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98.父

 馬蹄音が2箇所から近付いて来た。一方は王国騎士の方から、一方は右から。先に着いたのは右から来た馬だった。



「ぎりぎり間に合ったな」



 その声と同時に地面に足をつけたのは大きな影。シルヴァンだった。



「シルヴァン様、どこにいたの?」



 野営地に着いた時から姿を見ていなかった。すっかり存在も忘れていたところだ。



「ちょっと野暮用でな」



 シルヴァンはそう言うと馬をポンポンと2回叩く。馬は鼻を鳴らすとどこかへ駆けて行った。そしてもう一つの馬蹄音もすぐそこで止まった。深く呼吸をして、そちらを向く。


 きらりと太陽が眩く光る。目を細めて見たそこには、馬から降りる父と2人の騎士の姿があった。厳しく、冷たい表情。ラフィーナには怒っているように見えた。



「お父様……」



 声が勝手に出た。ずっと会いたいと思っていた父。かつて世界の全てだった父。愛する父。すぐそこにいる。


 言葉では言い表せない何かが込み上げる。温かく、冷たく、静かで、ざわつく何か。手のひらから汗が噴き出て、それを誤魔化すようにぎゅっと握った。少しだけ、吐き気がした。


 父はラフィーナを見るなりくしゃりと笑った。先程までの冷たさも厳しさも欠片も残さずに。



「ラフィーナ、会いたかったよ」



 胸がざわりとした。自分の心は今何を思っているのだろう。怖くて、悲しくて、今すぐにここから逃げ出したい。だけどそこには確かに嬉しさもあるのだ。



「わたくしも、会いたかったわ……」



 声が震えた。思わず駆け寄ろうと地面を蹴って、2歩進んで、足を止めた。父の目が訝しげにラフィーナを見る。だがそれはすぐに笑顔に消えた。



「ラフィーナ、迎えに来たよ。遅くなったことを怒っているのか? お父様が悪かったよ。さあ、お前の離宮へ帰ろう」



 柔らかな声。あの時と同じ、愛しい父の声。涙が込み上げた。だがそれがこぼれる前に袖で拭う。足は動かない。ジリジリと焼かれる頬が痛い。



「そうだ、成人したのだったな。お祝いは何がいい? 何でもやろう」



 眩しさに細めた目に見える父の笑顔。まるで貼り付けたような笑顔。いつかのパーティーの時の貴族達のような……でもお父様の笑顔だわ、と思う。今までと変わらない笑顔。変わったのは自分の方。



「きっと、わたくしが気が付かなかっただけ」



 ポツリと落ちた呟きは父の耳には届かなかったのか、父は更に言葉を重ねた。



「ラフィーナ、寂しかっただろう。お父様が抱き締めてやろう。さあ、おいで」



 広げられた腕。以前だったら迷わず飛び込んでいた。ラフィーナは微笑みを浮かべた。何も知らなかった。何も分からなかった。そう育てられたから。



「……何故お前はそこに立っている。何故お前は帝国の者と一緒にいる!」



 動かないラフィーナに父はとうとう苛立ちを隠さずに言った。握った拳が震えているのが見えた。



「お前の兄はその女に殺されたんだぞ!」



 一瞬、頭が真っ白になった。兄が殺された? その女……? 父の指さす先を辿るとルイーズがいた。ルイーズは淡く微笑む。肯定だとすぐに分かった。



「我が国は世継ぎを失った! 次はお前が産むんだ、ラフィーナ。いい男を何人でも選んでやる。お前はあの離宮で子を産んで育てれば良いのだ……! どうだ、子に囲まれて暮らせるのだ。幸せだろう?」


「子を産んで育てるだけが幸せか?」



 不意に挟まれた声に皆の視線がそちらへ向いた。シルヴァンがふんっと鼻で笑い、見下すように父を見ていた。



「子に囲まれた生活が幸せか? あの閉じられた離宮で? 子を産む道具にさせるのか? 魔法を遺伝させる為に?」



 父は顔を真っ赤にしてシルヴァンを見ると、大きな声で言った。



「シルヴァン……! 何故お前がそこにいる! そうか! お前だな! ラフィーナの存在を帝国へ流したのは! その為に娘を侍女にしたのか! 王国の裏切り者め!」



 先ほどラフィーナへ向けていた笑顔はもうない。腰の剣がシャラリと抜かれた。



「フェルナード家は大人しく傍観しておけばいいものを! 四大名家にまでしてやった恩を忘れたか!」


「残念だが恩などない。我らはただ静かに暮らしたいだけ。権力を求めるお前とは違うのだ。それを利用しようとして勝手に四大名家にしたのは誰だ?」



 ぐ、と父が言葉に詰まる。シルヴァンは更に言う。



「それにな、フェルナード家の当主とは総じてフェルナードらしくない人間なんだ。何故か分かるか? フェルナードらしい人間はそんな面倒なことができる性分じゃないんだ。つまり俺はらしくない方ってことだ。傍観するだけは趣味じゃない」



 にかっと笑ったシルヴァンは父の手の抜き身の剣にも動じていない。父は更に言葉を発しようと勢いよく息を吸う。しかし先にクレイトスが前へ出た。腰の剣に手が添えられている。空気がピリッとして、父の横に立っていた騎士2人も前へ出る。



「剣をお納めください。ラフィーナ様は対話を望んでおられます」



 ぞくりとするほど冷たい声だった。前にいるからその顔は見えない。だけどいつか見た、クレイトスの怒った顔を思い出した。



「ドラウゼン王、その男は騎士ではないものの、我が国で三つの指に入るほどの実力を持っています。頭と胴が繋がっていたければ大人しく剣を納めたほうがよろしいかと」



 ルイーズが言った。しかし父は動じない。



「それがどうした。斬られる前に斬ってやるわ」



 空気が張り詰める。太陽が照りつけて熱いはずなのに鳥肌がたった。少しして、父は剣を納めた。クレイトスもそれを見て剣から手を離し下がった。騎士も下がる。ほっとして、自分が緊張していたことに気が付いた。



「お父様、わたくしはお父様を愛しているわ」



 言葉にして違和感はなかった。それが自分の本心。父の顔にまた笑顔が戻った。



「ああ、私もだよ。ラフィーナ、愛している。だからお父様と一緒に帰ろう」



 これには違和感がある。自分の心に疑念が燻っているからだろうか。こくりと唾を飲み込んだ。喉が渇いて仕方がない。



「お父様が……」



 掠れていた。もう一度喉に力を入れる。



「お父様が愛しているのはわたくし?」


「それはもち」


「それともわたくしの魔法?」



 父の言葉を遮ったのは初めてだった。いや、そもそも父とこんなにも話をするのも初めてかもしれない。いつも自分が喋って、父は相槌を打つだけだった。


 ラフィーナは答えを待ってじっとその顔を見つめた。

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