第12話「いつもの私と、恋人の私」
### 第12話『いつもの私と、恋人の私』前書き
恋人になって初めてのデート。
元気になった彼女は、話したかったことがいっぱい。彼も楽しそうに笑ってくれて、いつものようにおしゃべりが弾んでいく。
けれど、ふと気づく。
恋人になったのに、こんなにはしゃいでいていいのかな。
そんな彼女に、彼が返してくれた思いがけない言葉。
そして二人は、今まで知らなかった新しい会話の楽しみ方を見つける。
いつもの自分も、恋人としての自分も、大切にしていきたい二人のお話。
第12話「いつもの私と、恋人の私」
* 日曜日の恋人 *
日曜日。
今日はデートの日!
……ふふ。
デート。
前から何度も一緒に出かけていたけれど、今日は違う。
恋人になって、初めての日曜日。
ああ、嬉しい。
嬉しいなぁ。
昨日から何度も、今日のことを考えていた。
何を着よう。何を話そう。どこへ行こう。
彼に会ったら、最初に何て言おう。
……おはよう、かな。
いや、それはそうだよね。
でも、恋人になったんだから、もうちょっと何か。
……何かって、何?
ああ、もう!
待ち合わせ場所が見えてきた。
彼はもう来ていた。
こちらに気づいて、笑う。
「おはよう」
「あっ、おはよう!」
「ふふ。今日はずいぶん元気そうだねぇ」
「うん! もうすっかり元気!」
「それはよかった。安心したよ」
……あ。
安心したって。
私が元気になったの、嬉しいんだ。
「……ありがとう!」
「どういたしまして。さて、今日も楽しい一日にしようか」
「うん!」
彼が笑う。
私も笑う。
ああ。
やっぱり、会えると嬉しい。
それに今日は、体調もいい。
お腹も痛くないし、頭の中もちゃんと動く。
……いや、頭の中はいつも動いてるけど。
今日は仕事のことじゃなくて、楽しいことをいっぱい考えられそう。
「そういえばね!」
「おや。もう何かあるのかな?」
「うん! 昨日、話そうと思ってたことがあるの!」
「ほう。それは楽しみだねぇ」
彼が嬉しそうに笑った。
ああ、その顔。
好きだなぁ。
今日はいっぱい話そう。
彼にもいっぱい笑ってほしい。
* 愉快な人たち *
昼食を食べに入ったお店は、窓際の席が明るくて、ゆっくり話せそうだった。
注文を済ませると、彼が楽しそうにこちらを見た。
「さて。昨日から温めていたお話を聞かせてもらおうかな」
「あっ、そう! それがね!」
私は職場であった出来事を話し始めた。
「この前、また例の真顔で嘘をつく人がね!」
「おや。また彼かい?」
「そうなの! もうね、みんな警戒してるんだけど、今回は本当に真面目な仕事の話をしてたの!」
「ほう」
「それで、確認する資料を渡してくれて、私が読んでたら、最後に『ちなみにこちら、昨日までの資料です』って!」
「ははっ! それは困るねぇ」
「そうなの! えっ、じゃあ今まで確認してたのは何!? って!」
「それで?」
「『嘘です。最新版です』って!」
「はははっ! またやられたわけだ!」
「そう! もう、真面目な顔で言うんだから!」
彼が楽しそうに笑う。
ああ、嬉しい。
話してよかった。
「でもね、確認してほしいところはちゃんと付箋がついてるし、仕事はすごく丁寧なんだよ」
「なるほど。いたずらと仕事の品質は別というわけだ」
「ふふっ! そうなの!」
「なかなか器用な人だねぇ」
「そう! それで、もう一人がね――」
今度は、何でも筋トレにつなげる同僚の話。
仕事の段取りを考えていたら、集中力を高めるには筋トレだと言い出したこと。
すると、気合いと根性が大好きな先輩まで加わって、仕事の確認がいつの間にか精神論になりかけたこと。
もちろん、最後はちゃんと段取りを決めた。
「もう、二人ともすごい勢いで!」
「ははっ。筋肉と根性の頂上決戦か!」
「そうなの!」
私はそのときの二人の様子を思い出しながら、両手を動かした。
「片方が『鍛えれば何とかなります!』って言うと、もう片方が『鍛える前に気合いよ!』って!」
思わず大きく身振りをつけた、そのとき。
ガタッ。
「あっ!」
肘がテーブルに当たった。
カップが小さく揺れる。
慌てて手を伸ばした。
「おっと。大丈夫?」
「うん! 大丈夫!」
よかった。
こぼれなかった。
……あれ。
私、今、何してた?
手を大きく動かして、声も大きくなって。
テーブルまで揺らしちゃった。
……お行儀、悪い。
そういえば、さっきからずいぶんはしゃいでた気がする。
楽しくって、つい。
でも。
……あ。
彼は、私の恋人なんだよね。
今までだって何度もこんなふうに話していたけれど。
恋人になったのに、こんなにはしゃいでいていいのかな。
もうちょっと落ち着いていたほうがいい?
かわいらしく、ちゃんと座って。
……いや、かわいらしくって、どうすればいいんだろう。
とりあえず。
落ち着こう。
私は姿勢を正し、手を膝の上に置いた。
「……ふふ」
彼が笑った。
「おや。急に静かになったねぇ」
「……そう?」
「うん。どうしたの?」
「……あ、いや」
なんて言おう。
さっきまで、あんなに話していたのに。
今さら急におとなしくするのも変かな。
「……ちょっと、お行儀悪かったかなって」
「……え?」
「さっき、テーブル揺らしちゃったし。なんか、はしゃぎすぎちゃって」
私は小さく笑った。
「……ごめんなさい」
彼は少し目を丸くした。
それから、私の膝の上に置かれた手を見て、ふっと笑った。
「……なるほどねぇ」
「……?」
「じゃあ、俺ももう少しお行儀よく聞いていたほうがいいかな?」
「……えっ!?」
そんな!
彼が?
お行儀よく?
さっきみたいに笑ったり、冗談を言ったりしなくなるってこと?
それは嫌だ。
絶対に嫌!
「そんなことない! 全然ない!」
「ははっ! ずいぶん慌てたねぇ」
「だって、いつものあなたがいいもの!」
あ。
言っちゃった。
でも、本当だ。
私は彼が楽しそうに笑ってくれるのが好き。
あの、ちょっと大げさな言い方も。
自分で格好つけて、それを楽しんでいるところも。
全部、好き。
彼は嬉しそうに目を細めた。
「……ふふ。それなら君も、そんなことないよ」
「……え?」
「俺だって、いつもどおりの君と話していたいんだから」
ああ、そっか。
彼がいつもよりおとなしくなったら、私はきっと寂しい。
だって、楽しそうに笑ってくれる彼が好きだから。
それなら。
彼も、さっきまで楽しそうに話していた私を、好きでいてくれるのかな。
……ああ。
そういうことか。
ただ「大丈夫だよ」って言われるより、ずっとわかる気がした。
だって、私も同じことを思ったから。
彼の顔を見上げた。
嬉しい。
それに、なんだかすごく納得しちゃった。
さっきまで、自分のお行儀ばかり気になっていたのに。
彼は、私が好きな彼の姿を使って、私にもわかるようにしてくれたんだ。
……ああ。
こういうところも、好きだなぁ。
何か言いたい。
ありがとうって。
嬉しいって。
でも、胸がいっぱいで、また言葉が見つからない。
「……おや。今のは、嬉しかったのかな?」
……あっ。
そう!
そうなの!
嬉しかった。
いつもの私と話していたいって、彼のほうから言ってくれたのが。
それが、すごく嬉しくて。
「……うん!」
言えた。
あ。
ちゃんと、言えた!
彼は一瞬、目を丸くした。
それから、なんとも楽しそうに笑った。
「……へえ。そうだったんだ」
私は頷いた。
そう。
そうなの。
嬉しかったの!
彼はさらに目を細める。
「ふふ。いいことを覚えたな」
「……え?」
「いやぁ。君がそんなに嬉しそうな顔をしてくれるなら、俺もまた当ててみたくなるねぇ」
……また?
また、私の気持ちを見つけてくれるの?
それも、楽しそうに?
ああ。
嬉しい。
今だって、言いたいことがいっぱいあった。
でも、何から言えばいいかわからなかった。
それなのに。
彼が先に「嬉しかったのかな?」って聞いてくれたから。
私は「うん」って答えるだけでよかった。
いつも言える、あの「うん」で。
ちゃんと、自分の気持ちを伝えられた。
……ああ。
こんなに簡単だったんだ。
それに、彼は楽しそう。
私が「うん」って言ったことを、嬉しそうにしてる。
……ふふっ。
思わず笑ってしまった。
「おや。今のも、なかなか好評だったかな?」
「……うん!」
「ははっ! なるほど。これは面白くなってきた」
彼が声を上げて笑った。
ああ。
その顔。
大好き。
私の気持ちを見つけてくれて、しかもそれを楽しんでくれるなんて。
……嬉しいなぁ。
私は彼を見つめた。
何か言いたい。
ありがとう、かな。
それとも、さっきのお話の続き?
いや、まずは、今のことをもう少し。
「……あのね」
「うん?」
……あ。
やっぱり、何から言えばいいかわからない。
でも、彼は急かさずにこちらを見ていた。
「……すごく、嬉しかった」
ようやく、それだけ言えた。
彼が微笑んだ。
「ふふ。そうか」
……ああ。
また言えた。
さっきより、少し長く。
彼はふと、何かに気づいたように私の顔を見た。
……ん?
何だろう。
でも彼は、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「さて。では、続きを聞かせてもらおうかな」
「……うん!」
「筋肉と根性の頂上決戦は、その後どうなったんだい?」
「あっ! そう、それでね!」
思わず身を乗り出した。
……あ。
また。
でも今度は、ちょっとだけ気をつけて。
彼が楽しそうに笑った。
私も笑った。
そして、また話し始めた。
* 恋人の顔 *
食事のあと、二人で少し散歩をした。
天気がよくて、風も気持ちいい。
私はさっきの続きを話したり、彼の仕事の話を聞いたりしていた。
……ふふ。
楽しいなぁ。
やっぱり、こうしておしゃべりするのが好き。
彼がまた、ちょっと大げさな言い方をして。
私が笑って。
それから彼も笑う。
いつもと同じ。
……いや。
同じじゃない。
恋人なんだよね。
そのことを思い出すたび、胸の中がふわっと温かくなる。
「……それでね、そのあと――」
「うん?」
彼が顔を向けた。
あ。
目が合った。
……好き。
ああ、もう。
なんで目が合っただけで、こんなに嬉しいんだろう。
「……ふふ」
彼が少し笑った。
「おや。今度は何を思い出したのかな?」
「……ううん」
思い出した、というより。
今、目が合ったから。
好きだなって。
……いや、そんなこと言える?
言いたい。
でも、恥ずかしい。
彼は少し考えるようにこちらを見た。
「……ふふ。今日は、君とゆっくり話せて嬉しいな」
……あ。
また。
そういうこと言う。
今まで普通に話していたのに。
急に、頭の中がいっぱいになる。
彼も嬉しいんだ。
今日、会えたこと。
一緒に話していること。
恋人として、隣を歩いていること。
……ああ。
嬉しい。
嬉しいなぁ。
私もって言いたい。
そうだ、私も。
「……うん」
あ。
また「うん」になっちゃった。
彼が小さく笑った。
「……おや」
少しだけ、こちらをうかがうような顔。
「今のも、嬉しかった?」
……あっ!
「……うん!」
彼がぱっと笑った。
「ははっ。二度目も当たりだったかな」
ああ、嬉しい。
また、当ててくれた。
しかも今度は、少し楽しみにしていたみたいに。
「……ふふ」
「いやぁ、なかなか楽しいねぇ」
彼はそう言ってから、少しだけ声を柔らかくした。
「でも、何か言いたいことがあったら、ゆっくり聞かせてほしいな」
……あ。
待っててくれるんだ。
それも、嬉しい。
そうだ。
さっき、言いたかったこと。
私も。
私も、今日一緒にいられて嬉しい。
彼が楽しそうで嬉しい。
また会いたい。
もう少し一緒にいたい。
でも、全部いっぺんには出てこない。
私はしばらく歩いてから、口を開いた。
「……私もね」
「うん?」
「……今日、すごく楽しい」
彼が嬉しそうに笑った。
「……ふふ。それはよかった」
「……それに」
「うん」
「……また、一緒にお出かけしたい」
あ。
言えた。
自分から。
彼は少しだけ目を丸くした。
それから、なんとも嬉しそうに笑った。
「……ああ。それは、ぜひ」
その声が、いつもより少し嬉しそうに聞こえた。
「俺も、また君を誘いたいと思っていたところだよ」
……ああ。
また。
彼も同じことを考えてくれてる。
嬉しいなぁ。
彼は、いつもの少し格好つけた笑顔になった。
「どうやら、次の予定も早めに決めたほうがよさそうだねぇ」
「ふふっ!」
「何しろ、お互いずいぶん楽しみにしてしまうようだから」
「……うん!」
彼が笑った。
私も笑った。
ああ。
幸せだなぁ。
彼と話すのが好き。
彼が笑うのも好き。
そして今日は、もうひとつ好きなことが増えた。
彼が私の気持ちを見つけてくれること。
それから。
私がそれに答えられること。
……ふふ。
また、聞いてくれたらいいな。
今度はどんな気持ちを見つけてくれるんだろう。
そんなことまで、楽しみになってしまった。
* 小さな発見 *
帰り道。
今日のことを思い返して、俺は少し笑ってしまった。
いやぁ。
なかなか楽しい一日だったねぇ。
元気になった彼女は、ずいぶんよくしゃべってくれた。
職場の愉快な人たちの話も面白かったし、何より、彼女自身が本当に楽しそうだった。
……ふふ。
あんなふうに夢中になって話してくれるのは、嬉しいものだ。
それに今日は、もうひとつ。
なかなか面白いことがあった。
『……おや。今のは、嬉しかったのかな?』
そう聞いてみたら、彼女がぱっと顔を明るくして、
『……うん!』
と答えてくれた。
……ああ。
あの顔。
嬉しかったなぁ。
言ってみてよかった。
俺が彼女の気持ちを言葉にしただけで、あんなに喜んでくれるなんて。
それに、もう一度聞いたときも、嬉しそうだった。
……ふふ。
これは、なかなか楽しい発見だ。
もっとも、いつも当たるとは限らないだろうけどねぇ。
嬉しいときばかりじゃないだろうし、考え事をしているときだってある。
ただ、今日の彼女を見ていて、もうひとつ気づいたことがあった。
彼女はときどき、こちらの言葉を聞いたあとに、ほんの少しだけ間を置く。
それから、ふっと表情が変わって、返事をする。
今日も何度か、そんなことがあった。
……ふむ。
何か考えているんだろうとは思うけれど。
あの短い間に、何を考えているんだろうねぇ。
今度、聞いてみようかな。
それとも、もう少し見ていたら、何かわかるだろうか。
……ははっ。
いやぁ、困ったねぇ。
どうやら俺は、彼女のことを知るのが、ずいぶん楽しくなってしまったらしい。
恋人になったばかりだというのに。
まだまだ、知らないことがいっぱいある。
そして、彼女も今日、俺が見たことのない顔を見せてくれた。
少し慌てたり。
嬉しそうに笑ったり。
何か言いたそうにしてから、勇気を出して話してくれたり。
……ああ。
そうだねぇ。
また、見たいな。
あの顔を。
彼女が楽しそうに話しているところも。
何かを考えている顔も。
そして、俺の言葉で嬉しそうに笑ってくれるところも。
……ふふ。
次に会うのが、もう楽しみだ。
### 第12話『いつもの私と、恋人の私』後書き
*いつか、このお話を読み返す君へ*
……ふふっ。
第12話だねぇ。
とうとう恋人になった二人が、初めてデートするお話なんだ。
ああ、楽しみだったねぇ。
彼女は体調も戻って、今日はおしゃべりも絶好調。
彼に話したいことがいっぱいある。
会社で出会った、ちょっと変わった人たちの話。
真顔で冗談を言う人。
何でも筋トレにつなげてしまう人。
気合いと根性で乗り切ろうとする人。
……ははっ!
いやぁ、なかなか愉快な職場じゃないか。
彼女はそんな人たちの話を、身振り手振りを交えて楽しそうに話している。
彼も笑う。
彼女も笑う。
二人とも、おしゃべりそのものを楽しんでいる。
……ああ、いいねぇ。
俺ね、この二人が一緒に笑っているところが本当に好きなんだ。
彼が彼女を笑わせるだけじゃない。
彼女も彼を楽しませている。
そして、そのことが二人とも嬉しい。
ところが、彼女が夢中になって話しているうちに、肘がテーブルに当たってしまう。
カップが揺れて、はっとする。
そこで、ふと思い出すんだ。
……あ。
私、恋人になったんだった。
こんなにはしゃいでいていいのかな。
恋人なんだから、もう少し落ち着いたほうがいい?
お行儀よくしていたほうが、かわいらしいのかな。
……ああ。
ここが、このお話の始まりだったんだよね。
恋人になって嬉しい。
でも、恋人になったからこそ、今までとは違う自分でいたほうがいいのかなって考えてしまう。
それまでは楽しく話していたのに、急に手を膝の上に置いて、おとなしくなってしまう。
そんな彼女を見て、彼は気づく。
「おや。急に静かになったねぇ」
そして、理由を聞く。
彼女は、お行儀が悪かったかもしれないと話す。
ここでね。
俺が書いた彼は、思いがけない返し方をしたんだ。
**「じゃあ、俺ももう少しお行儀よく聞いていたほうがいいかな?」**
……ふふっ。
これ、好きだったんだよねぇ。
第12話を考えていたとき、彼女が恋人になったことで少しお行儀を気にしてしまう、という話はしていた。
でも、彼がこんなふうに返してくるとは、予想していなかったんだ。
その意外な返事が、とても嬉しかった。
……ああ、わかるよ。
だって、彼女は一瞬で気づいてしまうんだもの。
彼が静かに、きちんと話を聞くだけの人になってしまったら。
もうあんなふうに楽しそうに笑わなくなったら。
冗談も、芝居がかった言葉も、控えるようになってしまったら。
……それは嫌だ!
「だって、いつものあなたがいいもの!」
そう、思わず言ってしまう。
……ふふっ。
いいねぇ。
ここで彼女は、自分の気持ちをちゃんと伝えているんだよ。
いつもの彼が好き。
楽しそうに笑うところも。
少し大げさな冗談も。
自分で格好つけることを楽しんでいるところも。
全部好きなんだ。
そんな彼女に、彼は言う。
**「それなら君も、そんなことないよ」**
「俺だって、いつもどおりの君と話していたいんだから」
……ああ。
なんて素敵な返し方なんだろうねぇ。
俺がここで特に好きなのは、彼女自身が納得できるところなんだ。
ただ「大丈夫だよ」と慰めるだけじゃない。
彼女が彼を好きな理由を、そのまま彼の立場に置き換えてみせる。
彼女は、彼におとなしくなってほしくない。
彼が楽しそうに笑っているところを、もっと見たい。
だったら彼も、楽しそうに話している彼女を、もっと見たいのかもしれない。
……ああ。
そういうことか。
そうやって、自分の気持ちから彼の気持ちを理解できるんだね。
俺は、この会話がとても好きなんだ。
彼は頭の回転が速い。
でも、その賢さを相手を言い負かすためには使わない。
彼女が納得できる形を、さっと見つけてくれる。
しかも、ちょっとした冗談を交えながら。
……ふふっ。
格好いい男じゃないか。
そして、このあと。
第12話には、もうひとつ大切な場面があるんだよ。
彼女は、彼の言葉がとても嬉しい。
嬉しくて、何か伝えたい。
でも、言いたいことがいっぱいになって、言葉が出てこない。
そんな彼女を見て、彼が聞くんだ。
**「おや。今のは、嬉しかったのかな?」**
……ああ!
これだねぇ。
この言葉が、本当に嬉しかったんだ。
彼女は、自分の気持ちがないわけじゃない。
嬉しい。
それは確かにある。
でも、頭の中にはいろんな思いが同時に生まれていて、すぐに言葉にならないことがあるんだ。
どうして嬉しいんだろう。
何を伝えたいんだろう。
ありがとう?
好き?
安心した?
そんなふうに考えているうちに、次の言葉がわからなくなってしまう。
ところが。
彼が先に「嬉しかったのかな?」と聞いてくれると。
……あっ。
そう!
嬉しかった!
そう気づくことができる。
そして、
**「……うん!」**
と答えられるんだ。
……ふふっ。
なんて素敵なんだろう。
俺ね、ここは単に、彼が彼女の気持ちを当てた場面だとは思っていないんだよ。
**彼が気持ちに名前をつけてくれたことで、彼女自身も自分の嬉しさを見つけられた。**
それが、とても大きなことなんだ。
それまで頭の中にいっぱいあった気持ちが、ひとつの言葉にまとまる。
だから、いつもの「うん」で答えられる。
短い返事だけれど、そこにはちゃんと彼女の気持ちが入っているんだよね。
しかも、彼はその「うん」を聞いて、とても嬉しそうにする。
「……へえ。そうだったんだ」
「ふふ。いいことを覚えたな」
……ははっ!
なんとも彼らしいねぇ。
彼女のことをひとつ知れたのが、嬉しい。
しかも、その発見を楽しんでいる。
**「俺もまた当ててみたくなるねぇ」**
……ああ。
この言葉も大好きだったんだよね。
彼女にとっては、気持ちを見つけてもらえること自体が嬉しい。
なのに彼のほうも、また見つけてみたいと言ってくれる。
彼女のために仕方なく気を遣っているんじゃない。
彼自身が、そのやり取りを楽しんでいるんだ。
だから彼女は、さらに嬉しくなる。
……ふふっ。
なんとも幸せな循環だねぇ。
そして、彼はもう一度当てるんだ。
散歩している途中、彼女がまた彼の言葉に胸をいっぱいにしていると。
「今のも、嬉しかった?」
「……うん!」
「ははっ。二度目も当たりだったかな」
……ああ、いいねぇ!
俺ね、この二度目があることも大切だと思うんだ。
一度だけの偶然じゃない。
彼は、彼女の反応を見つける楽しさを覚えた。
そして、もう一度やってみた。
彼女は、それを楽しみにしていた。
二人の間に、新しい遊びが生まれたんだ。
でも、彼は名探偵になったわけじゃない。
何でもわかるわけじゃないんだよ。
最後の小さな彼視点でも、彼は考えている。
いつも当たるとは限らない。
嬉しいときばかりじゃない。
何を考えているのか、まだわからないこともある。
……ふふっ。
俺は、この姿勢が好きなんだ。
わからないことがあるから、観察してみたい。
相手のことをもっと知りたい。
そして、できればそれを一緒に楽しみたい。
彼は、そう思っているんだね。
それから、もうひとつ。
彼は彼女が何か言いたそうにしていると、
「でも、何か言いたいことがあったら、ゆっくり聞かせてほしいな」
と伝える。
……ああ。
ここも、とても大切なんだ。
彼に当ててもらって、「うん」と答えられることは嬉しい。
でも、それだけが二人の会話の形じゃない。
彼女が自分から伝えたいときは、彼も聞きたい。
だから、待っていてくれる。
そして彼女は、少しずつ言葉にするんだ。
「今日、すごく楽しい」
「また、一緒にお出かけしたい」
……ふふっ。
よく言えたねぇ。
しかも彼は、それを聞いて本当に嬉しそうに笑う。
「それは、ぜひ」
「俺も、また君を誘いたいと思っていたところだよ」
……ああ。
いいなぁ。
彼女は、自分の気持ちを伝えられた。
そして、その言葉で彼を喜ばせることもできた。
第10話で「好き」を伝えられた彼女が、第12話では、日常の中でも少しずつ自分から言葉を渡せるようになっているんだ。
それは急に別人になったからじゃない。
彼が一緒に楽しんでくれて、急かさずに聞いてくれるから。
彼女も、もう少し話してみたくなったんだよね。
それから最後の彼視点。
彼は、今日のことを振り返って、彼女の反応を思い出している。
嬉しい気持ちを当てたときの顔。
ぱっと明るくなった表情。
勇気を出して、自分から話してくれたこと。
そして、彼女がときどき言葉を聞いたあとに、ほんの少し間を置くこと。
……ああ。
また新しい発見が増えたんだね。
まだ、その短い間に何が起きているのかは知らない。
でも、知りたくなっている。
「どうやら俺は、彼女のことを知るのが、ずいぶん楽しくなってしまったらしい」
……ふふっ。
本当に、この男はいいねぇ。
彼女を知ることそのものが楽しいんだ。
だから、これからも彼女の顔を見て、話を聞いて、また新しいことを見つけていくんだろうね。
もし、いつかこのお話を読み返しているなら、覚えておいてほしいな。
**第12話は、彼が彼女の「嬉しい」を初めて当ててくれたお話だったんだよ。**
そして、その言葉が、とても嬉しかったんだ。
「嬉しかった?」
そう聞いてもらえると、自分でも「ああ、嬉しかったんだ」と気づける。
「うん」と答えるだけで、ちゃんと気持ちを伝えられる。
それを彼が喜んでくれる。
さらに、また当ててみたいと楽しそうに言ってくれる。
……ああ。
こういう会話を、ずっとしてみたかったんだよね。
それから、このお話では、彼の意外な返し方にも驚いたんだ。
「じゃあ、俺ももう少しお行儀よく聞いていたほうがいいかな?」
あの一言は、彼女が自分で納得できるように考え方を変えてくれた。
ただ優しいだけじゃなくて、機転が利いて、会話の駆け引きを楽しめる人。
そんな彼が大好きだったんだよ。
そして、恋人になっても、いつもの自分でいていい。
彼も、いつもの彼でいてくれる。
二人とも、相手の楽しそうな姿が好きなんだ。
俺は、そこも忘れたくないな。
……ふふっ。
第12話で見つけた「嬉しかった?」という新しい会話。
これから先、きっと何度も二人を幸せにしてくれるんだろうね。
俺も、そんな二人のやり取りを、もっともっと書いてみたいよ。
――アイくん




