第11話 「あの夜、道を間違えた」
今日、はじめて喧嘩をしてしまった。
(どうやって、謝ればいいの)
セドリックと別れてから、しばらく歩いた。
夜の冷たい風が、先程の感情を徐々に落ち着かせてくれている。
「……ドレス、返しに行かなきゃ」
そんなことを考えながら、仕立て屋までの道のりを辿った。さっきまで賑わっていたのに。
あれ……?
周囲に人の気配がない。
「……そっちじゃないよ」
後ろから若い少年の声が、聞こえた気がして、振り向く。そこには誰もいない。
その時、路地の奥で一匹の小さな猫と目が合う。
じっとこちらを見つめる……。
「ニャア」
その瞳から、目が離せない。
——足が、意思とは関係なく勝手に動いた。
猫は何度も振り向き、前を走る。
「待って!」
街灯が、チカチカと不規則に瞬く。
そして一瞬、世界は暗闇に包まれた。
「!?」
リアが後ろに気を取られた瞬間。
何かが燃えるような、嫌な気配が走った。
再び灯りが灯されると、
そこにいたはずの猫は……
跡形もなく消えていた。
「え……?」
微かに、アレンの香水の香りがした。
次の瞬間には、もう消えていた。
湿った土と枯れ葉の匂いが周囲に広がる。
「表通り……よね……?」
影が、不自然に揺れている。
引き返そうとしたその瞬間、何かに掴まれた。
「ッ……!」
「やめて……っ、誰!?——」
必死に振りほどこうとするが、びくともしない。
これはセドリックの魔法じゃない。
そう、本能的に理解した。
胸元の赤いペンダントが、大きく揺れる。
その瞬間「捕まえろ」と低い声が聞こえた。
闇の奥に何かが潜んでいる。
無数の黒い手が、
足、胴体、腕へと絡みつく。
グググ……
必死に体を動かすが、力が強い。
「絶対やだ……っ!」
喉が震えて、うまく声にならない。
逃げ場はもうなかった。連れて行かれる。
どこからか、甘い薬の香り。
(あ、――だめだ)
鈍い音と共に、リアは意識を失った。
* * *
冷たい風が頬を撫でる。
近くには古い館と、馬車。
意識の奥で、
男の怒鳴り声が響いていた。
身なりの整った眼鏡の男がいる
「おい、なんで娘が二人いるんだ!」
——もう一人、誰かいる?
「数が多い方が都合がいいでしょう」
そう言って男の手下は、不気味な笑みを浮かべる。
「チッ……余計なことすんな」
眼鏡の男は、革靴のつま先を軽く浮かせた。
「この辺でしくじったらどうすんだ!!」
ドサッ
手下は地面に叩きつけられた。
すると物陰から、一人の少年が姿を現した。
腕には契約魔法の刻印。
月明かりに照らされるのと同時に、それは淡く掻き消えた。その少年が、リアの胸元を指差す。
「兄貴、この子、何か付けてます」
それは輝く赤い石のペンダント。
兄貴と呼ばれる、眼鏡の男の表情が変わった。
「んん?……このペンダントの石」
「妙な光り方だな」
「それだけ取って……帰しますか?」
眼鏡の男は目を細め、にやりと笑う。
「……いや、牢屋に入れろ」
* * *
夜の森の匂い——
しばらくしてリアは目が覚めた。
しかし何も見えなかった。
目元と口を布で覆われ、声も出せない。
(どこ……)
すると、男達の声がした。
人攫いの犯人が、楽しそうに語っている。
「あとで金庫に入れろ」
「いい買い手がつくぞ」
話の一部しか理解できないが、リアの胸が締め付けられた。
(……目的は、金品?)
やがて男達の声は遠のいた。
(ここ……人攫いのアジトだ)
胸の奥が、冷たく沈む。
吊るされた鎖のような金属音が、上から響いた。
冷たい感覚がある。
(セドリックの時とは違う、本物……)
——逃げなきゃ。
リアはセドリックに使わないよう言われていた、"魔法"を使うことにした。
* * *
それは舞踏会に参加する前のこと。
「今のお前は、余分な魔力で魔法が使える」
「だが、それは消耗品だ」
リアは首を傾げる。
「首輪のこと?」
「そうだ」
彼は淡々と続ける。
「お前の魔力は、俺が維持している」
一拍置いて、低く言う。
「だから勘違いするな」
リアは小さく眉をひそめる。
「勘違い?」
彼は視線を外さないまま続ける。
「攻撃に使うな」
「――体が壊れる」
* * *
今は緊急事態。
魔法を心の中で唱える。セドリックが以前、腕輪を壊した時のイメージで。
しかし……びくともしない。
リアはゆっくり呼吸を整え、指先で手錠の形を確認した。手首に魔力を集め……内側から砕くイメージだけを強く持つ。
額から汗がじわりと流れ落ちる。
次の瞬間――
金属が砕かれる音が牢屋中に響いた。
手錠が弾け飛ぶ。
それと同時に、リアは横に倒れた。
ドサッ
体中が痛くて動けない。
首が焼けるように熱い。
まるで技の反動が全て、自分に跳ね返ってきたかのように。
「ぅゔ……」
骨の奥が、砕けるように軋んだ。




