87.2冊の本
容赦のない太陽が降り注ぐ。眼下の街が焼かれて揺らめく。窓越しにも熱を感じる。
「ネストル様……」
こんなにも暑くて大丈夫だろうか。命を奪う場で、太陽に、剣に倒れていないだろうか。ネストルが発ってから毎日毎日同じことを祈る。
ーーどうかネストル様が無事にわたくしの元へ帰って来るように。
ただ、ただ、祈ることしかできない。
窓の外を眺め、ひたすらに祈っていると、扉が勢いよく開いた。あまりに突然のことだったのでびくりと体が跳ね、ラフィーナも勢いよく振り返った。
『姉さま! これ見て! 最高だから!』
タリアが飛び込むように入ってきた。口元が緩み、気分が高揚しているよう。目を丸くするラフィーナを気にせず、タリアは当たり前のように椅子に座り、テーブルに何かを置いた。
驚きで停止していた思考が戻る。ラフィーナは微笑みを浮かべ、「なあに?」と首を傾げながらそちらへと移動した。テーブルの上に置かれていたのは2冊の本だった。
『銀の誓い』
『陽光の約束』
書かれた文字に目を滑らせる。何の本かしら?
『昨日から皆の間に出回ってるらしいんだけど』
タリアは緩んだ口元を引き締めようとしているのか、唇が不自然に歪んでいた。
『兄さまと姉さまの本だよ。こっちがエリオス兄さま、こっちがネストル兄さま』
そう言ってタリアは『陽光の約束』と『銀の誓い』を順番に指した。
『噂になるとは思ってたし、実際噂にもなってたんだけど、まさか本まで出てくるとは思わなかったなぁ』
ラフィーナは『陽光の約束』を手に取り、適当なページを開いた。
“陽光が降り注ぐ中、皇帝エリオンは馬上から身を傾けた。伸びた手の先には皇后であるルイシアがいる。
柔らかな風が吹き抜け、光が2人を結び、手が重なる。
『ルイシア、僕は家柄や魔力で君を選んだのではない。君の光が僕を照らし、僕も君を照らしたいと思ったからだ』
ルイシアは大きく目を見開いた。周囲の視線など2人には関係なかった。彼らの目には互いの姿しか映さない。
『子供などなくてもいい。僕が望むのは君だけだ。だから君は僕の隣にいなければならない。何があろうと絶対に帰って来なさい』
夏の太陽のような熱を帯びた声。ルイシアの瞳が揺れた。
『エリオン様……』
『この僕に約束をくれるかい?』
それは温かく、太陽の微笑みだった。ルイシアはエリオンの手を握り返し、涙を流しながら笑みを浮かべる。
『はい、エリオン様。お約束いたします』
地に落ちた濃い影がゆっくりと重なった。”
さっと目を通した文に、ラフィーナは目を丸くした。名前が変えられているけれど、確かにエリオスとルイーズの印象がある。
『これは……あの日のことかしら? ネストル様とルイーズ様が出発されたあの日の……?』
『そうそう、あっちも見てた人がいたらしくて。言い方はともかく、エリオス兄さまが言いそうなことではあるよね』
『“君の光が僕を照らし、僕も君を照らしたいと思ったからだ”……』
一部を抜粋して読み上げる。ここはどういう意味なのだろう。タリアは『それはね』とラフィーナを見た。
『好き、とか愛してる、とか、そんな感じだよ。多分兄さま、僕が君を愛しているからだ、って言ったんじゃないかな』
愛してるって本で書くのは下品なんだって、とタリアは言った。よく分からないけどそういうものなのだろう。ラフィーナは本を置いて立ち上がり、茶器へと手を伸ばした。
『それより、面白いのはこっちだよ』
そんな声が背中から聞こえ、お茶の抽出を待つ間に振り返る。タリアはパラパラ、と本を最後の方まで一気にめくる。そしてわざとらしいまでに荘厳な声で朗読を始めた。
“戦場で勝利を収めたネスティオは騎士も兵も責任も全てを投げ出して、一人馬で駆けた。帝都で待つラフィリアの為に。ラフィリアが早く帰ることを望むから。
いや、そんなものは言い訳だ。私は一刻も早くラフィリアに会いたい。会って、抱き締めたい。早く、早くーー。
食事も睡眠も最低限。時間を惜しんで何日も駆け、ネスティオは帝都へと帰って来た。皇帝である兄の元へ行かなければならない。汗と砂で汚れた服を着替えなければならない。だがそんなことどうでもいい。
ネスティオは走る。ラフィリアの元へ。ただ走る。そして見つけた。中庭。太陽の光を浴びて輝く銀色の髪。小鳥と戯れる優しい微笑み。愛する女性を視界に入れた途端、ネスティオの目からは涙があふれた。
安堵か、喜びか、愛しさかーー。
『ラフィリア!』
名を呼ぶと同時にネスティオはラフィリアを抱き締めた。
『え……?』
突然抱き締められたラフィリアは大きな目をさらに見開いた。
『ネ、ネスティオ様……?』
『ああ、戻った。心配をかけた。待たせて悪かった』
ラフィリアの目から涙がこぼれた。ネスティオの背中へ回った手は震えている。
『だが、誓いは果たした。お前の心はお前のものだ』
『ええ、ずっと、ずっと、信じておりました』
ネスティオもラフィリアも涙を流しながら、人目も憚らずに抱き合う。
『愛している、ラフィリア。もう離れない』
『わたくしも愛しております、ネスティオ様。もうどこにも行かないでくださいませ』
2人の銀色が太陽の下で混じり合った”




