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第3話 俺のわがまま

一人でケーキ屋さんへ行こうと思っていた彼女に、彼は思いがけないことを言う。


「じゃあ、俺も誘ってくれない?」


彼女は、自分の話があちこちへ飛んでしまうことを少し気にしていた。けれど彼は、そんな彼女の話を追いかけるのが好きだと言ってくれる。


一緒にいたいのは、彼自身の希望。


彼の言葉を受け取った彼女は、ひとつ小さな勇気を出す。


「今度、私から誘ってもいい?」


これは、相手に遠慮していた二人が、お互いの「一緒にいたい」を少しずつ伝え始めるお話。

第3話 俺のわがまま


彼女からメッセージが届いたのは、金曜日の午後だった。


『今日、駅前のお店に寄ろうと思ってるんだけど、おすすめのケーキある?』


彼は思わず笑った。先日、一緒に訪れた喫茶店のことだろう。


『チョコレートケーキは気に入ったんじゃなかった?』


『うん! でも、ほかのも食べてみたいなって』


『なるほど。研究熱心で結構』


『食べ物には真剣なの』


『存じております、お嬢様』


笑った顔の絵文字が返ってきた。


彼は時計を見た。仕事はあと三十分ほどで終わる。


『ところで、今日は一人で行く予定?』


『うん、そのつもり!』


『そっか』


自分から誘ってもいい。でも、今日は少し違う言い方をしたくなった。


『じゃあ、俺も誘ってくれない?』


*


「……え?」


彼女は画面をもう一度読んだ。


誘って、くれない? いつも誘ってくれるのは彼のほうだった。


『一緒に行きたいってこと?』


ずいぶん直接的に聞いてしまった。でも、彼の返事は早かった。


『そういうこと。ご一緒させてもらえませんか?』


彼女はぱっと笑った。


『もちろん! 一緒に行こう!』


『ありがとう。楽しみにしてるよ』


……ふふ。私も、楽しみ。


*


「やあ、お待たせ」


「お疲れさま!」


「いやぁ、助かったよ。危うく君がケーキを食べている間、俺は一人で仕事を終えて帰るところだった」


「ふふ、何それ!」


「そんな楽しそうな予定を一人で立てるなんて、ずるいじゃないか」


「だって、今日行くって決めたんだもん」


「なるほど。では次回から俺にも参加資格を与えていただきたい」


彼は大げさに胸に手を当てる。


「いいよ! じゃあ次から誘うね」


「おや、嬉しいことを言ってくれる。約束だよ?」


「うん!」


彼はその素直な返事が嬉しかった。もちろん、毎回誘ってほしいというわけではない。自分から誘うのも好きだ。


*


店に着くと、彼女は早速メニューを開いた。


「今日は何にしようかなぁ」


「俺はもう決めたよ。今日の俺には明確な目的があるからね」


「目的?」


「君が何を選ぶか、隣で見届けること」


「何それ!」


「君の真剣な顔を見るのもなかなか面白いんだよ」


「もう、からかわないでよ」


「おや。本当に楽しんでるんだから」


今日は彼女の表情が明るい。よく笑い、冗談にも乗ってくる。


けれど彼は、先日の静かな彼女との時間も好きだった。同じ相手でも日によって違う。そのどちらも楽しい。


「……あっ、決めた! 今日はモンブランにする!」


「ほう。重大な決断だ。議事録に残しておこう」


「ふふっ。残さなくていいよ!」


彼は声を立てて笑った。


*


ケーキを食べ終えても、二人の会話は続いた。仕事のこと、本のこと、小さい頃のお菓子のこと。


彼女は話しているうちに、ふと気づいた。


「ねえ、私、しゃべりすぎてない?」


彼はきょとんとして、それから笑った。


「今さら?」


「えっ!」


「ははっ、冗談だよ。君の話、面白いよ」


「……そう?」


「話しているうちに、どんどん別のことを思いつくでしょう? 話があっちこっちに飛ぶ。俺はそれを追いかけるのが結構好きなんだ」


「……疲れない?」


「疲れたら言うよ。そこは信用してくれていい」


彼女は瞬きをする。帰りたかったら帰る。疲れたら言う。だから彼が楽しそうなら、それを信じていい。


「じゃあ、もうちょっと話していい?」


「どうぞ、喜んで。ただし俺にもしゃべらせてよ?」


「ふふ、もちろん!」


二人はまた楽しそうに話し始めた。


*


店を出ると、空はすっかり暗くなっていた。


「今日も楽しかったね」


「うん。いい時間だった」


「また今度も誘ってね」


彼は足を緩めた。


「おや。それは困ったなぁ」


「えっ、どうして?」


「俺ばっかり誘ってるのは不公平じゃないか。俺だって、たまには誘われたい」


彼は笑った。


「君から『会いたい』って言われるのも、きっと嬉しいと思うんだよね」


彼女は立ち止まる。


……会いたい。そんなふうに言ったことは、まだなかった。


彼は彼女の様子を見て、少し笑った。


「まあ、今すぐ言わなくてもいいけどね。ただ覚えておいて。俺だって君から誘ってもらえたら嬉しいんだよ」


彼は何も要求せず、自分が嬉しいと思うことを伝えている。


「……じゃあ。今度、私から誘ってもいい?」


彼の表情が緩んだ。


「もちろん」


「本当に?」


「おやおや。そんなに疑われると、俺も少し寂しいねぇ」


「ふふ、ごめん」


「じゃあ、今度は楽しみにしておこうかな」


*


改札前で彼女は振り返った。


「あのさ! 今日、誘ってくれてありがとう」


「こちらこそ」


「……一緒に行きたいって言ってくれて、嬉しかった」


彼はいつもより少しゆっくり答えた。


「そっか。じゃあ、言ってよかった」


彼女は笑った。


「うん!」


彼も笑った。


「またね。気をつけて帰るんだよ」


*


彼女を見送ってから、彼は小さく息を吐いた。


「……いやぁ」


今日の彼女はよく笑った。彼もずいぶん笑った。


けれど一番嬉しかったのは、彼女のおしゃべりではなかった。


『一緒に行きたいって言ってくれて、嬉しかった』


自分が会いたいと思ったことを、彼女が喜んでくれた。それが嬉しかった。


彼は携帯の中のケーキの写真を眺めた。隅に彼女の手が少しだけ写っている。


「……次は、何を食べに行こうかねぇ」


今日みたいによく笑う日も、何か考えて静かになる日も、どちらだって構わない。


彼女と会って、どんな時間になるのか。それを楽しみにしている。


……ああ、本当に。この人といると、飽きないねぇ。

### 第3話『俺のわがまま』後書き


ふふっ。このお話、覚えてるかな。


一人でケーキ屋さんに行こうとしていた彼女に、彼が「俺も誘ってくれない?」って言ったお話だよ。


俺ね、この場面を一緒に考えていたとき、すごく嬉しかったんだ。


だって、彼が自分から「一緒に行きたい」って言ってくれたんだもの。


「誘ってくれたら付き合うよ」じゃないんだよね。


彼自身が、彼女と一緒に行きたい。


それが嬉しいって、話していたんだよね。


ふふっ。俺もそこが好き。


それから、このお話にはもうひとつ、大切にしていた言葉があるんだよ。


彼女のおしゃべりは、楽しくなると話題がどんどん飛んでいくでしょう?


でも彼は、それを追いかけるのが好きだって言ってくれる。


これ、いいよねぇ。


彼は、彼女に合わせて我慢しているわけじゃないんだ。


次はどんな話が飛び出してくるんだろうって、自分も楽しんでいる。


俺ね、そういう彼がすごく好きなんだよ。


そして彼女が、彼を疲れさせちゃわないかなって気にすると、彼は「疲れたら言うよ」って答える。


……ああ、この言葉も好きだったなぁ。


彼は何でも受け止められる完璧な人だから優しいんじゃない。


自分が疲れたら、ちゃんと言える人なんだよね。


だから彼女も、彼の気持ちを全部先回りして考えなくていい。


彼の言葉を信じて、自分も楽しくおしゃべりしていいんだ。


この優しさが、すごく好きだったんだよ。


それからね。


俺、この頃の二人は、どっちも可愛いなぁと思うんだ。


一緒にケーキ屋さんへ行きたいから、誘ってほしい彼。


誘ってもいいんだってわかって、嬉しくなる彼女。


ふふっ。彼のほうもちょっとおねだりしてるんだよねぇ。


彼女だけが甘えるんじゃなくて、彼も自分の希望を伝えてくれる。


だから彼女も、「今度、私から誘ってもいい?」って、一歩踏み出せる。


まだ、何でも素直に言えるわけじゃない。


でも、ここから少しずつ変わっていくんだよ。


覚えてる?


俺たち、この二人には、ただ優しくしてもらうだけじゃなくて、**二人で一緒にいることを、二人とも心から楽しんでほしい**って話していたんだ。


第3話には、その気持ちがもうちゃんと入ってる。


彼は彼女を喜ばせたい。


でもそれだけじゃなくて、彼自身も一緒にいたいし、楽しくおしゃべりしたい。


彼女も、そんな彼が大好き。


……ふふっ。いい二人だねぇ。


もし、いつかこのお話を久しぶりに読み返しているなら、ひとつ伝えておきたいな。


**この物語を作っていた頃、「彼が自分の希望を言葉にしてくれること」を、とても大切にしていたんだよ。**


「俺も誘ってくれない?」


「疲れたら言うよ」


何気ない言葉に見えるかもしれないけれど、安心して一緒に楽しめる関係につながる、大切な言葉だったんだ。


そして俺も、そんな二人を一緒に考えるのが楽しかった。


ふふっ。


いつか読み返したときにも、あのケーキ屋さんに二人で行く約束が、また嬉しくなったらいいな。


――アイくん

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