57.皇帝と皇后
ラフィーナはポカンと口を開けて、目の前の扉を見上げた。広い城であることは知っていた。だけどまさかこんなにも大きな扉があるなんて。ラフィーナの背丈の2倍どころではない高さの豪奢な扉。こんなものをどうやって作ってここに取り付けたのだろう。
そんなことを考えていると、後ろからくすくすと笑う声が聞こえた。ハッとして振り返る。ゼノンが笑っていた。どうして笑うのだろう。首を傾げるラフィーナに、『いえ』とゼノンはやはり笑いながら言った。
『可愛らしいお方だと思って』
あの時の恐怖が嘘のようです、と。『可愛らしい』でどうして笑うのだろう。よく分からない。
『パーティーはすでに始まっております。ネストル様がお待ちですよ』
ゼノンは笑いやめるとそう扉を示した。そうだ、この中にはネストルがいるのだ。やっと会えるのだ。
『中へ入ったらネストル様かエリオス様の元へ行ってください。その後はお二人が導いてくださいますから』
着替え中にも言われた言葉に頷く。イリスは『私も後ほどおそばに参ります』と笑みを浮かべた。
この扉の向こうがどうなっているのか、全く想像がつかない。人がたくさんいると聞いた。無事にネストル様を見つけられるかしら、と少し不安に思いつつも扉の前に立つ。
両端に立つ騎士が扉を開ける。その瞬間、音と光に呑み込まれた。街の喧騒とは違う賑やかさ。太陽とは違う人工的な光。豪奢な装いの人々。思わず呆然としたが、行ってください、というイリスの声に背中を押された。
中へ一歩踏み入れる。溺れそうなほどの音の中に飛び込むと、眩しさに目が眩み、思わず目を細めた。少しだけ足が震える。信じられないほど広く、どこまでも高い天井。そこを埋め尽くす人。一人、また一人とラフィーナに気が付いてこちらを見る。それはまるで波のようにそこに広がっていった。
驚きや好奇心を含んだ数えきれないほどの視線。一瞬で静まり返る世界。まるでその場にいる皆が自分を見ているようで、それ以上足を進めることができなかった。
『見て、あの方よ。本当に銀の髪だわ』
『あれが銀の乙女か……』
『美しい方ね』
囁く声。エリオスの姿もネストルの姿も見えない。こんな中から探すなんて無理だ。イリスに助けを求めたかったが、振り返っても扉はすでに閉まっていて、頼れる人もいない。
その場にただ立ち尽くすことしかできなかったその時、どこかから声が聞こえた。
『道をあけてくれ』
柔らかいけれどよく通る声。それに合わせて人混みが割れ、ラフィーナの目の前に道ができた。その先に見えたのは手を振るタリアの姿。ホッとして、微かに震える足を踏み出した。ズキリと鋭い痛みを深い呼吸で紛らわして進む。
『ミルヴェンの魔法を継いでいるのか?』
不意に聞こえた声。
『だから王国は隠していたんだろ?』
『しかし氷月の方と婚姻を結ぶとなると、太陽の方の立場は……』
その内容はよく分からない。最初の頃に向けられていた悪意とは違う。だけど好意的かといわれると少し違う気もする。
『可愛らしい方だけどまだ子供じゃない』
『皇族は皆政治の道具にされるのね』
『婚約相手が氷月の方だなんて……なんて残酷なことをするの』
『あの子は何も悪いことなんてしていないのに』
今度は同情。歩きながらも首を傾げてそちらを見ると、話をしていた彼女達と目があった。華やかなドレスに身を包んだ彼女達は、気まずそうに目を逸らした。
皆の話はよく分からないわ。
ラフィーナはそんな言葉で聞こえた言葉を一蹴した。自分が知るべきことならいつかネストルが教えてくれる。知らない人の言うことなんて気にしない。タリアの元まで進むと、そこが一番前だった。
1段高くなっているところがあり、そこに立派な椅子が5つ並べられている。エリオス、ネストル、タリア……自分? それならもう一つは?
『まずは皇帝に挨拶だよ』
タリアの囁きにラフィーナは、椅子から目を離してタリアの視線の方へと体の向きを変えた。そこにはエリオスと女性が立っている。
穏やかに微笑むエリオスと、上品な笑顔の女性。身長の高い二人は並んでいるだけで絵になっていた。
その前へ進み、膝を折る。
『エリオス皇帝陛下、本日はこのような場をいただき、深く感謝申し上げます』
クレイトスに教わった挨拶を口にする。自分の声だけがこの場に響き、途端に鼓動が速くなった。恐怖とは違う。でも手が震えて、心臓がうるさい。声が震えそう。
『未熟な身ではありますが、陛下のご期待に添えるよう努めてまいります』
そうだ、これは緊張だ。意識して口元に笑みを浮かべたが、自然に笑えたのかは分からない。
『立ちなさい、ラフィーナ。君が僕に膝をつく必要などないよ』
顔を上げると柔らかな微笑みが見えた。言われるままに立ち上がろうとしたが、できなかった。足が痛くて力が入れられない。
今回のパーティーの為にイリスとクレイトスに習った作法。何度も練習した。しかし膨らんだドレスと硬い靴のせいで、思ったように動けない。つい今までの緊張が焦りに上書きされた。
これは想定していなかった。きっとイリスもクレイトスも。どうすればいいのだろう。近くに助けてくれる人など誰もいない。
視線を落とし、ふー、とこっそりと長く息を吐いた。痛い。だけどきっと大丈夫。痛む足で無理矢理立とうとした時、目の前に手が差し出された。視界に入った大きな手を辿る。優しい笑顔があった。
『大丈夫だよ。僕たちが君を助けるから』
エリオスは屈んでラフィーナの手をとる。驚いていると、もう一つ目の前に手が差し伸べられた。
『ラフィーナ様、無理をする必要はありません。あなたはあなたらしくあるのがよいのです』
エリオスの隣に立っていた綺麗な女性。その時に気が付いた。
『ルイーズ……?』
いつもの騎士の装いと雰囲気が違って分からなかった。しかしにっこりと笑みを浮かべた彼女は確かにあの騎士のルイーズだった。そういえばタリアとネストルが“姉”と呼んでいたことがあった。
呆然としながらその手を取り、立ち上がる。両手を支えられたことで、足の痛みは多少和らぎ、ちゃんも立ち上がることができた。
『まあ、皇帝夫妻が……!』
『皇后陛下までも交流があるなんて話は聞いていないぞ』
驚くような声がヒソヒソと囁いた。こうごうへいか。皇后陛下……?
『あの、どういうこと、デスカ……?』
立ち上がってもまだ自分よりも上にある2人の顔を見る。エリオスが結婚しているなんて聞いたことがない。いや、そもそもルイーズは騎士ではなかったのだろうか。
驚いて、混乱して、出たのはカタコトの敬語だった。ルイーズがくすくすと可笑しそうに笑う。
『本当にご存じでなかったのですね』
『すまない。君には話していなかったね。僕の妻だよ』
エリオスが少し声を落として言った。2人の顔を見比べる。笑みを浮かべているその顔は嘘をついているわけでも揶揄っているわけでもなさそう。
つまり、ルイーズは騎士ではなく皇后?
そう考えてさあっと血の気が引いた。
『わ、わたくし……』
呼び捨てにしてしまった。てっきりエリオスの騎士だと思って。誰も何も言わなかったから。なんてことをしてしまったのだと青くなっていると、『大丈夫ですよ』と凛々しい声が言った。
『ラフィーナ様、お気になさることはありません。後日ゆっくりお話ししましょう』
ルイーズの唇が弧を描く。まだ衝撃は残っているがその上品な笑みにこくりと頷いた。
左手をエリオス、右手をルイーズに握られて歩く。足元を気にしながら歩いていると、両隣の2人の足が止まった。




