第10話 触れてはいけない距離
セドリックは二人の様子を離れて見ていた。
「……最悪だな」
思わず、本音が漏れた。
時刻を確認。
リアの魔力循環まで余裕がある。
しかし。
本人は気付いていない様だが、時々ふらつき、第三殿下に支えてもらっていた。
「おっと……大丈夫かい?」
「うん。ありがとう……ヒールあまり履き慣れてないせいかも」
「ケホッ……」
彼女の呼吸がわずかに乱れている。
セドリックは自分の手を見つめた。
焦りでわずかに震える指を、ぐっと抑えつけ、視線を戻した。
* * *
一曲、また一曲と時間が過ぎた。
リアは、アレンが他の女性と話す姿を遠目で見ながら、セドリックと合流した。
「ただいま」
「ああ」
彼が何かを言いかけた。でも、押さえ込むように間を開けて一言。
「……食べるんだろ?」
「うん!」
リアは美味しい料理を堪能した。
「あなたの任務って……アレンの?」
「……」
――また黙秘。
「誰か誘わないの?」
「俺はいい」
二人で並び、舞踏会の光景を眺めていた。
時折、セドリックは自分の腕を強く握り、まるで痛みを耐えるかのように力を込めていた。
「どこか痛いの……?」
彼は何も言わなかった。
リアはそっと彼の背中をさする。
しばらく経つと、何事も無かったかのような表情に戻った。
(どうしたのかしら……)
* * *
時刻は二十時過ぎ。
夜遅くなる前に、リア達は先に会場を後にした。
先程まで浴びていた華やかな光が遠ざかる。
「今日はありがとう、セドリック」
「私まで招待してくれて」
リアは指先を合わせて、喜びを表した。
「料理美味しかったな……」
(それにしても、まさか……アレンが第三殿下だなんて……)
昔を思い返す。食事のマナーや乗馬。
彼からいろんなことを教わった。
王族の暮らしって、どんな感じなのかしら。
ぼんやり歩いていると、
次第に目が霞んできた。
(あれ……ちょっと、変……)
視界が揺れる。
呼吸が浅い。
「おい」
その声に驚き、振り向く。そこには無言で、腕に力を込めたままのセドリックがいた。
「ど、どうしたの……?」
彼が何かを言っている。
だけど、うまく頭に入ってこない。
「……魔力の出力は抑える」
瞳が揺らぎ始め、焦りが滲む。
「時間がない、行くぞ」
リアは少し身を引いたが、あっという間に彼はリアの手首を掴んだ。
「あ。ちょっと待って……!」
カツカツカツ……
人通りから外れた細い裏路地まで、早歩きで進み、半ば強引に引き込まれた。
「……わっ」
壁際まで追い詰められたリアの目前で、
セドリックが足を止めた。距離が近い。
「ねぇ……どうしたの?」
彼が辛そうに唇を噛み締めたあと、
瞳が一瞬――赤くなった。
---
暗闇の中、彼の手だけが
月明かりのように白く浮かんで見える。
顔が、近い。
「始める」
彼の声が冷たく響き、リアは息を呑む。
黒い手袋が素早く外され、リアの首元へ手が伸びてきた時……そこで、はっと気付いた。
「えっ!」
魔力を循環させようとしてきた。
人がいつ来るか分からないこんな場所で。
思わず、彼の肩を強く押す。
「まっ待って……セドリック……!」
その言葉で、彼の指先が止まりかけた。
しかし。
「今は……それしか方法がない」
それでも、ドレスの留め具に触れてきた。
「ちょっと……!」
リアが慌てた瞬間――
衣装がわずかに開き、鎖骨がかすかに覗いた。
(うぅ……)
彼は目を合わせない。
意図的に視線を逸らしている。
だけど。
そのまま指先が首元に触れた。
初めての冷たい感触に、リアの体がびくりと震える。
一瞬だけ、彼の動きが止まる。
だけど。
熱いものに触れるかのように、
息を止め——
そのまま首元に手を添えた。
「っ……!」
首元を隠すヴェールは動かされていない。けれど、守ってきた場所に触れられてしまった。
息が触れるほど近い距離。
リアは彼の胸元をどんっと叩いた。
次の瞬間。
眩い光を放ち、髪がふわりと揺らぐ。
胸の奥がきゅっと掴まれるように痛んだ。
リアは戸惑いながら、
もう駄目だと、目を閉じた。
(……なんで?)
まるで抵抗と言わんばかりに、彼の腕を強く掴み、爪を立ててやった。
(これは契約……)
(でも、こんなのって……)
ほんの数十秒。
いつもより短いはずの魔力の循環。
なのに……とてつもなく長く感じた。
---
やがて彼の手が離れる。
今までにない、静電気のような小さな音が鳴り響いた。
彼が一歩、
後ろに下がった瞬間――
リアは急いでドレスを整え、首元を隠した。
布をギュッと握り、顔をあげる。
パシッ
彼の頬を叩いた。
頬を赤くしたまま睨む。
「ねぇ!」
「……誰かに見られたら、どうするの……」
今度は、彼の腕を叩いた。
すると、視界が僅かにぼやける。
溢れないよう、ぐっと堪える。
「“契約だから”で済ませられることじゃないのに」
今度は、つねるように腕を掴む。
彼の表情は堅かった。
灰色の瞳が本物かどうかも怪しい。
少し呼吸を整えてから、彼は短く話す。
「……さっき説明した」
わずかな間。
その言葉とは裏腹に、
彼の体は、まだわずかに震えていた。
——意味が、分からない。
リアは掴んでいた彼の腕を離した。
言葉の意味を飲み込めないまま、怒りは収まらない。
「この国で女性が首元を隠す意味……
あなたなら知ってるでしょ?」
彼なら、知らないはずはない。
「人前でなんて、
絶対に触れたりしないんだから……!」
怒りと困惑で声が震える。
今まで耐えてきた気持ちが口から溢れた。
すると、セドリックの眉がわずかに寄る。
「……契約上仕方ない」
その言葉と共に、何かが崩れ始めた。
(また、それ……)
「……お前の体調を優先した結果だ」
(……そういう言い方)
——嘘だ、と思った。
絶対、彼の体調の方が悪かった。
理由を言ってくれなきゃ、分からない。
さっきの行動も、ぜんぶ。
すぐに許せない。
(どうしたら彼に伝わるの……)
深呼吸。
「場所を選んで」
自分が大人だと自覚し、ゆっくり言葉を選ぶ。
「これは私が魔力無しだからじゃない。
……みんなが、そうなの」
「……私以外の人も、嫌なことなの……」
普通になりたい。でも普通になれない。
そんな彼女の気持ちが溢れた。
一拍置き、彼の口が僅かに動く。
「リア」
心臓が、跳ねた。
彼に初めて名前を呼ばれた。
リアは赤い石のペンダントを無意識に握る。
まだ、悲しそうに彼の瞳が揺れている。
(そんな顔をするのは卑怯よ……)
「……っ」
だけど。
今何を話しても、これ以上は伝わらない。
答えが見つからない。
「ごめんなさい……帰る」
リアは背を向けて歩き出した。
彼からついに、逃げた――
全部、嫌だった。
彼が謝らないことが。
許しそうになる自分が。
そして。
セドリックが後を追わないことが。
ただ視線だけが、彼女を追い続けていた。




