45.不味いお茶
ソファに体を預け、昇る湯気を見つめる。いつもそこに座っているネストルの姿はまだない。
「どうしてお兄様がここにいたのかしら……?」
ぼんやりと呟くが、答えを返してくれる人は誰もいない。城には誰でも入れるわけではないとクレイトスが言っていた。ならば何故兄は入れたのか。何故兄は自分を見つけることができたのか。
背筋にゾワっとした感覚があった。心臓が速くなる。シン、と静まり返った部屋の中。扉の向こうからも誰の足音も聞こえない。聞こえるのは心臓の音だけ。
兄が自分を見つける手段があるとしたら、今度はここへ現れるのではないか。そうしたら……。その後に起こるであることを想像してしまった。自分の体を抱えるように両腕を握る。手が震えていた。
「大丈夫、クレイトスがいたもの。クレイトスは強いってタリア様が言っていたもの」
呟いた声は固かった。大丈夫、ともう一度言ったその時、耳が足音を拾った。軽い足音。聞き覚えのある音に顔を上げた。近付く足音は一つ。だけどきっと2人。扉に視線を向けてそこが開くのを待つ。足音は確かに近付いて来ているのに、とても長く感じた。
軽い足音が止まると同時に扉が開いた。ぴょこりと顔を出したのはタリア。
「姉さま!」
「タリア様……」
タリアの後ろからネストルも入って来るのが見えた。
ゆらゆらと漂う髪はいつものように結われていない。服もいつもと比べると楽な格好で、寝ていたところを起こされたのが見てすぐに分かった。
「起こしてしまったのね、ごめんなさい」
「ううん、気にしないで。大丈夫?」
タリアが小走りでラフィーナに近寄り、ソファへと座るラフィーナを抱き締めた。思わぬ動作にラフィーナは体を固くする。
「怖かったよね、もう大丈夫だからね」
タリアの髪が頬をくすぐる。背中を撫でる手が優しくて。おずおずと手をタリアの背にまわした。細いけれど柔らかな感触に、兄が上書きされたような気がした。
「……ありがとう、タリア様。大丈夫よ」
少し驚いただけ、と呟く。そう、驚いただけ。いるはずのない兄がいたことに。
タリアが離れ、ラフィーナの隣へと腰掛けた。それに合わせて体が揺れる。ネストルはいつの間にかいつもの椅子へと座っていた。その手が机の上のカップへと伸びる。
ラフィーナはそちらから視線を背け、タリアを見た。
「お城って勝手に入ることができるの?」
「そんなわけないじゃない」
タリアがからりと笑う。
「兵はあちこちにいるし、夜の間でも見回りしてるからね。特に下の方は」
「お前の兄の魔法は空間把握だ。それを使って入ったのだろう」
ネストルはラフィーナの質問から何を聞きたいのかを察したようだ。
「魔法……」
また魔法。不可解なことは全部魔法だ。お兄様も魔法を使えるのね、とぼんやりと思う。
「あれは空間のみならず生物も探知できる。だが生物の場合は魔力によって判別されるはずだ。故に魔力の持たない人間は探知することができぬ。クレイトスのようにな」
だから兄はクレイトスを見て驚いていたのか。納得した。
「姉さまは魔力が多いからすぐに場所が分かったんだよ」
「そうなの?」
魔力なんて分からない。人のも自分のも。なんとなく自身の手を見つめてみても魔力と呼ばれるようなものは見えないし感じない。
「面倒が増えた」
ネストルが吐き捨てるように言い、舌打ちをした。
「ところで、姉さまはなんで部屋にいなかったの?」
タリアの問いに被せるようにカチャン、とカップの音が響く。ラフィーナとタリアの視線は自然とそちらへ。ネストルはカップを置いて顔をしかめていた。
「どうしたの?」
タリアが聞く。「不味い」と鋭い声が言った。
「いつもと同じように淹れたと思うのだけれど……」
そう言いながらも実はあまり自信がなかった。ぼんやりしていたせいか、お茶を淹れた時の記憶があまりない。
「え? もしかして兄さま、姉さまにお茶淹れさせたの?」
タリアが眉をひそめ、「兄さま酷い」と非難するように言う。
「そいつが進んでやっていることだ」
顔をしかめたままもう一度カップに口をつけるネストル。タリアはラフィーナを見て首を傾げた。
「そうなの?」
ええ、と頷く。好きでやっていることだ。ネストルに美味しいお茶を淹れてあげたくて。でもまだそれは叶っていない。
「……最近は少し上手になってきたと思っていたのに」
小さく呟きながら立ち上がり、茶器の前に立つ。ティーポットに残ったお茶をカップに注ぎ、そのままそこで口をつけた。
ものすごい衝撃が走った。ほんの少し舐めただけ。なのに舌が痺れる。苦い。渋い。不味い。手で口を覆う。あまりの味による変な顔を隠すために。
「……申し訳ありません、ネストル様。淹れなお」
振り向くとネストルは無表情でお茶を飲んでいた。言葉が切れた。ネストルは「なんだ」とラフィーナへ視線を向ける。
「淹れなおすわ。飲める味じゃないもの」
初めて淹れた時と同じ味のお茶。あの時もネストルは全て飲み干していたが、やはり人の飲めるものではないと思う。しかしネストルは「必要ない」と視線を逸らした。
「……よくこのようなお茶を飲めるわね」
驚き半分感心半分でそう言うと、タリアが「同感」と手を上げて同意を示した。
タリアはこのお茶の味を知らないのでは? 自分のお茶を貶されるのは別に気にならない。不味いのは事実だから。だけど違和感を覚えた。
そんなラフィーナに気が付いたのか、タリアは笑った。
「兄さまはあっちこっちに敵がいるからね。毒を盛られることも珍しくないの」
タリア、とネストルが嫌そうな表情で呼んだ。しかしタリアは口を閉じない。
「食事は絶対毒味……他の人が先に食べて確認するし、その辺のものなんて食べられない。お茶だってクレイトス以外が淹れたのは飲まないんだよ」
「ドク……?」
単語の意味が分からなくて首を傾げると、タリアは「えっとねー」と考えるように視線を上へ向けた。
「食べたり飲んだりしたら体に害があるものだよ。死ぬこともあるから怖いの」
飲んだら死ぬ。それはまるでこれみたいではないか。ラフィーナは手で胸元を押さえた。金属の硬さを手に感じる。服の下に隠れているこれは毒?
ネストルがじっとラフィーナを見ていた。冷たい真っ直ぐな目。全てを見透かしているような静かな目。もしかして知っているのだろうか。ここにあるものを。
……いいえ、それならわたくしの淹れたお茶なんて飲まないわ。
そう思っても目は逸らせなかった。お前はそれをどうするのだ、と問われているような、責められているような気がした。
「姉さま? どうしたの?」
タリアの声にハッとした。ラフィーナの視線は彷徨い、タリアへと向く。
「あ、ううん、なんでもないの。毒って怖いのね」
白々しい響きに胸の奥がズクリと痛んだ。
そんなラフィーナの心には気が付かず、タリアは「大丈夫だよ」とにっこりと笑う。
「兄さまは毒味がない時に何かを口にすることなんてないからね。もちろん、姉さまのご飯もちゃんと毒味をつけてるし」
「そうだったの……」
知らなかった。もしも食事に毒が混ぜられていたら、毒味をする人はどうなるのだろう。少し考えて、その人は死ぬのだろうと当たり前の答えに辿り着いた。




