75.魔力
ざわめきの中でネストルはどこを見ているのか、視線を下げたままだった。
『兄さま!』
タリアの高い声がネストルを呼ぶ。その時になってようやくネストルは顔を上げ、ラフィーナ達の方を見て眉をひそめた。ネストルはクレイトスに何かを言い、クレイトスも答える。話は聞こえなかったが、最後に『そうか』とネストルが言ったことが分かった。
『なんで急に止めたの? 危ないじゃない』
タリアがネストルの方へ歩み寄りながら大きな声で言う。ラフィーナもゼノンに促されて足を進めた。
『クレイトスってすごいのね』
歩きながらイリスへ声を掛ける。イリスも『驚きました』といつもより興奮したような声で頷いた。
『止めるなら止めるって一言くらい言えばいいのに。ねえ、義姉さま?』
タリアが同意を求めてルイーズを見る。ルイーズはそれには笑みだけを返し、『何かありましたか?』とネストルを見た。
ネストルの視線がラフィーナへ向く。そして静かな声が言った。
『鈴が鳴った』
それに一番に反応したのはゼノンだった。
『侵入者ですか……!』
次いでイリスがハッとしたように振り返る。走り出そうとするのをネストルが『待て』と止めた。ラフィーナは少し遅れてその意味を理解した。鈴は部屋に置いていて、もちろんラフィーナは鳴らしていない。ならば誰が……。
『何? 鈴? 兄さま誰に渡したの?』
タリアが首を傾げて、ネストルが腰に下げた鈴を見た。ネストルはそれに答えずにため息をついた。
『私が渡したことを知っている者は限られる』
『エリオス様でしょうか?』
ルイーズの言葉にネストルは首を振った。
『兄上はそのような回りくどいことはしません。それにこいつが留守の時に部屋に入ることもありません』
『確かに』
タリアがうんうん、と頷く。2人のエリオスへの信頼が見て取れる。
『では誰が?』
他に自分が鈴をもらったことを知っている人はいないはず。ラフィーナは首を傾げた。侍女がお掃除の時に触ったのかしら?
『……心当たりがある』
苦々しい表情を浮かべたネストルはそう言った。眉をひそめて舌打ちをする。どちらも珍しいことではないが、いつもよりも嫌がっているような気がする。よほど嫌いな相手なのだろうか。
その時、皆の間に軽い、小さな音が漂った。視線がネストルの鈴へと集まる。誰かが当たって鳴ったような音ではない。故意に鳴らしている音。ネストルがため息をついた。
『呼び出されている。タリア、兄上を呼んでから来い』
『ええ? なんであたし? 他の人が行ったらいいじゃん』
タリアは不満そうに頬を膨らませる。しかしネストルは無視して踵を返した。かと思えばすぐに足を止めて振り返り、ラフィーナを見た。
『着替える。待っていろ』
今度こそどこかへ歩いていく背中。横でタリアが『もう!』と怒っていた。
『無視することないじゃん! ねえ、ねえさま!』
その『ねえさま』が自分とルイーズのどちらを指すのか分からなくて、ラフィーナはルイーズを見た。ルイーズは『そうだね』とタリアに頷きつつ、ふっと微笑む。ああ、自分ではなかったか。そう思ったが、タリアは今度はラフィーナを見て『ねえ!』と同意を求めた。
『え、ええ』
勢いに押され頷く。
『まあいいけどね。兄さまのあれは今に始まったことじゃないし』
途端にタリアは怒りを無くしたようにケロッとして言った。2人の同意を得られて満足したのだろうか。
『姉さま、ゼノン借りて行ってもいい?』
『ええ、もちろん』
じゃあ後でね、とタリアは手を振って歩いて行った。ルイーズも『私も着替えて行くから先に行っていて』とどこかへ行く。残ったのはラフィーナとクレイトスとイリスの3人。
クレイトスに促されて端へと移動する。影に入ると一瞬、真っ暗になったかのような錯覚があった。すぐに目が慣れてイリスとクレイトスの顔が見える。
『魔法を使える人と使えない人って何か違うの?』
魔法を使えないと騎士にはなれない、というタリアの言葉を思い出して問うと、クレイトスは『そうですね』と少し考えて口を開いた。
『基本的なところから言いますと、貴族は魔法を使えて平民は使えません。そして、貴族の中にも使えない人がいます。私やイリス殿はそれです』
ええ、と頷く。これは前にも聞いたことがある気がする。
『私たちのような魔力を持たない貴族は、身体に異常があると看做されるのです。ですので将来の道は生まれた瞬間から閉ざされています』
イリスも頷く。
『だから騎士になれないの?』
『ええ』
『強いのに?』
『ええ』
よく分からないわ、とラフィーナは呟いた。強いならいいじゃないの、と。クレイトスは微笑みを浮かべる。
『ラフィーナ様、魔力を持たない者は家の恥なのです。すぐに殺されるか、使用人に身分を落とすか、日の光を見ることのない一生を送るか……。私たちは生きていて、ここでこうして優しい主人達に仕えることができているだけでとてつもない幸運なのです』
イリスだった。イリスの家のことも家族のこともラフィーナは何も知らない。どうしてイリスが離宮に来たのかも、その前にどんな生活を送っていたのかも。だからもしかするとイリスは辛い目に遭っていたのかもしれない。胸が締め付けられた。それが顔に出ていたのか、イリスは慌てたように両手を振った。
『違いますよ、今のは一般的な話であって、私は家族との仲は良好です。そのようなお顔をなさらないでください』
『あ、そうなのね、よかった……』
胸を撫で下ろす。そして一つの可能性を見つけた。
『もしかしてわたくしは魔法を使えないからあの離宮に閉じ込められていたの?』
父が自分の存在を恥じて隠していたのだろうか。納得ができた。しかしクレイトスもイリスも同時に首を振った。
『ラフィーナ様は魔力をお持ちです。魔法は……まだ目覚めていないだけで、それは違うと断言しましょう』
クレイトスはなんとも言えないような表情でそう言った。口は笑っているけど眉は下がっていて悲しそうにも困っているようにも見える。
コツン、と足音がして、ラフィーナは横を見た。ネストルが立っている。普段の服を着たネストルは「行くぞ」と短く言うと、一人でスタスタと歩き出してしまった。ラフィーナは小走りでその隣に並ぶ。
「ネストル様、すごいのね。つい見惚れてしまったわ」
その言葉にネストルは一瞬だけラフィーナを見た。しかしすぐに前を向く。
「……来たなら声くらいかけろ」
不服そうな声。黙って見ていたことが気に入らなかったのだろうか。後ろからくすくすと笑う声が聞こえた。
「剣を持っている時は話しかけるなと、いつも怒っているじゃないですか」
揶揄うようなクレイトスの声。少しして小さな舌打ちが聞こえた。ネストルの足が微かに早まる。ラフィーナも意識して早く歩き、その隣を維持する。
「……来たら声をかけろ」
沈黙の後、ラフィーナだけに聞こえるような小さな声がそう言った。




