49.理由
『ゼノン、まずは君から話を聞こう』
エリオスの言葉に騎士ーーゼノンはぎこちなく頷いた。息を吸う唇が震えているのが分かる。
『ラフィーナ様と共にドラウゼン王子の部屋へと参りました』
硬い響きの声。ゼノンの顔に笑顔はない。どうしてだろう。笑った方が素敵なのに。
『ラフィーナ様はドラウゼン王子と仲睦まじい様子で……まさか……まさか、あのようなことになるとは……』
ゼノンの顔が青ざめていく。言葉が切れて、エリオスが困ったように言った。
『驚く気持ちは分かるが最後まで聞かせてくれ。ゼノンは部屋を離れたのだろう? 何の為に?』
それなら自分にも答えられる。蒼白なゼノンに代わってラフィーナは口を開いた。
『お茶を淹れようと思ったけれど、お湯がなかったの。だから取りに行ってもらったのよ』
エリオスが頷く。ゼノンの視線がラフィーナへと向いた。大きく開かれた目に引き攣った口元。震える手。
『も、申し訳ありません……! 気を付けるよう言われていたのに私は……お二人の様子を見て気を抜いてしまいました』
ゼノンが勢いよく跪き、頭を下げた。
『ラ、ラフィーナ様にそのような素振りが全くなく……あのような笑みを浮かべていたのにど、毒を盛るなど……予想もできませんでした……』
笑っていることと毒を盛ること。何か関係あるのだろうか。なんて思っていると、こちらを向いたタリアと目が合った。
『ね、姉さまが……? 毒を? なんで? なんで持ってたの?』
信じられない、と唇から漏れる小さな声。震える唇が自分を責めているように思えた。自分の何がいけなかったのだろう。
『お兄様がくれたのよ。エリオス様とネストル様に飲ませろ、とおっしゃったわ』
視界の端でふらりとイリスがよろけた。口元を手で押さえている。隣に立つクレイトスがその体を支える。体調が悪いのだろうか。ラフィーナは椅子から立ち上がった。
『イリス、大丈夫? 座ってちょうだい』
その顔は蒼白だった。イリスはゆっくりと視線をラフィーナへ向ける。その目から感情を読み取ろうとしてみたが、よく分からない。驚きとも怯えとも違う気がする。
カタリ、と背後で音がした。
『ラフィーナ、君は足を怪我しているだろう。座っていなさい。私が立つよ。クレイトス、イリスをこちらへ』
エリオスだった。申し出を拒むように首を振るイリスの体を支えてクレイトスが動く。イリスが座ったのを確認して、ラフィーナはもう一度椅子へ腰掛けた。
少し冷めたお茶を飲むと口の中が潤った。
『それならどうして姉さまはそれを兄さま達に使わなかったの? 昨日ネストル兄さまのお茶に淹れることができたんじゃないの……?』
ネストルを見る。その時に初めて目が合った。静かな目。先ほど浮かんでいた様々な感情は今は鳴りを潜めている。
タリアが言うように、兄が言うように、ネストルに毒を飲ませることは簡単だ。お茶に入れたらいいだけだから。昨夜、兄の言葉を聞き入れるならそうするべきだった。しなかった理由なんて一つだけ。
『あれを飲んだら死ぬとお兄様はおっしゃったわ。死んだらもう会えなくなるのでしょう?』
エリオス様とネストル様に会えなくなるなんて嫌だわ。そう言うと、エリオスは困ったように微笑んだ。
『もう会いたくないから、兄に毒を盛ったのか?』
温度のない声。ネストルのいつも通りの声。もう怒っていないようだ。少しホッとした。
『ええ』
『それが悪いことだとは思わなかったのか?』
その問いで、自分の何がいけなかったのかを察した。だけど分からない。
『悪いことなの?』
首を傾げる。兄は自分に嫌なことをする。ここへ来て嫌なこともなくなってホッとしていた。なのに兄は現れた。またあれをするのは嫌だから、兄に会わなかったら嫌なこともなくなると思ったから。だから毒を盛った。
『わ、悪いことだと分かっているから、あのような嘘の笑顔であの方や私を欺いたのでは……?』
まるで責めるような言い方だった。ゼノンが跪いたまま、ラフィーナを見ている。
皆の視線がこちらへ向く。皆、自分を責めているのだろうか。兄に毒を盛った自分を。
そう思った途端に、ここにいることが嫌になった。居心地が悪くなった。
『……嘘なんてついていないわ』
俯いて膝の上で手を握る。嘘なんてついてない。欺いてなんてない。兄に会えて嬉しい気持ちも浮かぶ笑みも本当。嫌なのは兄の手が触れることだけ。
『あ、あなたは……あの方が嫌いなのでは……?』
揺れる声に顔を上げると、眉に深い皺が寄せ、大きく目を見開いたゼノンの顔が見えた。
分からない。この人は何を言っているのだろう。
『お兄様が嫌いだなんて、そんなこと考えたこともないわ』
小さな声しか出なかったが、はっきりとそう言うことができた。
嫌なことをする人だけど嫌な人ではない。痛くても気持ち悪くても、兄が来たら嬉しかったし、兄の顔を見たら笑みも浮かんだ。好きだとか嫌いだとか、そんな言葉では表せない。
『お兄様はお兄様だもの。お兄様のすることは嫌だけれど、会えて嬉しいのは本当よ』
久しぶりに会った兄の顔を思い出せば少しだけ頬が緩んだ。いつもよりもいっぱいお話ができた。
『……でも、もう会いたくないの』
この感情は自分でも分からない。会えば嬉しい。でも会いたくない。これはなんという言葉で表せるのだろう。
ゼノンの喉がひくりと動くのが見えた。
『い、意味が、分かりません……』
『だから言っただろう。特殊な環境で育った娘だ。何事でも起こり得る』
ネストルがため息混じりに言った。しかしそれに応えたのは騎士ではなかった。
『しかし私でもあの場にいて防ぐことができたのかは分かりません。……とても想像できることではありませんでしたので』
クレイトスだった。ネストルが眉をひそめ、『その場にいたら防げる』と短く言った。
『どのような意味ですか?』
今度はルイーズだった。不思議そうに首を捻り、ネストルを見る。ネストルはちらりとラフィーナを見た。その視線の意味が分からなくてラフィーナも首を傾げる。
『……誰がその場にいても、ラフィーナ様は堂々と毒を入れるでしょう。それがどういうことか、理解されてないのです』
空虚な声だった。皆の視線がイリスへ向く。イリスは俯いて両手で顔を覆った。
『わ、私がおそばにいなかったから……申し訳ありません……!』
今にも泣き出してしまいそうだった。いや、もうすでに泣いているのかもしれない。どうしてイリスが泣くのだろう。エリオスが立ったまま微笑んだ。
『ありがとう、ゼノン。君の責は問わない。もう下がっていいよ。今回の件は他言無用で頼む』
その言葉にゼノンが深く頭を下げ、立ち上がる。彼は部屋を出る直前、ちらりとラフィーナを見た。笑顔の穏やかな人だった。また会えたら嬉しい。閉まった扉を見て、そんなことを思った。
『イリスに責任はない。ここにいる誰の責任でもない。だが、ネストル』
理由を聞きたい、とエリオスはネストルを見る。穏やかな声。その言葉通り、責める響きもない。
『何故ラフィーナが毒を持っていることを知っていて見逃したのか』
耳を疑った。ネストルが知っていた? 自分が毒を持っていることを?
ネストルを見る。一緒に視界に入ったタリアも驚きを目に映していた。多分自分も同じ目をしている。
知っていた? いつから? どうして? 何も言っていなかったのに?
ネストルは皆の視線を受けて深いため息をついた。




