59.杯
『本当にお綺麗な方で花の精かと思いましたわ』
何人目か分からない貴族。高く結い上げた髪と、光沢のあるドレスの若い女性。褒められているはずなのにどこか嫌な感じがして、だけど原因は分からず、ラフィーナは首を傾げた。女は唇の端を吊り上げてラフィーナを見る。
『だけどご注意あそばせ。太陽に焼けるか、氷に凍てつくか、嵐に散らされるか……美しい花ほど儚いものですからね』
どういう意味だろう。そう思った時、心の底から凍りついてしまいそうな冷たい声が聞こえた。
『私の前でよくもそのようなことを口にできるものだ。度胸だけは評価してやる』
そちらを見るとネステルが頬杖をついたまま、女を見ていた。女の顔色がさあっと青くなる。
『ち、ちが……っ!』
『一応聞くが、それは誰を愚弄しているのだ。兄上か? 私か? タリアか? それとも、こいつか?』
静かな声。だけど怒っている。何故だかすぐに分かった。女は大きく目を見開き、無理やり浮かべたような笑みで、縋るようにネストルを見る。
『ら、ラフィーナ様でございます……! お三方を愚弄するなど、とんでもない……っ!』
『そうか』と静かな声。ネストルの唇が吊り上がる。笑っている。だけど目は笑っていない。とてもネストルらしい笑顔だと思った。女が青い顔で、だけど微かに安堵を見せる。ネストルは『面白いな』と言うと、今までと同じように手をひらりと振った。
女がほっとしたように、そそくさと降りて行く。ラフィーナがその背を見ていると、ネストルがクレイトスを見るのが分かった。その視線を受けたクレイトスがどこかへと消える。
あれはどういう意味だったのだろうか。何か嫌なことを言われた。でも傷付いてはいない。今まで一言も言葉を発しなかったネストルが“口を開く必要”というのが自分への愚弄であったことが嬉しかった。
「……つまらん」
ネストルが足を組み替えてポツリと呟くのが聞こえた。
「つまらないの?」
こんなにもキラキラしていて賑やかなのに。こんなにもたくさんの人がお祝いしてくれているのに。こういうのを楽しいと言うのだと思っていた。
目を細めて色とりどりの人達を眺めていると、「お前は楽しいのか?」と、どこか呆れたような声が聞こえた。少しだけ言葉に詰まった。
「……ええ、エリオス様達がせっかく準備してくださったパーティーだもの」
楽しくないなんて言えるわけがない。ラフィーナの言葉にネストルは舌打ちをした。答えが気に入らなかったのだろうか。男が壇上に上がって来るのを見ながら、ラフィーナは小さく首を傾げた。
同じような言葉が繰り返される。しかし他の人と違ったのはその男がラフィーナへと杯を差し出したことだった。
『よろしければ、お祝いに一杯』
差し出された透明な飲み物。こんな時はどうしたらいいのかしら、と考える。
『甘くて飲みやすい酒です。殿下のお口にも合うかと思います』
ずい、と更に近付けられ、手を伸ばした時、視界の端でネストルが立ち上がるのが見えた。
『喉が渇いた。祝いなら私がもらおう』
その言葉と同時に、ネストルは男の手にあった杯を取り、一気に飲み干した。空になった杯を男の手に返しつつ、ネストルは男の耳に顔を近付けた。その目が鋭さを持つ。
『二度はない』
微かに聞こえた、凍てつくような重い声。男の顔が強張り、不自然な笑顔が浮かんだ後、逃げるように降りて行く。ネストルはどかっと椅子へ腰掛けた。何もなかったかのように再び足を組む。
何があったのか尋ねようとした時、ネストルが言った。
「もういい。侍女が来たらお前は部屋に下がれ」
ああ、そういえばイリスが来ない。後で来ると言っていたのに。そう思った時、ちょうど隣に誰かが立った。イリスだった。それに気が付いたネストルがひらりと手を振る。
「お部屋に戻るわ」
イリスが頷き、ラフィーナは立ち上がった。忘れていた足の痛みが戻ってきて、思わず顔をしかめた。
部屋に戻ればこの窮屈な靴も邪魔なドレスも脱ぐことができる。もう少しで。痛みに耐え、壇上から降りると、こちらに気が付いたエリオスとルイーズが近寄ってきた。
『ラフィーナ、今日はありがとう。慣れないことばかりで疲れただろう。ゆっくりと休みなさい』
『こちらこそありがとう。とても素敵な時間だったわ』
正直に言うと楽しくはなかった。人は多く灯りは眩しく、声は賑やかで。皆同じような笑顔を貼り付けて同じような言葉を繰り返すだけ。聞こえるのは嫌な言葉か同情の言葉。居心地がいいとも言えはしなかった。でも素敵な時間であったことは嘘ではない。
ネストル様の素敵な格好を見ることができたもの。
壇上へ視線を向けると、そこには変わらずネストルが座っている。自然と頬が緩んだ。エリオスはラフィーナの視線を辿り、『それはよかったよ』と微笑んだ。
会場の端を歩いて扉へ向かう途中で、タリアが誰かと話しているところが見えた。目が合ってその顔にぱっと花が咲く。振ってくれた手に小さく手を振り返しながら、自分もパーティーに慣れたらもっと楽しく思えるのだろうかと考えた。
しかしパーティーがこの膨らんだドレスと窮屈な靴が必須だとしたら、自分には難しいかもしれない、とも思った。




