43.血縁
分からない。助けを求めてイリスを見ると、イリスはハッとしたように小声で言った。
「この方の家で暮らすか、これまで通りここで暮らすかの選択を求められています」
「この方の家……?」
老人を見る。親族と言うと血縁関係がある人のことを指したはず。いえ、ちょっと違うかしら、と思うが、今はそんなことどうでもいい。この老人の家で暮らすということは城を出るということだ。
「悪いようにはされぬ。望むものも与えられる。城のように不特定多数が出入りすることもない。行けばここよりもくつろげるかもしれぬ」
ネストルが淡々と言った。これは行くように勧められているのだろうか。自分は城から出て行った方がいいのだろうか。どちらを選ぶべきなのか。視線が定まらない。
「決めるのはお前だ。お前の好きなようにすればいい」
『ラフィーナ、うちへおいで。お前の望むものは何でも与えよう』
老人がにこりと笑った。先ほどネストルを睨んだ人と同じ人だと思えないほど柔和で、それがかえって不気味に思えた。
「わ、わたくしは……」
声が震えた。分からない。自分がどうするべきか。ネストルが何を望んでいるのか。分からない。
この方の家に行ってもネストル様には会えるの?
そう聞きたかったが、先に老人が口を開いた。
「ラフィーナ、こんな城よりもうちの方が安全だ。お前を守る為に手を尽くそう。鼠一匹お前の前には現れない」
老人の顔は笑顔。だけど怖い。弧を描く目も口も、どこか作り物めいているような気がする。手が震え、ラフィーナはネストルの袖をきゅっと握った。
行きたくない。タリアやクレイトス、エリオスのいるここにいたい。ネストルのいるこの城に。
そう言ってもいいものなのか、窺うようにネストルの顔を見ると、ネストルは表情を変えずに老人を見た。
『本人は望んでいないようです』
老人は愕然としてラフィーナを見た。
『な、何故だ、ラフィーナ! まさかこんな悪魔のような男を好いているわけではあるまいな!?』
唾が飛ぶ。大きな声にビクリと体が揺れた。
『うちに来い! お前の家だ! お前の家族がいる家だ!』
家族? 訳が分からない。ネストルの服を掴む手に力が入る。分からないけれど、この人がいるところには行きたくない。
ネストルがため息をつき、再びラフィーナと老人の間に立った。ネストルの銀の髪で老人の姿が遮られる。
『お前の家、だと? 耄碌したか、ミルヴェン当主。彼女が誰と同じ血を引いているか、まさか忘れたわけではないだろうな』
低い声だった。
『いくらミルヴェン家の当主といえども本来なら名を呼ぶのも失礼な相手だ。弁えよ』
老人の喉からぐ、と音が漏れた。クレイトスが『ネストル様』と困ったような笑みを浮かべた。しかしネストルは全く気にせずに続ける。
『お前はミルヴェン家の当主だが、私達はレガルディア帝国の皇家の者だ。皇族を2人も前にしてよくもそんな口が利けるな』
心の奥底まで冷えていくような声。クレイトスのため息が聞こえた。
『調子に乗るなよ、老いぼれめ』
そう言い終わると、ネストルは老人を避けて足を踏み出した。握っていた袖が離れる。遮られていた老人が視界に入った。床に膝をつき、喘いでいる。そのあまりにも苦しそうな様子にラフィーナは思わず手を伸ばしていた。
『だ、だい……』
「ラフィーナ」
大丈夫? と聞こうとした言葉は遮られた。伸ばした手を止めて声の方を見ると、ネストルが振り返ってこちらを見ていた。刺すような目に怒りが燃えている。
「来い」
短く鋭い声に、咄嗟に体が動かなかった。
『クレイトス、当主を送ってやれ。もう城に迷い込めぬようにな』
『かしこまりました』
クレイトスが返事をして、ラフィーナの背をそっと押す。ネストルと共に行けという意味だろう。ラフィーナはもう一度うずくまる老人を見て、ネストルの元へと歩き出した。
あのようにうずくまる姿に見覚えがある。ネストルが自分の離宮に来た時、父が同じように床に膝をついて苦しそうだった。
「魔法、かしら……?」
小さく呟いた。ネストルはタリアと同じように重力を操ると聞いた。重力を軽くすれば体が浮くように、重くすれば体は沈む。
立ち止まってラフィーナを待っていたネストルは、追いつくと歩き出した。隣を歩く。どこへ行くのだろうか。振り返ってイリスを見ると、前を見て歩くように手で示された。
「あの、さっきの方は……?」
恐る恐る聞いた。隣から怒っている気配はしているが、聞かずにはいられなかった。自分の家族だと言っていた。その意味を。
ネストルは足を止めずに目だけでラフィーナを見た。
「ミルヴェン家の当主で、お前の大伯父……祖母の兄だ」
「祖母の兄……祖母……おばあ様?」
少し考えて首を傾げる。「そうだ」と肯定が返ってきた。
「……わたくしの?」
「そうだ」
もう一度同じ言葉。これ以上聞くと怒られるかもしれない。振り返ってイリスを見る。イリスは目を伏せていて、ラフィーナを見ない。仕方がないので前を向いて口を噤んだ。
「お前の母親はレガルディアの出身だ」
聞こえた言葉に顔を上げてネストルを見た。
「お母様がレガルディアの出身……?」
「これ以上のことはまだ話せぬ。もう少し待て」
色々なことを聞いて頭が混乱している。そんな中「待て」と言われたから、ラフィーナは何も考えずに頷いた。自分のことをだというのに実感がない。それは自分の母のことなど考えたことがなかったから。母という存在が急に現実を帯びてきて、どうしたらいいのか分からない。
「お前はどこへ行く」
「お花を摘みにお庭へ」
急な話題の転換だったが、言葉は口をついて出た。ネストルが足を止め、ラフィーナも止まる。
「そうか。行くなら裏庭にしろ」
ネストルは城の裏へ続く廊下を指す。そして自分は反対側へと足を向けた。数歩進んで思い出したように足を止め、振り返る。
「花は一つでいい」
それだけ言うと背を向けて歩いて行った。イリスと顔を見合わせて首を傾げる。
「どういう意味かしら?」
「いつも2輪贈っているお花を1輪でいいということでしょうか?」
確かに今の言葉はそうとしか受け取れない。定期的に私室と執務室用にクレイトスに預ける花。それが一つでいい? どちらかにはいらないということだろうか。
次にクレイトスに会った時に聞いてみようかしら、と思いながら、ラフィーナは裏庭へと続く廊下を歩いた。




