ALONE 3
王妃様が斜め四十五度の方向に脇目も振らず大爆走している件について(=通常運転)
「陛下とわたくしは、確かに幼馴染と言って差し支えない間柄だけれど……、はっきり言ってしまえばただの腐れ縁よ」
腐れ縁……腐れ縁かァ……。こんな美人さんの口から清々しいほどの笑顔で「腐れ」だなんて下品(……下品、なのか?状況についていけなくて、耳に入ってくる言葉という言葉が全部ゲシュタルト崩壊していく、嗚呼……)な文言が発声されるとは思わなかった。しかし、あの陛下を腐れ縁の一言で括ってしまえるこの美人さんも相当なものだ。もし仮に万にひとつも可能性としてありえないと判っている上でわたしが美人さんと同じ立場にいたとしても、絶対そんなこと言わない。というより、口が裂けたって言えない。だってきっとそんなことを言ったが最期(「最後」じゃなくて「最期」)、口が裂ける前に陛下の佩剣で全身なます切りに切り刻まれて、犬のエサにでもされてしまうわ。ほねっこよろしく骨までしゃぶられて(洒落に非ず!)、柩の中には遺灰すらないほんの僅かな形見だけで執り行われる淋しい葬儀…………ああぁぁぁぁ。
「王妃様、何を考えていらっしゃるのか判らないけれど、こちらの世界にお戻りあそばして?」
ハッ、いかんいかん、いつの間にか脱線していた。タラレバのことを考えたって仕方がないのだ。悪いほう悪いほうに勝手に考えてしまうこの妄想(?)癖、何とかならんかいな。
「――ねぇ、王妃様」
「!は、はいぃっ」
またしても自分の思考に没頭しようとしていたときに呼びかけられて、反射的にピンと背筋を伸ばして勢いよく返事をする。あああ、声が裏返ってしまった。挙動不審、挙動不審であります!落ち着けわたしィ!相手は超絶美形かもしれんが同じ人間だ!え?お前とじゃ人種が違うだろって?判ってますよそれくらい!そりゃあもうこの美人さんと自分とじゃぁ天と地、月とスッポン、蝶とハエトリグモぐらい違うってことは百も承知してますとも!これはアレだ、言葉のあやってやつだ!大人なら察しろよ!空気読めよお願いします!
頭をグッシャグシャに掻きむしって、どこの誰とも判らない相手に焼き土下座かましちゃる、だなんて突飛な結論に行き着こうとするほど頭の中が現在進行形で錯乱しているわたしのことを知ってか知らずか、美人さんはくすくすととても楽しそうに笑い声をこぼしていらっしゃる。あぁ、真っ白な歯がキラリと輝いて眩しいですお爺。お爺の入れ歯もこれくらい白くてしっかりしていて清潔そうだったらなぁ。時々歯と歯の間に何か挟まってるもんなァ……正直不潔。
美人さんの健康的な皓歯を見て自然とお爺の入れ歯へと思考をシフトさせる自分が斜め上にかっ飛んでいるという自覚は、わたしにはなかった。そしてそんなわたしを見て、美人さんが微かに震えながら噴き出すのを堪えていたことにも。
「王妃様は先ほど、『陛下なんか大嫌い』と叫んでいらっしゃったけれど、陛下の何がそんなにお嫌いなのかしら」
ぎゃああああやっぱりしっかりバッチリ聞かれてたーーー!!
不敬罪で牢獄にしょっぴかれる第一歩を踏み出してしまった……破滅へのカウントダウンじゃあぁぁぁ!スタッフー、スタッフーー!お巡りさんこっちですーー!…じゃねぇYO!ムリ!やっぱムリ!まだ死にたくなあぁぁぁい!
「そ、そそそそげんこつ……じゃなくて、そんなこと言ってナイ、です」
「あら、ではあれはわたくしの聞き間違いだったと?」
ニッコリ笑顔を微塵も崩さず問うてくる美人さんが超怖いです。てか、何でこんなに絡んでくるんだろう。
…あれ?待てよ。そもそも美人さんは何でここにいらっしゃるんだ?一応ここ、陛下のお妃が暮らす後宮なんですけど。
―――――え、ひょっとして、もしかすると、まさかまさか、
「美人さん、陛下のお妃にならるっとですか!?」
「…えぇ?妃?わたくしが?」
なんだなんだそういうことかい!それならそうと早くおっしゃってくださればいいものを!腐れ縁だなんて、恥ずかしがり屋な方だなぁ。素直に「幼馴染」、いや「筒井筒の仲」だとおっしゃればよいものを。何て奥ゆかしいお優しい方なんだ。
わたしの想像する美人さんがここにいらっしゃるまでの筋書きはこうだ。
気心知れた幼馴染の関係から始まり、ゆっくりと愛情を育みやがて想い合うようになられたお二人、しかしそこで陛下が何を血迷ったのかわたしというどこの馬の骨とも知れない小娘を王妃に立てられた。望まぬことなれどそうせざるを得ないのっぴきならぬ事情あっての苦渋の決断であった(そうでなければ成立しない。というかそうでないとあまりに浮かばれない、わたしが。こんなの体のいい人身御供と同じじゃないか。さっさと廃妃にして実家に戻してください陛下アァァ!)とはいえ、美人さんにとっては手酷い裏切り行為に等しいことだったに違いない。
ショックで何も喉を通らず、衰弱し寝台の住人となり数年。夫に抱かれぬ『石女王妃』の呼び声高くなったわたしに、美人さんはもう一度陛下の愛を信じる勇気を得たのだ。そして陛下を奪った憎い恋敵であるお飾りの王妃をこの眼でしかと検分してやろうと、陛下を恋い慕うご自分のお心だけを唯一の頼りに自らを奮い起たせて、こうしてここまで乗り込んで来られたというわけだ。が、いざ発見した王妃は物陰に隠れて「陛下なんか大嫌いだ」と叫び、ビービー泣きわめいているありさま。心根の優しい美人さんは恋敵と知りつつもそんな王妃を放っておけず、憐れに思って、涙と洟でグッシャグシャになった平凡顔をハンカチでそっと(と表現するにはいささか力が強かったような気も……いやきっと気のせいだ)拭ってくだすったのだ。それから、わたしが落ち着いたのを見計らって、改めて陛下に対する暴言について糾弾なさるおつもりなのだ(←イマココ)。
勿論、一連の行為の裏にあるのは、愛する陛下を口さがなく貶したわたしへの憤りと、恋する女性ならではの嫉妬だ。それでも生来のお優しさゆえに、ヒステリックに甲高い声を出して詰め寄ったり、酷い侮蔑の言葉を投げつけたり、なんて猛女のようなことはなさらなず、真っ正面から正々堂々と相対しようとしておられるのだ。
――健気だ!わたしが男だったら確実に惚れてる!こんな見た目も中身も文句なしに美しいひとに愛されて羨ましいです陛下!ヒューヒュー!でもって、美人さんを新たな王妃になさるついでに、不要になったお古の旧王妃(=わたし)を一刻も早くその座から引きずり下ろして王宮の外にポイしてください。自分、喜んで出ていくんで!何なら身ひとつで!今すぐにでも!
「ありがとう!ありがとう美人さん!いや~これで万事解決じゃ!わしは大手を振って家に帰れる!子どものできん身体じゃと思われちょるけぇ、結婚を急かされることもなし!つまりお爺や屋敷の人たちとずっと一緒にいられる上に、日がな一日、好き放題本が読める!ひょおおお薔薇色の人生じゃああぁぁぁ!マンセー!ハラショー!
ちゅうコトで美人さん、後はよろしく頼んだじょ。わし、今からちょっくら荷造りしてくるけぇ」
「は!?な、え、ちょ…ッ――ストップ!お待ちなさいな!」
「ぐへぇッ!」
嬉々として駆け出そうとした瞬間、襟首を掴まれて首が締まった。
ぐはぁ、死ぬ、死ぬ!死んじゃうから!男爵家に戻る前に死んじゃうからコレ!まだお爺を置いて逝けないいィィィ!
「王妃様!貴女いったい何を考えていらっしゃるの!?わたくし別に陛下のお妃になんかなりませんわよ!」
「………………………………は?」
あれー?おかしいなァ。わたしは難聴じゃあないんだが、何だか今、あり得ない言葉が聞こえたような気がする。聞き間違いか?
「すっとぼけようったって、そうはまいりませんことよ。さぁ王妃様、耳の穴をかっぽじって、よぅくお聞きくださいませ。
わたくしは!陛下のお妃には!ぜーーったいに!なりませんから!――よろしくて?」
「……そ、そんなあァァ……」
ガーン。めちゃんこショック。喜んで損した。
ガックリと肩を落として凹むわたし。その隣で、美人さんが疲れたような呆れたような顔で大きなため息を吐いた。
「はぁ……これは想像以上に難敵ね……。陛下が苦戦なさるハズだわ」
「………何か言ったかね」
「いいえ、こちらの話よ」
やっていられないとばかりに、美人さんは額に繊細な指先を当てて何度も首を振る。
「……どうもお邪魔いたしましたわ。わたくしこれにて失礼いたします」
「え、もう?せめて陛下にお会いしてから、」
「結構です」
取りつく島もなくスッパリと言い捨てて、美人さんは優美に、けれど咄嗟には追いつけないような速足で、どこかに去っていってしまった。
逃がした魚は途轍もなく大きかった。わたしは雨雲を背負って、またまたガックリと膝を突いてズー…ンと項垂れた。
このあと、わたしを探して王宮内を駆け回っていたらしい陛下に見つかり、荒く息を切らして血走った眼で睨みつけられ、ふたたび「陛下のお胸でプレス」の刑に処された挙句、口からエクトプラズムを出しながら恐怖のあまり失神したのはまた別の話である。
……あれ?とすると結局、美人さんはいったい何をしに、わざわざここに来たんだろう?脳内お花畑なわたしには判らん判らん。