67.ルイーズ
イリスしか出入りしないラフィーナの部屋。そこに人が訪ねて来たのは3日ぶりだった。
柔らかなノックの音がする前からラフィーナの耳は足音を拾っていた。あのパーティーの日以来クレイトスすら訪れないこの部屋に、一体誰が来たのだろう。イリスが扉を開けるとそこに見えたのはクレイトスだった。
思わず笑顔になった。クレイトスがいるのならネストルもいるかもしれない。しかしその人が入って来る前に期待は打ち砕かれた。イリスの視線が上に向いていたから。
ネストルはさほど背が高い方ではない。ラフィーナよりは高いが、イリスが見上げるほどには高くない。そしてこの3日間で身長が一気に伸びるなどあり得ない。
意識せず小さなため息が落ちた。ふふっと笑う声が聞こえた。
『期待をさせたようですみません、ラフィーナ様』
凛とした声。その声は知っている気がするが視界に入った姿を見て首を傾げた。すらりと背の高い女性。浮かべた笑みはたおやかで、だけどなんだか知っている気がする。じっとその顔を見ていると、女性はふふっと笑った。
「あ、」
先ほどよりも自然なその笑顔で分かった。
『ルイーズ、様……』
ずっとエリオスの騎士だと思っていた皇后陛下、ルイーズだ。どうしてルイーズがここへ来たのか、どうしてクレイトスと一緒なのか、どうしていつも騎士の姿をしていたのか、聞きたいことはたくさんあったが、それよりも先に視線が滑った。
クレイトスが笑う声にはっとする。
『申し訳ありません。ネストル様は騎士団で訓練中です』
『あら、そうなの』
自分の考えていることが一瞬で見透かされ、顔が熱くなった。視線を逸らす。ふと考えた。どうして恥ずかしく思ったのだろう。どうして自分は探すよりも尋ねなかったのだろう。ネストルはいないのか、と。
『皇后陛下、どうぞお掛けください』
イリスがお茶を2つテーブルに置いた。はっとしてラフィーナは立ち上がる。本来椅子を勧めなければいけないのは自分だ。皇后であるルイーズを立たせたまま自分だけ座っているなんて……。
『も、申し訳ありません』
慌てたせいか、謝罪しか口から出なかった。ルイーズは『いいえ』と微笑んで椅子へと座る。ラフィーナももう一度座った。
『突然訪ねてすみません。この後皇帝陛下もいらっしゃるそうです』
『いいえ、構いません』
慣れない敬語。滅多にないほどに頭を回転させて言葉を捻り出した。変に聞こえていなかったらいいのだけど、と思う。目標にするはクレイトスだ。
『ちょうど時間を持て余していた……いました……? から……?』
しかし上手くはいかなかった。ルイーズとクレイトスが笑う。
『敬語は必要ありませんよ。エレンシアの皇族の方々が敬語を使わなくていいとおっしゃるなら、ラフィーナ様が敬語を使う相手はおりません』
よく分からない。よく分からないけど、敬語がいらないなら助かった。イリスがなんとも言えない顔をしているのが向こうに見える。明日からお勉強が増えるかもしれない。
『それならルイーズ様も敬語はいらないわ。わたくし、ずっと知らなくてごめんなさい』
ルイーズが口元に笑みを浮かべる。服装のせいか、凛々しい騎士の顔とは少し違って見えた。
『謝るのはこちらだよ。私は元々エリオス様の騎士をしていてね。皇后になることは望んでいなかったんだ。敢えて言う必要がなかっただけなのだけど、結果的に隠していたようになってしまったね』
いや、やはりルイーズはルイーズだ。上品で凛々しいルイーズ。どこかエリオスと似ているような気がする。……喋り方かしら?
『皇后になりたくなかったの? エリオス様のことはお嫌い?』
皇后とは皇帝と結婚した人のこと。ラフィーナはそこから、ルイーズかエリオスと結婚したくなかったのだと読み取った。ルイーズは一瞬だけ目を丸くして、ははっと笑った。
『いいや、お慕いしているよ。……騎士として』
ルイーズの笑みに影が落ちた。近くに立つクレイトスが口元に笑みを浮かべた。だけどどこか困っているように見える。
『オシタイ……』
呟くとルイーズが影を消して『好きということだよ』と微笑んだ。
『好きならいいじゃない。わたくしもエリオス様が好きよ。あたたかくて優しい方だもの』
そう笑ったラフィーナを、ルイーズは目を細めて見た。それはまるで太陽を見上げる時のような、眩しそうな顔だった。
『……ラフィーナ様。私はあなたにエリオス様の子を産んでもらいたい』
『ルイーズ様……!』
クレイトスが鋭い声で、咎めるようにルイーズを呼んだ。ルイーズは『分かるだろう?』とクレイトスを見る。ラフィーナは自分が何を言われたのかよく分からなくて首を傾げた。
『私はエリオス様の子を産むことはできない。魔力が違いすぎるんだ』
声が揺れていた。まるで今にも泣き出してしまいそうに。だけど表情はいつもと変わらないのが酷く不自然に思えた。
『レガルディアにはエリオス様の子が必要なんだ。この国にエリオス様と魔力量が釣り合う女性なんてラフィーナ様しかいない』
魔力の量が違いすぎると子供はできないのだよ、とルイーズは言った。よく分からないけど、ルイーズの言う通り自分とエリオスの魔力が釣り合っているとする。しかし問題はある。
『子供とは愛がなければできないのでしょう?』
子供とは愛の証だとイリスは言っていた。しかしルイーズは首を横に振った。
『愛など必要ない。エリオス様はあなたを大事に思っていて、あなたもエリオス様を好きだと言った。なんの問題もない』
『そうなの?』
首を傾げる。強張った表情のクレイトスが見えた。怒ってはいないと思う。でもあれはよくない顔。
『ラフィーナ様に負担がかかることなので私は強要できない。だけどこの国のことを、エリオス様のことを好きだと思うなら、少しだけでも考えてみてほしい』
ルイーズはそう言って、今にも泣き出しそうな表情で笑った。




