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4.太陽の城

 10回朝を迎えた。ずっと馬車に揺られ、暗くなった頃に降りて、小さな建物の中の硬いベッドで眠った。食事は全て馬車の中で食べた。馬車を開けるのは穏やかな男だけで、他の人間は顔を見ることはあっても話しかけられることはなかった。


 そしてとうとう「着きましたよ」という声と共に扉が開いた。


 ラフィーナはジジョの手を借りて馬車を降りた。地面についた足がまるで自分のものではないような感覚がして、少しよろめく。離宮を出たその日に用意してもらった靴だが、未だに慣れない。変な感じがする。本当は今すぐにでも脱いでしまいたい。


 ふと視線を上げると様々な色が見えた。綺麗な白い石の地面。ラフィーナの立つ場所から真っ直ぐに伸びる大きな道があり、その左右に色とりどりの花が広がっていた。初めて見る光景に目を奪われた。



「こちらがレガルディア帝国の城です。本日よりこちらで生活していただきます」



 穏やかな声に導かれるように視線を移し、今度は言葉を失った。目の前にはそびえ立つ大きな建物があった。



「こ、これは、何……?」



 それはラフィーナの頭の中で描いたことのない大きさのものだった。自分の離宮を外から見た時もその大きさに驚いたのに、目の前のこれはその比ではない。



「お城ですよ。今日からここで住むんです」



 噛み砕いて言われた言葉を今度は理解することができた。



「オシロ……お城……」



 口の中で呟く。見上げて首が痛くなるほど高い。白い壁が太陽光を反射して眩い光を放っているようだ。



「……太陽だわ」


「おや、ご存知ですか?」



 視線を落とすと穏やかな笑みが見えた。男は「冗談です」と笑う。ラフィーナが何も知らないことは、この10日の間に彼も知ったことだろう。



「レガルディア帝国の皇帝、エリオス・エレンシア様は太陽の異名を持っておられます。この城も民の間では太陽の城、と呼ばれているのですよ」


「そうなのね」



 ラフィーナは頷く。だが全ての意味は理解していない。「レガルディア帝国」は覚えた。この国の名前。「コウテイ」は分からない。「イミョウ」も初めて聞いた。分かったのはこの城が「太陽の城」と呼ばれている、ということ。


 立ち尽くすラフィーナの髪を風が揺らす。



「何を突っ立っている。早く入れ」



 冷たい声がラフィーナを追い越して言った。銀色の彼の歩みに合わせて大きな扉が開く。ラフィーナはただ呆然とそれを見ることしかできなかった。入れ、と言われてこれから自分がここで過ごすのだ、という実感が湧いた。



「こんなに大きいとお掃除が終わらないわ」



 ポツリと呟くと、くすくすと可笑しそうに笑う声が上から聞こえた。



「王女殿下が掃除をする必要なんてありませんよ。侍女も従者も下働きもいます。これまでの王女殿下の生活は少々特殊だったのです」


「よく分からないけれど……お掃除をしないなら何をすればいいの? お洗濯? わたくしお料理は少し苦手なの……」



 ラフィーナの生活は基本的に家事で成り立っていた。ばあやかジジョとの二人きりの生活。たった二人で離宮を整えなければならなかったのだ。家事をして鳥と戯れて、父や兄が来たら一緒に過ごして、そして空いた時間はお喋りをして過ごす。そんな生活。それがラフィーナの当たり前だった。


 だからここでもそうやって過ごすものだと思っていた。しかし男は「そんなことする必要ありませんよ」とまた笑った。



「王女殿下はお好きなように過ごされたらよろしいのです。ここには殿下を縛る人間などいませんので」


「好きなように……?」



 ラフィーナは首を傾げる。好きなように、とはどうすればいいのだろう。



「そう難しく考える必要はありません。本を読んだり、絵を描いたり、楽器を演奏したり、お茶を飲んだり、街へ出たり……好きな時に好きなことをすればよろしいのです」



 ラフィーナは首を傾げる。お茶しか分からない。その時、肩をポンポンと叩かれた。視線を横へ向けると、笑みを浮かべたジジョが立っていて、前方を手で示していた。少し離れたところであの銀髪の彼が振り返ってこちらを見ていた。



「おや珍しい」



 笑い混じりの穏やかな声が言った。



「あまりお待たせすると機嫌が悪くなってしまいます。あの方は短気ですのでね」



 男がゆっくりと歩き出す。キゲンって、タンキってなんだろう、と思う。だけど「悪くなる」は知っている。男の少し後ろをラフィーナもついて歩いた。「悪くなる」のは良くないから。



 お城の中はずっと同じ景色だった。自分がどこをどう歩いたのか分からない。何度曲がっても広がるのは同じ廊下ばかりで。


 隣を歩くジジョに寄り添うようにして歩く。廊下にいる人間のたくさんの目がラフィーナに向いている。こんなにもたくさんの人間を見たことは初めてで、こんなにもたくさんの視線を受けるのも初めて。囁きが聞こえる。知らない言葉だけど、その声の響きはあまりいいものではない。


 胸がざわざわする。どこを見たらいいのか分からない。手や足が震え、まるで自分だけが小さくなったような気がする。視線が彷徨う。息が上手くできない。


 分からない。何も分からない。ラフィーナの胸の中にはそれしかない。離宮の中では困ることはなかった。しかし一歩外に出ると分からないことばかり。


 ……いいの、これで。お父様もお兄様もわたくしは何も知らなくていいって言ったもの。わたくしを守ってくれるもの。


 すっかり遠くなってしまった父や兄の顔を思い浮かべると、ラフィーナの心は少し解れた。深く息を吸うことができた。


 不意に前を歩いていた銀髪の彼が足を止めて振り返った。



「クレイトス、お前は王女殿下を案内しろ。そこの侍女はついて来い」



 ラフィーナは息を呑んだ。大きな目を更に大きくしてジジョを見る。ジジョと離れるの? 胸がざわりとした。ジジョにはそれが伝わったのか、微笑みを浮かべた。大丈夫ですよ、と言うように。



「聞こえなかったのか。早く来い」



 そんな温度のない声がジジョを呼ぶ。ジジョは笑みを浮かべたまま、手で穏やかな男の方を示し、銀髪の彼と歩いて行ってしまった。ラフィーナはその場に立ち尽くした。



「そのような不安そうなお顔はなさらないでください。私達があなたに危害を加えることはございません」



 分からない。何も分からない。フアンもキガイもアナタも、何も分からない。だけどそれは言葉にならず、彼女は穏やかな笑みを浮かべる男の後ろをついて歩くことしかできなかった。

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