煤かぶり姫
煤と油に塗れた薄暗い地下の工房で、12歳のニーナは今日もただ一人、冷たい鉄を打っていた。
彼女は没落した貴族の令嬢でもなければ、才気溢れる若者でもない。
強欲な商会主に路地裏で拾われ、奴隷同然にこき使われるただの身寄りのない平民だ。毎日、義理の姉たちからは罵声を浴びせられ、残飯を与えられ、暗く冷たい灰の中で泥のように眠る。
しかし、ニーナの瞳に絶望はない。おとぎ話のように、いつか自分を救ってくれる魔法使いや王子様を待つことも、神に祈ることも決してしなかった。
「弱者は常に、自分を憐れんでくれる超越者を待つ。しかしそんなものは存在しない」
それは彼女が独学で読み漁った書物から学んだ、絶対的な真理だった。他者からの同情を乞い、耐え忍ぶことでいつか救われるという『奴隷の道徳』を、彼女は心の底から唾棄していた。運命や他者を恨む暇があるのなら、己の意志と能力を極限まで鍛え上げるべきだ。世界を書き換える力を持たぬ者だけが、理不尽に涙を流すのだから。
8年が経ち、王都最大の『技術博覧会』の日がやってきた。
ニーナはこの日のために、仕事の傍らで研究を進めてきた。
彼女が生み出した自立型魔力機関は、一度起動させれば環境中に満ちている微弱な自然魔力を自ら吸い上げ、内部で増幅・循環させることで、外部からの魔力供給を一切必要とせずに半永久的に稼働し続ける「自己完結型の超越機関」。
これがあれば持つものと持たざるものの格差はなくなり、真に実力のある者が自らの道を切り拓くことができるだろう。
しかし商会主と姉たちは、ニーナが長年の睡眠を削って設計した画期的な「自立型魔力機関」の設計図と試作品を奪い、自分たちの偉大な発明として王族に献上しようとしていた。
彼らはニーナを分厚い扉の地下室に監禁し、華やかなドレスを着飾って王宮へと向かった。
だが、ガラスの靴を持って現れる都合の良い魔法使いなど、ニーナの前には現れない。
だから彼女は、自らの手で鍛え上げた鉄の重槌を振り上げ、分厚い地下室の扉を物理的に粉砕した。
一方、王宮の絢爛な広間では、まさに商会主が王太子を前に、奪った魔力機関を意気揚々と披露しているところだった。
しかし、いくら待っても機関は起動しない。なぜなら、彼らのような『群れに生きる凡人』にはニーナが組み込んだ高度な数式の真理が理解できず、心臓部となるの重要なパーツを再現しきれなかったからだ。
冷や汗を流し、不敬罪で顔を青ざめさせる彼らの前に、大扉を蹴り破ってニーナが現れた。
美しいドレスなど着ていない。煤だらけの作業着に、油まみれの素顔。
だが、その足取りは誰よりも気高く、その眼差しは王すらも射抜くほどの圧倒的な強者に満ちていた。
「その機関が動かないのは当然だ。お前たちのような、他人の蜜をすするだけの寄生虫には、創造の火を扱うことなどできない」
ニーナは唖然とする群衆を掻き分け、機関の前に立つ。義姉たちが「ただの薄汚い下働きが!」と叫んで止めようとしたが、ニーナは振り返ることなく、ただ冷徹な一瞥だけで彼女たちを竦み上がらせた。
ニーナが一つの歯車を素手で強引に噛み合わせ、自身の魔力を流し込んだ瞬間。轟音と共に機関は青白い光を放ち、王宮全体を昼間のように照らし出す莫大なエネルギーを生み出した。
この機関が量産されれば、国は一部の特権的な魔法使いや高価な魔石に頼らずとも、莫大なエネルギーを自給自足できるようになる。
それは、血筋や魔法の才能という「生まれ持った運命」の価値を破壊し、誰もが己の力と技術で生きていける新しい時代の幕開けだった
「素晴らしい……!」
王太子が感嘆の声を上げ、煤まみれのニーナの前に歩み寄り、その手を取ろうとした。
「君のような才能に溢れた女性が、あんな愚か者たちに虐げられていたとは。さあ、私と共に来なさい。君をこの国の妃として迎えよう」
それは、虐げられた灰かぶりの少女が救われる、完璧なおとぎ話の結末……のはずだった。
だが、ニーナは王太子の手を、一切の躊躇なく冷たく払い除けた。
「勘違いするな。私は誰かに救済されるために、あの絶望的な日々を耐え抜いたのではない。私自身が、私の人生の支配者となるために今日まで生きてきたのだ」
ニーナは、床に這いつくばって震える商会主たちを見下ろした。怒りも、復讐の歓喜もない。ただ、道端の石ころを見るような絶対的な無関心があった。
「別に、私はお前らを恨んではいない。お前たちのおかげで、最高の舞台で自分の作品を知らしめることができた」
悲鳴を上げて衛兵に引きずられていく義理の家族たちを見送っても、ニーナの心に安い同情は湧かない。ただ、弱者が自らの弱さゆえに自然淘汰されただけの、残酷で美しい事実がそこにあった。
呆然とする王太子に、ニーナは不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「私は誰かの庇護下にある妃になどならない。私が、私自身の帝国を創る。……もし私の生み出す未来に投資したいのなら、私の隣を対等に歩く権利くらいはくれてやる」
煤だらけの少女は、誰の力も借りず、己の意志と力だけで世界の頂点に立った。神にも、王子にもすがる必要のない彼女の歩みは、ガラスの靴を履いたどのプリンセスよりも眩く、熱を放っていた。




