50.見えない感情
『大した理由ではありません』
ネストルは静かな声で答えた。
『彼女が兄から凶器をもらったことはクレイトスの顔を見たらすぐに分かりました。それが短剣か毒かだということもなんとなく分かります』
昨夜、執務室へ行ったあの時にはもう知っていた。その事実にラフィーナは信じられない、と目を大きく見開いた。
『分かった上で何もしなかったのは、彼女がどうするかを見たかったからです』
そういえば兄が倒れているのを見た時、ネストルは迷わず自分の首からペンダントを引っ張った。知っていたから?
『つまり、ラフィーナを試したかったと?』
エリオスの問いに、ネストルは一瞬間を置いて『はい』と頷いた。その一瞬の間にラフィーナは気が付いた。いや、正確に言うと違和感を覚えた。だけどそれが何を表すのかは分からない。
『その結果、今回のようなことが起こるとは思わなかったのかい?』
『十分考えられることでした。だから騎士をつけていたのです』
淡々と言うネストルに、エリオスは苦笑する。何か言いたそうな表情。しかしネストルが先に口を開いた。
『私には想定の範囲内の出来事でしたが、騎士にとってはそうではなかった。それが念頭になかったことは私の落ち度です。申し訳ありません』
その言葉を聞いて、エリオスは仕方なさそうに息を吐いた。ラフィーナはぼうっと2人の会話を眺める。
よく分からないけれどネストルは自分にどんな行動を望んでいたのだろう。少し考えてみたが、やはりネストルが望むのは兄の死ではないのだろうか、と思った。
昨日「面倒が増えた」と言っていたし。兄が死ねばその面倒もなくなるだろう。ならば何故兄を助けたのだろうか。あんなにも必死な顔をして。
聞こうと口を開いたが、先を越された。
『待って、ネストル兄さまは昨日あの時はもう姉さまが何か持ってることは分かってたんだよね? それが毒かもしれないって思ってたんだよね?』
タリアが信じられないといった様子で言った。そこまで聞いてラフィーナにもタリアが何が言いたいのか分かった。そう、あの時ネストルは部屋に自分を一人にした。そしてお茶を淹れておくように言った。
『それなのになんで兄さまは姉さまの淹れたお茶を飲んだの?』
自分の居ない空間で、毒を持っているかもしれない人間によって淹れられたお茶。ネストルはなんの迷いもなくそれに口をつけていた。
何故? 毒が入っていないという確信があった? それとも毒が入っていても大丈夫だと思った?
そもそも毒を持っているかも人間にお茶を淹れるように言って自分はその場にいないなど……まるで毒を盛れと言っているようではないか。
『おや、そんなことがあったのかい。それは僕も聞きたいね』
エリオスが意外そうにネストルを見る。
ネストルはじっとラフィーナの顔を見た。ラフィーナも見返す。ネストルの感情を探りたかった。それは一瞬にも永遠にも思えた。
先に目を逸らしたのはネストルだった。
『……理由なんてありません』
たったそれだけ。言葉の続きを待ったが、ネストルはもう口を開く気はないとでもいうように視線を落としている。
分からない。何も分からない。分からないことばかり。
エリオスがため息をついた。
『……まったく。言いたくないなら言わなくていいけれど、問題は起こさないでくれよ。これでも僕は忙しいんだ』
『分かっています』
言葉は丁寧だが素っ気ない言い方だった。恐らく相手がエリオスでなければ、もっと不機嫌になっていただろう。そう考えて、ふふっと笑いが漏れた。なんだか自分がネステルのことをよく分かっているみたい。分からないことばかりじゃなかった。
最初の頃は怖くて会うたびに震えてた。何を言っているのか全く理解できなくて、困惑の中また怒られることの繰り返し。今でも何を言っているのか分からないことは多々あるけれど、少しネストルを理解できた気がする。
嬉しい。美味しいお茶を飲みながらもう一度笑みが溢れた。
『エリオス様、ドラウゼンの王子はどうするおつもりですか?』
女性らしく柔らかいけれど、引き締まった声。ルイーズだった。この場にいる誰もが気になっているであろう問いを口にした彼女は、口元に薄く笑みを浮かべている。
エリオスと共にいるところをよく見掛ける騎士、ルイーズ。ラフィーナも何度も話をしたことがあるが、自分には全くと言っていいほどにない凛々しさを持つ彼女。それでいて上品さも兼ね備えているのだから、ラフィーナは密かに憧れの念を抱いている。
真っ直ぐな目はエリオスに向いていて、エリオスも柔らかな笑みをルイーズへ返した。
『これ以上の面倒はいらないよ。体調が回復し次第、ドラウゼンへ帰っていただこう』
『え? 帰すの? 兄さま達を殺そうとしたようなものだよ? 大罪人だよ?』
タリアがきょとんとして言った。
『まだ何も起こってない今のうちに処刑しておいた方がいいんじゃないの?』
『処刑』ってなんだったかしら、と考える。王国語では……分からない。ラフィーナは考えるのは諦めて今まで通り聞き役に徹した。
『そうだね、処刑をしてもいいかもしれない。そうするべきかもしれない。だけど、僕個人としてはもう少し待ちたいんだ』
エリオスがにこりと微笑む。自分へ向いたそれに、ラフィーナは首を傾げた。どんな意味の笑顔なのだろう。
『結論を出すのは成熟してからでいいよ』
よく分からない。あとでイリスに聞いたら説明してくれるかしら、と思ったが、イリスはまだ青い顔をしている。俯いて座っているのでもしかしたら話を聞いていないかもしれない。
タリアは理解したのかしていないのか、『なるほどね』と2回頷いた。
『ラフィーナ、すまないが君は数日間部屋から出ないでおいて欲しい。頃合いを見て僕から使いを出すから、それまではここにいてくれ』
その言葉と共にルイーズが立ち上がり、エリオスの隣に並んだ。もう話が終わるのだうか。
ラフィーナが『ええ』と頷くと、エリオスは『失礼するよ』とルイーズと共に出て行った。
『……かわいそう』
タリアの呟きはラフィーナにだけ聞こえるような大きさだった。




