第4話 あの日、誰かが手を握った
崩れ落ちた土の湿った匂い——
真夜中の町を焼き尽くす煙が、空を覆っていた。
(痛い……息が、できない……)
まぶたが重く、開かない。
倒れた体が、動かない。
誰かが手を握ってくれていた気がする。
まだ幼い、同年代くらいの小さな手だった。
「……もう、大丈夫」
「このペンダントが、君を守ってくれる」
まだ少年の、幼い声。
……あの声は、誰……?
自分を育ててくれた人達にはもう会えない。
素材店の薬草は、すべて燃えてしまった。
手に残るのは、貰ったペンダントだけ。
* * *
あの日、一人ぼっちの
私を救ってくれたのはアレンだった。
再び話せるようになるまで、ずっと側にいてくれた優しい人。
その後も定期的に町まで会いに来てくれた。
あの頃――
私はまだ十歳だった。彼は十五歳。
その日は教会にいた。
「天国ってあるのかな……」
私は黒いワンピースを着て、手元には行き場のないカーネーションの花が二本。
「リア」
「アレンだ!」
駆け足で近寄った。
「前に持っていたペンダント、ポケットに入れてるだろ?」
そう言って片膝をつく。
「それは首から下げておいて」
「大切なものなんだ」
彼にペンダントを渡すと、首に掛けてくれた。
「誰かにあげたりしちゃダメだよ」
「どうして?」
アレンは少し考えたあと、こう聞いて来た。
「リアは“一番大切なもの”って何だと思う?」
「うーん……」
「お家とご飯、それと……えっと、愛!」
その時欲しかったものを答えた。
「じゃあ、それと同じくらい大切なものだと思ってくれればいい」
「……わかった」
私はペンダントをそっと握りしめた。
「ねえ、これをずっと持っていたら、アレンはそばにいてくれる?」
またアレンは考える。今度は長く。
「君が大人になるまでは、そばにいるよ」
「ほんと?じゃあ、大切にするね!」
家族がいない私にとって、それがなによりも嬉しい言葉だった。
教会での幼い日の誓い。
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成長するにつれて、彼から沢山のことを学んだ。
そうやって少しずつ――
私の世界は広がっていった。
もし兄がいたら、こんな感じなのだろう。
あの頃までは……
本当に、そう思っていた。
* * *
二人の生活環境が変わり、
一年くらい会えない時期があった。
だから、久しぶりに開催されるお祭りにアレンを誘ってみた。
すでに私は十三歳。
その日のお祭りは第三殿下が十八の成人を迎えられたお祝いのもの。反対意見も多かったのか、実際の生誕の日より遅れて開催された。
「アレン、今日は帽子と眼鏡をかけてるのね」
「……変かい?」
「ううん。探偵みたいでかっこいい!」
すると、手作りの小物を販売している露店があった。
「アレンに選んで欲しいな」
「何が欲しいのかな?」
「お財布!」
彼はお店を見渡し、少し考えて一つの財布を手に取る。
「これは……君にはまだ早いか」
しっかりした革の、高級そうな財布だった。
隅には走る馬の刻印が押されていた。
私は彼と財布を交互に見合わせる。
「それにするわ!」
目がキラキラ輝く。
「他にも可愛いのが沢山あるよ?」
「それがいい!これ下さい」
「はいはい。まいど」
貯めてきたお給金を使い、初めて財布を買った。
アレンが選んでくれて、心が飛び跳ねるように嬉しかった。
帰り際、手を繋ごうとした瞬間、そっと離される。拒否されたわけではない。
(……ただ、人目を気にしているだけ)
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代わりに、彼にペンダントを見せた。
「会えないときも、ずっとこれを持ってたの!
また会えて、嬉しい」
彼は、目を細めて、優しく微笑むだけ。
あの時の約束をアレンは忘れてしまったのか、少し不安になった。
「アレン……」
「これからはずっと一緒にいられる?」
彼は少しだけ視線を落として――
何かを飲み込むように、言葉を選ぶ。
「……君が大人になるまでは、側にいるよ」
また同じ言葉。
けれど。
その意味が、前とは違って聞こえた。
嬉しいはずなのに、
なぜか胸が苦しくなる。
* * *
コトンッ 空の陶器の音が響く。
――気付けば、
目の前には大人のアレンがいた。
これが、現実。
休憩を終えた彼は、椅子から立ち上がる。
「リア、僕はまた作業に戻るよ」
「じゃあこれ洗っておくね」
「ありがとう。頼むよ」
そして彼は小屋から出て行った。
彼の飲んだマグカップには、茶色のコーヒーの跡がついている。
それをリアは水で洗い流した。
コーヒーの苦い香りはもうしない。
昔は重かったはずの器が、やけに軽く感じた。
リアは濡れた自分の手のひらを見つめた。
そして、小窓からアレンに向けて、片手を伸ばす。
「嘘をつけない人……か」
彼に嘘をついているから、
きっともう――
あの時みたいに、手を繋いでもらえない。
このまま、
何も知らない子供でいられたらいいのに。
けれど――進むしかない。
私は、あの人と契約してしまったのだから。
(セドリック……)
手を握りしめて、アレンへの気持ちを押し込めた。




