69.恋
くるりと部屋の中を見回す。エリオス、ルイーズ、クレイトスの笑顔。そしてイリスの泣き顔。ラフィーナは驚きに目を見張った。
「イリス? どうして泣いているの?」
3人の視線もイリスへ向く。イリスは涙を隠すように、俯いて両手で顔を覆った。
「う、嬉しくて……」
くぐもった声が確かにそう言った。嬉しい? 嬉しい時は笑うのでは? 首を傾げるとエリオスが笑みを浮かべた。
「涙とは嬉しい時もでるものなんだよ」
「そうなの?」
クレイトスに視線を向けると、クレイトスは頷いた。知らなかった。イリスが袖で目を擦る。
「イリスは何が嬉しいの?」
答えたのはイリスではなかった。
「君の言葉が、だよ。今のはネストルにも聞かせてやりたかったよ。きっと喜んだことだろう」
「わたくしの言葉……?」
それは今の話のことだろうか。ネストルが聞いたら喜ぶ? ラフィーナは視線を上へ向け、考えた。ネストルが喜ぶ想像はできない。確かに嫌な顔はしないかもしれないが……頭に浮かんだのはネストルの真っ直ぐな目だった。
「……ネストル様はきっと喜ばないわ」
ネストルは自分よりも遥かに深いところを見ている。だからきっとこの言葉ではネストルの期待には届かない。
エリオスは微かな笑みを浮かべると、イリスに「顔を洗っておいで」と勧めた。イリスは頭を下げて出て行く。閉まった扉を見ていると、「ところで」と穏やかな声が聞こえた。
「いいものを持っているね。これはどうしたのか聞いてもいいかな?」
そう言ったエリオスの視線はテーブルの上の小さな箱に向いていた。そこにはネストルからもらった鈴が入っている。
「ネストル様にいただいたの。鳴らせば迎えに来てくれるのですって」
思わず頬が緩んだ。鳴らせばネストルに会える。そう思うと実際に会えなくてもなんだか嬉しい。
「ネストル様が?」
ルイーズが意外そうに目を瞬いた。ラフィーナは「ええ」と笑う。
「ほう、あいつがねえ……鳴らしたことはあるかい?」
「いいえ。用事もないのに鳴らしては迷惑だもの」
本当はこれが目につく度に手を伸ばしたくなった。でも鳴らす理由がない。ただ会いたいだけだなんて言えない。迷惑だから。
「へえ……」
エリオスは鈴をケースから取り出して、楽しむように手の中で転がす。チリリ、と軽い音が聞こえた。
「ラフィーナ、ネストルのことが好きかい?」
突然の話題の転換にラフィーナは不思議に思いながらも頷いた。
「ええ。エリオス様もタリア様もルイーズ様もクレイトスもゼノンも……皆好き。大好きよ」
「そんなふうに言ってもらえるなんて光栄だよ」
でも、とエリオスは笑みを浮かべてラフィーナを見た。
「その中でも特別好きな人はいないのかい?」
「特別……?」
一番好きということかしら、と考える。だけど皆の顔は同じように浮かぶ。首を傾げるとエリオスは言った。
「一緒にいたら落ち着く。用事がなくとも会いたいと願う。顔を見たら心臓が跳ねたり、胸が苦しくなる。この先もずっと一緒にいたい」
並べられた言葉。エリオスの微笑み。
「誰の顔が思い浮かんだかな?」
エリオスが手の中で転がしている鈴をケースへと収めるのを見ながらラフィーナは口を開いた。
「胸が苦しいというのはよく分からないけれど……ネストル様だわ」
エリオスは満足そうに笑う。
「それが特別ーー恋だよ」
恋。思わぬ言葉にラフィーナの思考は止まった。恋とは……
「それは、あれかしら? お姫様と王子様がしたり、騎士と侍女がしたりする、あれ?」
クレイトスがくすくすと笑った。エリオスがカップを持ち上げる。
「なんの物語かは分からないけど、多分それだね」
「わたくしがネストル様に恋……?」
そう言われてもピンとこない。口元に笑みを浮かべたままお茶を飲むエリオスを見る。エリオスは頷いたが、横からコホン、と咳払いが聞こえた。
「今のは誘導だと思いますよ」
クレイトスだった。苦々しい表情でエリオスを見ている。エリオスはクレイトスの非難が混じった声に全く気にした様子を見せずに「そうかもね」とカップを置いた。
「だけど僕は嘘は言っていないよ」
クレイトスがため息をつく。ルイーズも苦笑してエリオスを見ている。
「こんなことネストル様が知ったら不機嫌になりますよ」
「あいつも大変だね」
他人事のような言い方に、クレイトスは再び深いため息を落とした。呆れのような諦めのようなため息。
「大変なのは私です」
「ははは、違いない」
エリオスとルイーズが可笑しそうに笑うが、ラフィーナには笑いどころがよく分からなくて首を傾げることしかできなかった。
二人の笑い声の間にコンコン、とノックの音が響き、心臓が微かに跳ねた。




