39.優しい人
訪ねてきたラフィーナを見て、ネストルは眉をひそめた。何故ここにいる、と言わんばかりの表情に、ラフィーナは「お礼を言いに来たの」と微笑んだ。
部屋まで迎えに来てくれたクレイトスは、ネストルの部屋の近くまで案内するとどこかへ行った。また迎えに来ます、と言って。
ネストルはため息をつきながらも無言で椅子へ腰掛けた。これは入ってもいいということよね、と思いながら中へ入り扉を閉める。
「茶を淹れろ」
ええ、と頷きながらも、クレイトスに淹れてもらえばよかったわ、と思う。クレイトスの方が早くて美味しいお茶を淹れるから。
コポコポと心地よい音を立てながらお茶はカップに入り、香りが立ち昇った。頬が緩む。上手にできた気がする。
1つをネストルの前に置き、1つを持っていつものソファへ腰掛けた。「で?」とネストルの視線がこちらへ向いた。
「何の礼だ」
「靴と外へ連れて行ってくれたお礼よ。ありがとう。すごく嬉しかったわ」
横目でこちらを見るネストルに、ラフィーナはにっこりと笑みを向けた。足を組んで椅子に体を預け、カップに口をつける姿が様になっている。
「ネストル様は優しいのね」
ネストルが顔をしかめる。嫌そうなその表情が可笑しくて笑ってしまう。
やっと分かった。皆がそう言う理由。冷たい表情、冷たい目、突き放したような言葉。だけど本当に冷たいわけではない。
優しい人とは笑顔を向けてくれる人なのだとずっと思っていた。だけど、穏やかで心地よい言葉をくれていた侍女が心の内で自分をどう思っていたのか聞いた時、それは揺らいだ。
そして考えた。優しさとは何か。笑顔や心地よい言葉をくれるだけじゃない。ばあやのように駄目なことは駄目だと言い、イリスやクレイトスのように間違っていることを教えてくれる。自分の為の言葉をくれることが優しさなのではないか、と。
カップを持ち上げ、微笑みを向ける。
「ネストル様は誰よりも優しいわ。いつだってわたくしの為だけに言葉をくれるもの」
ネストルの目がじっとラフィーナを見る。何か言いたそうだ。首を傾げると、ネストルは深いため息をついた。
「お前、俺が怖いのだろう」
カップを持ち上げた手が止まる。隠せているとは思っていなかったけど、こうして面と向かって言われるとも思っていなかった。途中で止めた手を動かしてカップを傾ける。まだ湯気を上げるそれで唇を湿らせた。
「怖い人間に何故優しいと思える。何故近寄る。何故そうして笑える。怖いなら遠ざかればいいだろう」
ネストルは顔を背ける。他の者と同じように、と小さく付け足された言葉が聞こえた。怒っているのだろうか。それとも悲しんでいるのだろうか。
最近は人の顔を意識して見るようにしている。そうしたらその人の感情が少し分かるようになってきた。だけどネストルの感情は分からない。表情が変わらないから。
少し考えて、言葉を探すのはやめた。
「……怖いわ。ネストル様はいつも冷たいお顔をしているもの。だけど嫌ではないの。どうして?」
聞き返すとネストルは眉をひそめて「知らん」と素っ気なく言った。沈黙が降りる。
ラフィーナは裸足の足をパタパタと小さく動かした。靴を履こうとしたら、人はほとんどいないから履かなくていい、とクレイトスが言ったのだ。痛くない靴だとしてもやっぱり裸足の方が慣れているので楽。
自分で淹れたお茶はやっぱり微妙に美味しくない。コツがあるのかしら、と首を傾げる。今度クレイトスに聞いてみよう。そう思った時だった。
「……俺はお前を見ているとイライラする」
聞こえた声に頭が真っ白になった。ゆっくりと顔を上げる。ネストルと目が合った。鋭い真っ直ぐな瞳。胸がジクリと痛む。
イライラ。それは自分を見たくないということだろうか。ここにいてはいけないということだろうか。腰を浮かしかけた時、ネストルが続けて言った。
「だが嫌ではない」
思いがけない言葉に力が抜け、ポスンとソファへ沈む。見ているとイライラする。でも嫌ではない。今聞いた言葉を反芻し、理解した時、自然と笑みが浮かんだ。
「嬉しいわ」
ネストルは視線を逸らした。苦虫を噛み潰したような表情。それは嫌がっているようにも、照れ隠しのようにも見えた。
思えばネストルがラフィーナを拒んだことなどほとんどなかった。夜を彷徨っていた時は部屋へ招き入れ、苦いお茶を飲んでくれた。靴を履くのを躊躇っていた時は履きたくなければ履かなくていいと言い、履くことを選べば履きやすい物を用意してくれた。花を摘んだ時もオレンジを買った今日も、何も言わずに受け取ってくれた。
言葉は厳しいけれど、優しい人。
そう考えていてふと気が付いた。あの時摘んだ白い花の姿がない。部屋に飾ってくれると言っていたはずだ。ネストルにもらった自分の薔薇はまだ綺麗に咲いているが……
「お花はもう枯れてしまったの?」
問いかけるとネストルは「枯れていない」と答えた。それなら迷惑だっただろうか。だから飾っていないのだろうか。ラフィーナの視線が部屋の中を滑る。その視線の意味を察したのか、答えが返ってきた。
「……あれは私室に飾っている」
「シシツ……?」
聞き慣れない言葉に首を傾げるとネストルは「自分の部屋だ」と短く言った。ネストルの部屋。こことは違う? 考えているとネストルは唇の端を上げた。
「まさか俺がここで生活しているとでも思ったか?」
「いえ、そうではないのだけど……」
他に部屋があるんだろうなということは何となく分かっていた。だけどネストルがここ以外にいる想像もできなかった。
「……そうよね」
ここはお仕事の部屋ってクレイトスが言っていたわ、と納得して頷く。でもそれならもう一輪持ってきたらよかった。あの花が私室の方にあるなら、この部屋は寂しいままだ。次に外に出た時に庭から一輪分けてもらおうと思った。




