77.ミルヴェンの魔法
ラフィーナ、タリア、ルイーズ、シメオンで椅子は埋まった。エリオスとネストル、クレイトスにイリスは立ったままだ。前にもこんなことがあった。椅子を増やさないといけないわ、と考えていると、エリオスが困ったように微笑んだ。
『まさか父上が出て来られるとは思いもしませんでした』
『気が向いたら行くと昨日言っただろう』
『そう言って来られた試しがなかったもので』
2人の会話を聞きながらお茶を飲む。ネストルとシメオンは仲が悪いが、エリオスとシメオンはそう悪くはないよう。それなら、とタリアを見てみたが、タリアはあちこちに視線を向けていて、シメオンを見ようとしない。その様はどこか困っているようにも見える。
『ラフィーナ、お前の話をしよう』
シメオンが言った。ネストルと似た、だけど冷たくはない瞳がラフィーナを映す。
『お前がなぜ幽閉されて育ったのか、お前の父が何を企んでいるのか、私たちが知っていることの全てを話そう』
それはラフィーナがずっと気になっていて、ずっと考えていたこと。遂にその答えを聞くのだと思うと心臓が少し速くなった。
ええ、と頷く。乾いた声が出た。大きく打つ心臓の音。口の中が乾き、胃から何かが出て来そうな感覚がある。ふるりと身体が震えた。
『緊張しているね。体の力を抜いてごらん』
ルイーズが微笑んだ。緊張。そう、これは緊張。これが緊張。あまりしない体験にラフィーナは少し笑みを浮かべて、2度大きく呼吸をした。体から力が抜け、心が落ち着いた。ふとイリスが強張った顔でラフィーナを見ていることに気が付いた。イリスも緊張しているのかしら。笑顔を向けると、控えめに笑顔を返してくれた。
『まずはミルヴェン家の話からだ』
シメオンの言葉にラフィーナは首を傾げた。ミルヴェン家と言うとあの老人の家のこと。それがどう関係して来るのか分からなくて。
……そう言えばあの方は私の大伯父様だと言っていたわね。
『ミルヴェン家は人間の精神へ干渉する魔法を持つ家だ。故にレガルディア帝国の貴族の中でも特別な存在にある』
精神へ干渉。よく分からなくて首を傾げるとエリオスが口を開いた。
『人の心を操ることができるんだ。上手く使えば世界すらも手中に収められる』
ピンと来ない。人の心を見たことがないからだろうか。目に見えないものを操ると言われてもよく分からない。でも、とラフィーナは自身の胸に手を当てた。この心を誰かに操られるとしたら……鳥肌がたった。
『少し前の話だ。ミルヴェン家の娘が皇家へ嫁いだ。その魔法を皇族の系譜に入れる為に。そして産まれたのがお前の母だ』
ラフィーナはパチパチ、と瞬きをしてシメオンを見た。ミルヴェンの娘が皇族に嫁いで産まれたのが母。つまり……
『お母様はレガルディア帝国の皇族ってことかしら?』
辿り着いた答え。口に出すとイリス以外の皆が頷いた。
『ラフィーナ、お前もだ。お前はレガルディア皇家と、ドラウゼン王家の血を継いでいる』
『……なんだかすごいわね』
他人事のような言葉が出た。急に言われても実感がない。
『お前の母、ソフィアは美しかった。見目も心も、その美しさには誰も敵わなかった。ミルヴェンの魔法は継がなかったが、皆に愛されていた』
お前はよく似ている、とシメオンは目を細めてラフィーナを見た。
『僕も覚えているよ。病弱だが博識な方でね、色々なことを教えてもらった』
エリオスが柔らかく微笑んだ。エリオスは26歳。自分が17歳。頭の中でざっと計算する。母を知っていても不思議ではない。
『18年前、ソフィアが攫われた。城から出た一瞬の間だった。護衛は皆殺されており、ソフィアだけがいなくなった。私たちはすぐにドラウゼンを疑ったよ。ドラウゼンの王はミルヴェンの魔法をコソコソと調べまわっていたからな』
急な展開にラフィーナは視線を彷徨わせた。ドラウゼンの王とは父のこと?
『お父様が、お母様を、攫ったの?』
ラフィーナはその言葉を噛み締めるようにゆっくりと言った。シメオンが『そうだ』と頷く。
『だが当時は証拠がなかった。もちろんあちらは知らぬ存ぜぬで話になどならないしな。だが私たちは確信していた』
『どうして?』
首を傾げる。シメオンは『あの王の顔を見たら分かる』と言った。父の顔を思い出す。
……よく分からない。
『最近まで続いていた帝国と王国の戦争の原因も元々そこにあった。言いがかりをつけられたとドラウゼン王が始めた』
『お父様が……』
シメオンの話の中には自分の知らない父の姿があった。ラフィーナの知っている父は穏やかな笑みを浮かべていて、優しい声で愛を囁く。たまに怒ることもあったが、誰かを攫ったり戦争を始めたりするような父をラフィーナは知らない。
『国の金のほとんどを軍事費に割くような国だ。こちらも応戦が精一杯で攻めあぐねていた。そんな時に証拠が見つかった』
証拠。一瞬だけ考えて、父が母を攫った証拠のことを指すのだと思い至った。
『お前だ、ラフィーナ。その銀の髪はまごうことなく帝国の色だ。お前の存在がドラウゼン王の悪事の証拠となった』
胸に垂れる自分の髪を人差し指と親指で摘む。初めて会った時、クレイトスが自分の髪を見て「間違いない」と言ったことを覚えている。あれはそういう意味だったのか。
『お前はミルヴェンの魔法を受け継いでいる。離宮に幽閉されたのも、最低限のものしか与えられなかったのも、ドラウゼンの王がその魔法を独り占めするために行ったことだ』
『う、うそ、でしょう……?』
視線が彷徨った。イリスの心配するような顔が見え、エリオスの笑みが見え、ネストルの無表情が見えた。誰もラフィーナの言葉に頷かない。シメオンの言葉を否定しない。タリアとルイーズの気遣うような視線を受けながら、ラフィーナは声を絞り出した。
『ま、まほう、なんて……わたくしは使えないわ……』
震える手を膝の上で握り締める。信じられない。信じたくない。
『魔力はあるが魔法は使えない。ミルヴェンの魔法を受け継ぐ人間の特徴だ。今は使えなくとも今後、必ず使えるようになる』
淡々と言われた声。ネストルの言葉かと錯覚するような声だった。心臓が、呼吸が、速くなる。
大丈夫、違う。そうじゃない。
俯いて握った手を見つめる。
『姉さま……』
タリアの気遣うような声が聞こえたが、それに答えることはできなかった。
ミルヴェンの魔法。精神を操る魔法。父はそれの為に母を攫い、自分を産ませ、幽閉した。全ては魔法の為に。母も自分もあの離宮も全て。
そう理解した途端、揺れていた心が不自然なほど凪いだ。
父が愛していたのは自分ではなくーー。
『クレイトス』
漏れるように出た声に一瞬遅れて『はい』と返事があった。顔を上げる。皆の視線がこちらへ向いていた。開けた窓から生温かい風が入ってくる。
『……胸が苦しくて、心が寒くて、まるで世界が崩壊したようだわ。この気持ちはどんな言葉で表すの?』
涙は出なかった。ただ胸が空っぽになったようで、辛くて苦しいのに、それすらも感じないような。
クレイトスは言葉を探すように視線を巡らせた。一瞬の後、視線はラフィーナへと戻る。クレイトスは笑わなかった。
『全てを言葉で表す必要はありません。それはラフィーナ様だけのお心です』
『そっ、そうだよ、姉さま。辛かったら泣いたらいいんだよ。ここにいる誰も笑わないよ』
タリアがわざとらしく明るい声で言った。気を遣ってくれている。そう思うと自然と笑みが浮かんだ。
自分の根底が揺らいでいる。自分という存在が揺らいでいる。それなのに笑える自分をどこかで不思議に思いながら、静かな声が出た。
『ありがとう、タリア様。だけど大丈夫よ。涙は出ないの』
『姉さま……』
皆が気遣ってくれているのが分かる。微笑みを向けてタリアから視線を逸らした。そうしないと言葉が溢れてしまいそうになったから。
不意にネストルと目が合った。静かな冷たい瞳。ラフィーナを見据えるその目が微かに揺れ、ラフィーナの目も揺れた。ネストルは今何を考えているのだろう。先に目を逸らしたのはネストルだった。苛立たしげに舌打ちをして、そのまま扉へと向かう。
『ネストル』
エリオスの声にもネストルは足を止めなかった。カチャリと音を立てて扉が開き、それが閉まる直前、もう一度目が合ったような気がした。




