90.予言
「クレイトス、賊だ!」
突如、外から聞こえた声。シルヴァン様だわ、と思うと同時にクレイトスが立ち上がり、足元に置いていた剣を手に取った。そして窓の外を一瞬だけ見る。
「問題ありません。そのまま走り抜け、先の村でお待ちください」
「おう」
「すみません、ラフィーナ様。扉が開いたままになります。お立ちにならないようお願いします。村までそう遠くないはずですので」
そう言うとクレイトスはラフィーナの返事を待たずに扉を開け、一向に速度を緩めない馬車から跳んだ。これは前にも見たことがある。初めて会った時。あの時は分からなかったけど今なら分かる。走る馬車から飛び降りるなど危険行為だ。
慌てて立ち上がったラフィーナは開いたままの扉から後ろを見た。風に髪が暴れる。それを手で押さえ、目を凝らすと人が乗った馬が数頭遠くに見えた。その中に戦うクレイトスの姿も見える。もう既に随分と遠いし、どんどん小さくなるが間違いない。
改めてクレイトスの身体能力の高さに驚いた。
馬車が止まると、開いたままだった扉からシルヴァンが顔を出した。
「ラフィーナ様、ご気分はいかがですか?」
それに続いてチュンチュン、と可愛らしい声も聞こえた。よく見るとシルヴァンの肩に小鳥が乗っている。
「今、少しだけ気分が良くなったわ」
意識して笑みを浮かべると、シルヴァンは「そうですか」と破顔した。小鳥が忙しく羽ばたき、ラフィーナの膝の上に着地する。自身の上で小さく飛び跳ねる姿を見て、少しだけ頬が緩んだ。
「馬車で入るには小さな村です。何もないかもしれませんが、降りますか?」
ラフィーナは、いいえ、と小さく首を振った。そんな気分ではない。シルヴァンはそれを見ると馬車へと乗り込んだ。扉を閉める大きな体を眺める。急に馬車が小さくなったような錯覚があった。
「クレイトスは大丈夫かしら……?」
ラフィーナの小さな呟きに、シルヴァンは座りながら大きな声で笑った。
「ははは! 走る馬車から飛び降りて平気な奴があの程度で何かあるわけありません」
その明るい声に、豪快な笑いに、少し心が軽くなる。
「やっぱり馬車から飛び降りるのは危ないのね」
出たのはそんな言葉だった。シルヴァンはまた笑う。
「もちろんです。真似してはいけませんよ」
「しないわ」
ふっと笑みが漏れた。
「でしたらよかったです」
笑うシルヴァンを見ていると、なにか違和感があった。自分と話をする時とイリスと話をする時、印象が違う。ああ、と思う。分かった。
「シルヴァン様は敬語でない方が素敵だわ」
快活なシルヴァン。イリスと話す時のシルヴァンの方がいい。敬語だと距離を感じる。
「だったら普通に話をさせてもらおう」
「ええ、そっちの方がいいわ」
静かな空間で黙っているよりも誰かと話していた方が気が紛れる。膝の上で遊ぶ小鳥。跳ねる様に少しだけ頬が緩んだ。
「ラフィーナ様はこの先へ行き、どうするおつもりか?」
「え……?」
シルヴァンらしくない、静かな問いだった。下げていた視線を上げると、シルヴァンの深い瞳が見えた。
「ネストル様がおられるのは戦場。ラフィーナ様は何の為にそこへ行く?」
シルヴァンの目がラフィーナの瞳を覗き込む。ただネストルに会いたいだけ。それ以外の答えが必要なのだろうか。
「ネストル様にお会いするだけ?」
目が逸らせない。シルヴァンの瞳に心が吸い込まれたようだ。
「ラフィーナ様は戦場で何をなされる?」
戦場で、何を……? 分からない。そんなこと考えもしなかった。何かをしないといけない? 自分は何を求められている? そう、まるで何かを期待されているような言い方。
「その通り。期待されている。王国でラフィーナ様がなんと呼ばれているか、ご存知か?」
「王国で……? 分からないわ」
ラフィーナは王国をほとんど知らない。歴史を少しクレイトスに教えてもらったが、ラフィーナが体感して知っている王国といえばあの離宮のみ。故に何も知らない。
「古の予言の時が近付いている」
イニシエノヨゲン……? すぐさま理解することができず首を傾げると、シルヴァンは「古くから伝わる言葉です」と言い換えた。それで「古の予言」だと理解した。
「王国暦980年、太陽の季、銀の乙女が王国を救う」
ラフィーナはパチパチ、と瞬きをした。それが予言? 少し抽象的すぎるのではないか? 救うとは何から?
「予言とは得てしてそのようなものだ。建国の頃からの予言。あまりにも具体的だとかえって信憑性が下がるというもの」
シルヴァンはそう言って笑った。
「王国暦980年は今年。太陽の季とは恐らく今の頃のことだろう。そして銀の乙女とは、ラフィーナ様のこと」
突然の名指しにラフィーナの思考は一瞬停止した。ゆっくりと視線を落とす。胸に垂れた銀色の髪が見えた。それを摘んで少し持ち上げる。銀色の髪だから銀の乙女?
「そう」
シルヴァンが頷く。
「どうしてわたくしなの? タリア様だって銀色の髪だわ」
少し黒味がかってはいるが、銀色には違いない。探せば他にも銀の髪を持つ人が見つかるかもしれない。自分だと決めつけるには早いのでは?
「ラフィーナ様がこの世に生を受けた春の日、動物は囁き、植物は花を咲かせ、風は踊り、世界の全てが祝福していた。ラフィーナ様が銀の乙女で間違いない」
真っ直ぐな目は片時もラフィーナから逸らされない。ラフィーナは深い色を見せるその目から逃れたくなった。しかし狭い馬車の中。どうにもできない。
信じられない。いきなりそんなことを言われても。だけどシルヴァンの目は真っ直ぐで、それが嘘ではないことはラフィーナにも分かった。
膝の上で軽やかな重みが跳びまわる。
「王国の人間はラフィーナ様の存在を知らない。故に銀の乙女の予言もどこかで馬鹿にしている節もある。それでも救いを求めている者は、ラフィーナ様の姿をその目にすればすぐに予言を思い出すことだろう」
「無理よ」
小さな声しか出なかった。
自分は何も知らない。王国のことはおろか、自分のことすらも碌に分からない。それなのに救うなんてできるわけがない。
救いとは何? 何から王国を救うと言うの?
「それは誰にも分からない。予言が現実になったとして、その先にどんな未来があるかも」
シルヴァンの言葉に、ラフィーナは目を丸くした。
自分は言葉にしていた? どうして会話が成り立っている? 思えば先ほどからそうだった。口にしていない言葉すらもシルヴァンには聞こえているような。
シルヴァンは口元に笑みを浮かべる。
「俺の魔法では動物と意思疎通ができる。人間も例外ではない。もちろん、拒まれるとそれもできないが」
ああ、そうか。それで喋ることのできないイリスと意思を交わしていたのか。そう思った時、「そうだ」とシルヴァンは頷いた。
便利だわ、と思う。言葉にせずとも感じただけで伝わるとは。ラフィーナが驚いていると、シルヴァンはふっと笑った。
「本来はこんなにも便利なものではない。ラフィーナ様のお心はあまりにも無防備であらせられる。まるで生まれたての赤子のようだ」
「そうなのかしら」
自分では全くわからない。
「嫌なら俺から目を逸らせばいい。目を見なければ魔法を使えないからな」
シルヴァンはそう言うと立ち上がり、扉を開けた。いつからいたのか、そこにはクレイトスが立っていた。




