58.黒と銀
足を止めて顔を上げ、視界に入った姿に息を呑んだ。
氷のように冷たい横顔。伏した目。光を吸い込むような黒い服と銀糸の刺繍。腰には銀の装飾が施された剣。そして、静かな光を放つ銀色の髪。
そこだけが別世界のようだった。自分と同じ色。なのにどうしてこんなにも美しいのだろう。目も心も奪われ、ぼんやりとそう思った。伏していた目がゆっくりとこちらを見る。ラフィーナは目が離せないまま、そこに立ち尽くした。
ネストルはすぐに視線を逸らした。何も言わない。手も出さない。それはまるでラフィーナを拒んでいるようで。小さなため息が聞こえ、ラフィーナはハッとしてエリオスを見上げた。
『……すまないね』
エリオスは困ったような笑みを浮かべ、ラフィーナにだけ聞こえる声で言った。ネストルは壇を上がり、五つ並んだ椅子の一つへと腰掛けた。ラフィーナもエリオスに促され、壇を上ってその隣に腰掛ける。それによって足の痛みが和らいだ。
ラフィーナはネストルを見る。足を組み、頬杖をつき、心底つまらなさそうな表情。そんな顔ですら綺麗だと思うのは何故だろう。エリオスが皆に向けて何か言い、パラパラと拍手が聞こえたが、ラフィーナはネストルから視線が逸らせなかった。じっと見ているとネストルが目だけをラフィーナへ向けた。
「……なんだ」
鬱陶しそうな顔。そこでラフィーナは初めて、自分がネストルを見ていたことに気が付いた。
「い、いえ……」
ハッとして目を逸らした。こんなにも見るつもりではなかった。ただあまりにも綺麗で。もう一度こっそりとネストルを見ると、前を見る冷たい横顔が呆れた顔へと変わった。ネストルはため息を一つ落とすと、前を向いたまま言った。
「言いたいことがあるなら言え」
こちらを見ていないのにどうして見ていることが分かったのだろう。自分の視線はそんなにもうるさかっただろうか。そう思いながらも首を横に振った。言いたいことは何もない。
「ごめんなさい、ネストル様があまりにも綺麗で見てしまったの」
正直に口にした言葉に、ネストルは眉をひそめた。なんだか少し嫌そうに見える。どうしてこちらを向いてくれないのだろう、と思いながらも、久しぶりに言葉を交わせたことで口元が緩むのが自分でも分かった。
「とっても素敵だわ」
いつもと違う服。騎士たちが着ている服に似ている。でも装飾が豪華で、騎士たちとは色も違う。濃い黒がネストルの銀髪をより一層引き立てていて、まるでネストルの為に作られたかのような服だ。
……あら? ネストル様の為に作られたのかしら?
自分のドレスもこのパーティーの為に作られたと言っていたし、ネストルの服もきっとそうなのだろう。納得してうんうん、と頷く。気が付けばエリオスの話は終わっており、会場は再び人の声で溢れていた。
ギラギラとした光の中で、笑顔を浮かべて話をするたくさんの人。ここから見ると、様々な色のドレスがまるで庭で咲く花のように見える。ネストルはやはり退屈そうにそれを見ている。
「ラフィーナ様」
呼ばれた声に座ったまま振り返ると、クレイトスがいた。
「クレイトス……! あなたもいたのね」
嬉しくて自然と笑みが浮かんだ。クレイトスは「ええ」と笑みを浮かべてラフィーナの椅子の隣に立つ。
「藤色のドレスがよくお似合いです。お美しくて思わず見惚れてしまいました」
「あら、本当? 嬉しいわ」
そんな風に言われたら、頑張った甲斐がある。声に嬉しさが滲み、表情筋が緩むのが自分でも分かった。クレイトスはにこりと微笑む。
「この後は皆様が順番に挨拶に来られます。特に喋る必要はありません。挨拶の言葉に頷いて応えるだけで結構です」
「クレイトス、はっきり言え。余計なことを言わない為にも喋るな、と」
冷たい声が反対から聞こえ、顔を向ける。ネストルが頬杖をついたままこちらを見ていた。いつもにも増して顔が冷たい気がする。クレイトスが「はっきり言い過ぎです」と小さくため息をついた。ラフィーナは頷く。ネストルの言うことは尤もだ。自分は言ってはいけないことが何か分からない。黙っていよう。
『見て、氷月の方がお怒りだわ』
聞こえた言葉に首を傾げる。怒っている? なんだか少し違う気がする。
『あの婚約者様も氷月の方のお隣だなんて……ねえ?』
『お可哀想な方だわ。隠されて育った挙句、婚姻を結ぶのがあの方だなんて……』
『どうか長くあられるといいのだけれど』
ラフィーナの耳は言葉を拾う。決して嫌な響きではない。彼女たちが本気で自分のことを心配してくれているのは分かる。だけど……ネストル様に聞こえていなければいいのだけれど、と思った。
ふと、壇上に誰かが上がって来ることに気が付いた。中年の男と飾り立てた女。夫婦だろうか。2人は並んでネストルとラフィーナの前に膝をついた。
『ご婚約、心よりお祝い申し上げます。両殿下の未来が光の満ちたものになりますよう、お祈りいたします』
静かな言葉。これがクレイトスの言っていた挨拶かと考えていると、女性と目があった。女性はにこりと微笑む。ラフィーナも少し笑みを浮かべたが、喋るなと言われているので何も言わなかった。視界の端でネストルがひらりと手を振る。2人が立ち上がって降りて行く。次々と人が上がってきて同じような言葉を繰り返し、ネストルが手をひらりと振って降りていく。その繰り返し。
人が途切れた時に隣に立つクレイトスを見上げると、クレイトスは屈んでラフィーナへと顔を近付けた。
「ご挨拶って本当に何も言わなくていいの?」
ネストルはずっとつまらなさそうな顔で無言。手を振って下がらせる以外は頷きもしない。それどころか聞いているのかすらも怪しい。挨拶の途中で遮ることもあるのだ。お祝いしてくれる人に対して酷いのではないかと思ったのだが、
「必要があれば私がする」
答えたのはクレイトスではなくネストルだった。小声で聞いたのだが聞こえていたようだ。すぐに次の人が上がってきて、ラフィーナは口を閉じた。これまでの挨拶で一言も発しなかったのに、必要があれば、とはどんな言葉なのだろう。そう考えながら目の前の貴族の貼り付けたような笑みを見た。




