そんなの俺に言われてもねぇー。」
「とにかく、俺をここから出せ!!能力を発動させるっつっても、もしかしたら怪物になるかもしれないし、下手したら死ぬんだぞ!絶対に協力なんかしない!!」
雪斗の叫びに、先程まで笑っていたナギの顔が曇る。
「はぁ……。うるさいなぁ。」
「!」
ナギは一歩、鉄格子へ近づく。
「ちょっと黙っててよ。」
そう言って、ナギはゆっくりと手を前へ出した。
雪斗は、この男が今から能力を使うのだと予想した。
全員ではないが、隊員の一部は能力を使うとき手を前へ出していることがある。
そのため反射的に、雪斗は後ろへ下がった。
「耐えてみなよ。」
ナギは指先をなぞるように何か描いている。
その瞬間――
「……っ。」
雪斗の身体が勝手に強張る。
呼吸が浅くなり、心臓の鼓動が少しずつ早くなっていく。
「な……にを……。」
(なんだこれ…。苦しい、怖い……。)
雪斗は胸元を押さえた。
理由もないのに、ただここに存在しているだけで、恐ろしく感じる。
「能力発動するかなぁー。」
ナギは興味のない玩具をいじっているように、指先をクイっと何度も描くようになぞる。
「……!くそ……。」
記憶というは不思議なものだ。
忘れたいと思うものほど、なぜか鮮明に残り続ける。
そして今――。
雪斗の頭の中に、過去の光景が次々と流れ込んできた。
それは楽しかった日々でもない。
思い出したくない記憶が、まるで走馬灯のように駆け巡っている。
「……やめろ。」
訓練室で見た、湊が亡くなった瞬間の映像がハッキリと思い出される。まるで誰かに無理やり記憶を掘り起こされているようだ。
「……っ。」
心臓の鼓動が、さらに速くなる。
怖い。何が怖いのか分からないが、このまま生きていたくないと錯覚してしまうほどの恐怖。
そんな雪斗を、ただ静かに見ていたナギが感心したように呟いた。
「へぇー。びっくり。意外と耐えるんだねー。」
雪斗は荒い息を繰り返しながら、震える足で立ち続けていた。
「じゃあもう少し頑張れるかなぁー。」
そう言うと、次の瞬間ナギはゆっくりと手を握り込んだ。
「……ッ!」
先程よりも胸が苦しくなる。
(この記憶は……。)
訓練室で見た映像は湊だけではない。怜侍も一緒だ。ネックレスが無ければ、彼だと分からなかった。
怜侍の変形した見た目が頭から離れないーー。
雪斗は頭を抱え、その場に膝をついた。
それでも記憶は止まらない。
“じゃあ、また後で。”
そう言い残し、廊下の奥へと消えていった親友の面影を思い出す。
何故あの時追いかけなかったのか。
後悔してもしきれない。
心臓の鼓動は、さらに速くなっていく。
ナギはその様子を驚いた様な様子で見ていた。
そして――小さく笑った。
「ふーん…。そういうことかぁ。」
意味深な言葉を残し、そのまま雪斗に能力を使い続ける。
ついに雪斗の耳に幻聴まで聞こえてきた。
――『怜侍が死んだのは、お前のせいだ。』
「……っ!」
突然、頭の中に声が響き思わず耳を塞ぐ。
――『どうして追いかけなかった。』
――『あの時、お前が追いかけていれば。』
「違う……。」
雪斗は首を横に振る。
声を振り払おうとしても、頭の奥から離れない。
――『湊を止めていれば死ななかった。』
――『お前が全部悪い。』
「やめろ……!」
――ドクン。
心臓が悲鳴を上げるように脈打つ。
首筋へ赤黒い血管が浮かび上がり、腕へ、頬へと蜘蛛の巣のように広がっていく。
「ぐっ……あぁぁっ!」
雪斗は苦しそうに叫ぶ。
そして、ゆっくりと瞳が赤く染まり始めた。
その姿を見たナギは、思わず目を見開く。
「……へぇ。やっぱり能力持ってんじゃん。」
雪斗の赤い瞳が妖しく揺らぎ、全身の血管が激しく脈打つ。
今にも何かが目覚めようとしていた。
「あと少しで……。」
ナギが静かに呟いたその時。
プツリと糸が切れたように、雪斗の身体から力が抜ける。
赤く染まっていた瞳はゆっくりと元の色へ戻り、浮かび上がっていた血管も静かに消えていく。
ドサッ――。
雪斗はその場へ倒れ込み、動かなくなった。
その姿を見てナギは首を傾げる。
「……あれ?動かなくなっちゃった。」
ナギは持っていた鍵で牢を開けると、雪斗の側に近寄り指でツンツンと身体を押した。
「うっ……。」
「生きてたんだー。よかった。」
雪斗は少し動いたが意識はないようで、目は瞑ったままだ。
「でも困ったなぁー。結局、能力は発動しなかったみたいだし……あの人に怒られちゃうかなぁー。」
ナギは倒れた雪斗をしばらくツンツンしていると、廊下の奥から一人の男が静かに姿を現した。
フードを深く被った男――セツだった。
「なにしてる。」
短く問いかけるセツに、ナギは苦笑した。
「途中まではいい感じだったんだけどねー。気絶しちゃったー。」
「初日からやり過ぎるなと言われていただろう。」
「ごめんなさーい。」
そう言いながらも、どこか楽しそうに笑う。
「でも、面白いものは見れたよ。」
「それは結果論だろう。」
「分かった分かった。じゃあ俺は、あの人に報告してくるよ。あとはよろしくねー。」
そう言い残し、ナギはセツに手を振りながら部屋を後にした。
セツは扉の開いた牢へと入り、意識を失った雪斗を無言で見つめた。
そのまましゃがむと、雪斗の首筋へ静かに指を当てる。
「……。」
脈は正常な速さに戻っている。
しかし能力発現の影響か、首筋にはまだ赤黒い血管が浮かび上がっていた。
額には大量の汗が滲んでいる。
セツは無言のまま立ち上がると、傍らに置いていた布袋から一枚のタオルを取り出した。
そして再び雪斗の元へしゃがむと、額や首筋の汗を拭き取っていく。
「うぅ……。」
唸り声は聞こえるが、意識が戻りそうな気配は無い。
セツは汗を一通り拭いた後、近くにあった毛布を広げる。
そして静かに雪斗の身体へ掛けると、牢の外へ出て鍵を閉める。
最後にもう一度だけ牢の外から雪斗の様子を確認すると、何も言わずその場を後にした。
♢♢♢
部屋を出たナギは、軽い足取りで廊下を歩いていた。
「怒られるかなぁー。最悪、消されちゃうかなぁー。」
そんなことを呟きながらも、その表情に焦りはない。
廊下の最奥。
一枚の重厚な扉の前で立ち止まると、軽くノックをした。
「失礼しまーす。」
相手の返事を待たずに扉を開けると、部屋の中央で一人の男が机に向かって資料へ目を通していた。
「資料見るぐらいなら、あの子に能力使った瞬間見てくれたらよかったのにー。」
「…監視カメラでちゃんと確認したよ。」
資料から目を離さないまま、男は静かに答えた。
「じゃあさっきのも見てたって事ですー?報告要らない感じでしたかー。」
「そうだね。でも、来てくれてちょうど良かったよ。」
そう言うと、やっと資料から目を離しナギの目を見た。
「面白いものが見れたよ。あのままいけば怪物化するか、そのまま死ぬかな…って思ってたんだけど、まさか耐えたとはね。」
男の言葉にナギは少し驚いた。怒られると思ったのに、相手の男は笑っているからだ。
「あれー。もしかして俺、お咎めなし?」
「お咎め?ないよ。もちろん能力を発動することが一番の目的だけど、耐えれないならそれまでだからね。」
「なーんだ。怒られると思ってビクビクしたのにー。」
そんな様子は1ミリも見られなかったが、ナギは良かったーと安心した素振りを見せた。
「あ、そういえばーあの子の記憶色々と見ちゃったんですけどー。」
「ナギ。」
ナギの言葉に男は口を挟んできた。
いきなりのことだったので、ナギはキョトンとした顔で男の様子を伺う。
「…その話は他言しないように。……いいね?」
優しい口調だ。口角は上がっているが、明らかに目が笑っていない。
だがそんな様子でも特に怯える様子はなく、いつものように軽く返事をする。
「わかりましたよー。」
「…セツにもだよ。」
そこまで伝えると、男は再度資料に目を通した。ナギは机の上に広がっている資料をちらりと覗き見した。しかし、ナギの頭ではその内容が理解できない。
「これ、なんの資料ですかー?」
「ウイルスの資料だよ。ナギが見ても分からないだろうけど。」
「ふーん…。」
興味がないのか、それ以上は何も言わずナギは部屋を後にした。
静かになった部屋で、男はゆっくりと椅子にもたれた。そして資料を置き、机の端末を操作し始める。
そして、壁一面に並ぶ監視モニターの一つへ映像が切り替わった。
そこに映っていたのは、地下牢。
檻の中で気を失う雪斗と、その傍らに立つセツの姿だった。
セツは雪斗の脈を確認し、汗を拭いたあと毛布を静かに掛けてあげている。
男はその様子を見つめ、小さく息を漏らした。
「……セツは優しいな。」
その声に感情はない。
独り言のように呟くと、ふと何かを思い出したように視線を細める。
「そういえば……。まだ言ってなかったな。」
監視モニターを見つめたまま、小さく笑う。
「僕、偽善者も好きじゃないんだよね。」
男はセツがいなくなった後も、雪斗がいる地下牢をいつまでも眺めていた。
第26話は15日19時頃更新予定です。




