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82.銀の涙

 お腹が満たされた頃、ラフィーナは言った。



「また戦争が始まるとシメオン様は言ったわ」



 ネストルは表情を全く変えずに頷く。どうやらこのことを知っていたようだ。



「止められないの?」


「無理だ」


「どうすれば終わるの?」


「決着がつけば」



 淡々と答えるネストル。ラフィーナは心臓がバクバクするのを聞きながら、口から言葉を絞り出した。



「決着は、どうすればつくの?」



 ネストルが眉間に皺を寄せる。探るような目つきに、ラフィーナは目を逸らした。



「……前回は、俺と兄上とタリアが三方から崩して王国側の将をとった。次はどうなるか分からん」



 予想していた答えとは違い、密かに胸を撫で下ろす。ネストルは眉をひそめてラフィーナを見つめる。



「ネストル様達が戦うの?」


「戦場において魔法は強力だ。混乱を起こすことができればそれだけで勝率が上がる。だが反対する貴族を押し退けてやったことだ。もう同じことはできぬ」


「そうなのね……」



 ほっとした。ネストル達が戦場へ赴くなど考えたくもない。


 しかしやはり胸に重くのしかかるものは消えない。少しの沈黙が降りる。口の乾きをお茶で誤魔化し、ラフィーナはゆっくりと口を開いた。



「お父様が……」



 聞きたくないのなら聞かなければいいのに。自分でもそう思ったが、聞かずにはいられなかった。



「お父様が死ねば、戦争は起こらないの?」



 ネストルの目は見られなかった。鋭い視線を感じる。自分が今何を考えているのかよく分からなかった。



「……お前の父親が死んでも誰かが代わるだけだ。戦争はなくならぬ」


「それなら、」



 これを口に出せばネストルはどんな顔をするのだろうか。自分はどんな顔で言うのだろうか。膝の上に置いた手が震えた。



「わ、わたくしが、死ねば……?」



 シメオンの話を聞いた時から思っていた。ミルヴェンの魔法を継承しているのが自分だけなら、自分がいなくなれば戦の種はなくなるのではないか。


 恐る恐る顔を上げると、ネストルは大きく目を見開いていた。すぐにラフィーナを睨む。



「どういうつもりだ」



 低い声。明らかな怒りを含んだその声に胃の辺りがジクリと痛んだ。



「せ、戦争はたくさんの人が死ぬのでしょう……?」



 声が掠れた。手を握り締めたが、震えが止まらない。



「わたくしが死んで、それがなくなるなら、」



 途端、目の前が反転した。木々の隙間に太陽がキラリと光る。と思えば背中と後頭部に少しの衝撃があった。何が起こったのか分からず、胸に感じる圧迫感と、視界に入るネストルの銀の輝きに呆然とした。少しして押されて後ろに倒れたのだ、と理解した。



「自分が何を言っているのか、分かっているか」



 唸るような声。胸元を掴むネストルの手に圧迫され、ラフィーナは意識して息を吸った。歯を噛み締め、何かを堪えるような顔。自分を睨む目に怒りが燃えている。前にもこんなことがあった。


 自分が何を言ったのかは理解している。それはあまり口に出すべきでないと分かっていた。だけど、ネストルがこんなにも怒るとは思わなかった。



「わたくしが、死ねば、ミ、ルヴェンの魔法はな、くなるのでしょ……?」



 苦しさに喘ぎながらなんとか絞り出した声は小さかった。胸に更に圧がかかり、ネストルの顔が近付く。



「ぅ、……」



 声が出ない。息をするのがやっと。しかしネストルは力を緩めない。



「お前は死を望むのか……! 顔も知らん人間の為に死んでやれるのか! 震えるほどの恐怖を覚えてまで何故そのようなことが言える!」



 目が逸らせない。怒りに燃える目の中に苦しさに歪んだ自分の顔が見えた。は、と息が漏れた。ネストルの目に何かがよぎる。怒っている。でもそれだけじゃない。



「死ぬほどのことをしたのか? 死ぬほどの罪を犯したのか? 魔法を持つことが罪か? 存在することが罪か? 今ここにいることが罪だとでも言うのか……!」



 ネストルの顔が歪んだ。いつもの冷たさも静けさもない、人間らしい表情。まるで、泣きそうなーー。



「お前に罪などない。死ぬ理由などどこにもない。お前の死で救われる命があるとしても、俺はそれを許さぬ」



 胸にかかる圧が微かに減り、息が楽になった。



「愛がないと生きられぬと言うのなら俺がお前を愛してやる」



 頬に冷たい何かが落ちるのを感じた。


 途端、世界から音が消えた。木々のざわめきも鳥の鳴き声も、自分の息や心臓の音すらも。まるで世界の時が止まってしまったかのよう。



「……だから、死ぬな。俺が許さぬ限り、お前は死んではならぬ」



 ただネストルの静かな声だけが聞こえ、ネストルの濡れた瞳だけが見える。いつの間にか目から怒りが消え、胸にかかっていた圧は完全になくなっていた。


 ーー死なぬ。お前がそう言うのなら。


 いつか、死なないでと言った自分にネストルはそう答えた。


 ラフィーナを見つめる整った顔。手を伸ばしてその頬に触れた。指先が濡れる。



「……ええ、死なないわ。ネストル様がそう言うのなら」



 ネストルの心を映すかのような冷たい頬。恐怖に晒されたラフィーナの冷たい指先。触れたところからじんわりと熱が広がった。

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